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(掲載日 2009.06.30) |
恐縮ですが、今回は医療の話ではありません。横浜開港150周年の関連記事を書く羽目となり、日本の近代化を支えた生糸貿易をテーマに選んだところ、大いに勉強させられることになりました。閑話休題としてお読みください。
今でこそ、首相が外遊先などで「世界第二位(もうすぐ中国に抜かれ、三位に転落か)の経済大国」などと得意げにコメントしているが、開講直後、日本は生糸と茶くらいしか輸出品が見当たらない“発展途上国”だった。
中でも生糸(蚕種や絹織物含む)は一時期、横浜港における輸出総額の約8割を占め、日米対立が深刻化する昭和10年代始めごろまで全体の30-40%を維持し、まさに日本の近代化を支え続けた最強の輸出品だった。
巷間、「女が紡いだ生糸で軍事強国になった」などと揶揄されたが、そうした側面は確かにあった。何しろ、養蚕・製糸の担い手の多くが地方出身の女性だった。日露戦争では戦争完遂に必要な軍事資金の当てがないまま開戦。
なけなしの外貨(主として生糸輸出による)などで軍艦を購入したり、借款を生糸代金で保証したりした。日本が列強の植民地にならず、独立国家として、あの激動の時代を生き抜いて来られたのは「生糸」「教育」「勤勉」の三つだと言われるが、個人的には「中国」を追加したい。
日本の生糸は確かに欧米でもてはやされた。「均一で優れた質にある」と国内で喧伝されたが、同じ養蚕地を抱えるイタリアやフランスでは「一位は自国産、次いで日本産、そして中国産」という位置付けだった。もちろん、その後の養蚕・製糸技術の改良や改善による飛躍的に品質が向上した。
それにしても日本の生糸輸出は中国の国内事情に大いに助けられた。清朝末期、アロー号事件や太平天国の乱などが続発し、中国は輸出どころではなかった。
欧米でシルクの需要が拡大し、入手難となった中国産から日本産への需要が高まっていた。中国の混乱・悲劇が日本の経済発展の一因にもなった―は言い過ぎか。
明治政府は生糸貿易でもたらされる外貨などを背景に軍事力強化と重工業化で列強入りを果たし、やがて、それが列強や中国との摩擦につながってゆく。
しかし、最大の輸出相手だった米国との対立が生糸貿易と養蚕・製糸地方を衰退させ、軍事産業への転換しか活路を見いだせなくなってしまう。
過去の世界不況と今日の世界同時不況とでは状況が異なることが多いといわれる。それでも、いくつか類似点があるようにも思える。
一つは「輸出依存」、もう一つが「扇情的報道」だ。生糸輸出に頼るあまり、軽工業から重工業への転換や、食料など生活必需品の国内生産が遅れた。今日も内需や国内食料生産の拡大が大きな課題の一つとなっている。
ちなみに、日本は世界最大の生糸輸出国から中国などに抜かれ、いまや世界有数の輸入国になっている。
マスコミの扇情的な報道は、第二次世界大戦などで戦意高揚に大きな役割を果たし、結果として、内外を問わず、多くの人命と財産を失う一因にもなった。今日でも、一過性で無責任な報道による被害が少なくない。
その典型が小泉政権との関係だ。少子高齢化と格差拡大の流れと逆行し、社会保障費の自然増を抑え込む“小泉構造改革”を支えたのは、日本経団連の立場を代弁する経済紙や経済雑誌だけではなかった。
米国モデルの市場原理を振りかざす小泉政権について、その本質的な誤りをただすことなく、バラエティやドラマ仕立てに演出したマスコミの責任は決して軽くない。
今度の世界不況の一端が行き過ぎた市場原理と金融事情にあるにもかかわらず、まるで天災であるかのように歪曲化した報道が少なくない。過去に学ぶことなく、反省もしない点は確かに戦前と首尾一貫しているが…。
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