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コラム
今週のテーマ
(掲載日 2009.05.26)

 ■はじめに 

 毎年、社会保障法の最初の講義で、学生達に社会保障制度の目的・機能を説明している。すなわち、憲法25条が定める生存権の実現のために、つまり、「健康で文化的な最低度の生活」を国民に保障するために同制度が存在するというものである。

 これに加えて、社会保障制度があることにより社会が平穏に保たれ、いわゆる治安維持のために立法担当者は同制度を整備するとも説明をする。学生達は、社会保障制度の存在意義として、むしろ、後者に共感しているようにも見える。

 実際に、後述するとおり、高齢者介護福祉制度が充実していれば、介護疲れによる殺人事件はなくなるであろう。(注1)

 ところで、近年、高齢者・知的障害者の犯罪者・受刑者が増加しており、メディアでの報道も相次ぐ。そして、その背景には社会保障制度の不備があると、しばしば指摘されている。

 本稿では、高齢犯罪者とその犯罪の背景を題材に、社会保障制度と犯罪について論じることとする。なお、高齢受刑者の処遇や出所後の諸問題、および知的障害犯罪者については別の機会に検討したい。

1. 高齢者による犯罪統計

 『平成20年度版犯罪白書』の特集テーマは、この世相を反映して「高齢犯罪者の実体と処遇」である。同白書によると、60歳代の検挙人員について、平成9年と同19年を比較すると、約2.5倍、70歳以上では、約4.6倍に増加していると言う。同じく、高齢受刑者も先の十年間を比較すると、若年層より増加幅が大きい。

 高齢窃盗犯の犯行動機は、男子の場合、生活困窮(66.1%)、空腹(18.8%)が目立ち、また、高齢殺人犯のうち、親族以外殺の動機で若年殺人犯と異なるのは、生活困窮・債務返済が多い点である。さらに、高齢殺人犯が親族殺の動機で顕著なのは、「将来を悲観」と「介護疲れ」である。

 高齢女子が犯した親族殺事犯9件のうち、7人の被害者に疾病があり、子殺しの被害者3人は全員精神疾患が認められること、高齢男子による子殺し事犯6件では、半数の被害者に精神疾患が認められることが白書の中で指摘されている。

 なお、高齢犯罪者の特徴として、単身者の割合が高いことが示されている。すなわち、受刑者の約78%が単身であり、わが国全体の65歳以上の一人暮らし比率が15.7%(平成18年)であるのに比べ、突出して高いというものである。

2. 防貧・救貧のセイフティネット 

 社会保障法の講義では、生活保護制度を「最後の砦」、人生のセイフティネットとして紹介・説明する。日本人である限り無差別平等に、現に貧困であることを理由として生活保護を受ける権利があると話す。

 この説明通りであるならば、空腹な高齢者は存在せず、生活困窮を理由として窃盗を犯す者もいないはずである。しかも、日本は皆年金を誇る国でもある。

 しかし、実際には、前述の通り、貧困に耐えかねて犯罪を犯す高齢者が存在する。今日、「最後の砦」は刑務所であると、ときに言われる所以である。

 防貧・救貧のネットからこぼれ落ち、貧しさゆえに犯罪を犯す高齢者は、高齢人口の増加とともに増え続けると予想されている。

3. 介護のセイフティネット

 「親の介護に疲れて」、「老々介護の果てに」あるいは「障がいを持った子供の将来を悲観して」「配偶者の看病に疲れて」、といった理由で親族殺に至る高齢者がいる。このような事件が報じられるたびに、加害者に対する同情論と社会福祉制度の機能不全が論じられる。

 各制度は、要介護者、障がい児・者あるいは病人の支援に加えて、彼らを世話する家族の負担を軽減することも担っている。とりわけ、介護保険法は家族を介護の苦労から解放することが立法趣旨の1つであったはずである。

 冒頭で述べたように、介護保険サービスが充実していれば、介護疲れによる殺人などは起こるはずが無い。あるいは障がいを持った子供の将来を安心して委ねることのできる制度が存在・活用できたならば、上記のような悲惨な事件は起こらないだろう。

4. 穏やかな高齢時代のために

 忙しく働き、少なからぬ葛藤を生き抜いてきた高齢者が、その晩年に貧しさゆえに窃盗犯となり、、あるいは世話に疲れた果てに家族を殺めてしまうほどの、不幸があるだろうか。また、このような高齢者が今後増え続けていく日本を、福祉国家と呼ぶことができるだろうか。

 これからは、高齢者を犯罪者にしないためには、制度をどう設計・運用していくかということも考えざるを得ないだろう。

 制度を作ったので、あとは申請主義だから各人の責任と裁量で制度を利用してくださいというスタイルは、心身の能力が衰え、また、頼るべき家族を持たない単身高齢者が増える将来、本当に社会保障制度を必要とする人を救済することは困難であろう。

 このスタイルでは、セイフティネットにかからずに、社会の底辺に落ちる高齢者を増やしかねない。

 各社会保障制度の充実とそれを運用する行政担当者、サービス提供事業者らの専門性の発揮が、何より重要である。

(注1) 他方で、高福祉国家である北欧諸国の犯罪率はわが国より高いことが、統計上明らかである。OECD Factbook 2009: Economic, Environmental and Social Statistics。この点についての検証は今後の課題としたい。

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