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(掲載日 2009.09.22) |
モノが溢れ、床が見えなかった私の汚部屋ではありますが、S先生のご指導よろしく最近はフローリングの木目がみえるようになっております。
しかし、S先生はこうおっしゃるのであります。
「カワハラさん、どうしてこの部屋にゴミ箱がないのですか?」とても不思議そうに尋ねられた私は、すかさずこう答えました。
「チビがアタマにかぶって遊んでどこかに、もっていきました」
すると、
「いくら子どもでも、ゴミのはいっているゴミ箱はかぶりません。ゴミ箱にゴミをいれていなかったのではないのですか」
さすが鋭い、S先生、核心をつかれます。そうなのです。実はわたしは、ごみをみつけてゴミ箱にいれるという動作を、日常の暮らしであまりしたことがなかったのです。
こういうことって、みんなやっぱり子供のころに教えてもらっていたのでしょうか。思い起こせば、幼稚園のときから、お道具箱はぐしゃぐしゃで、母があまりの惨状にうなだれていたのを覚えております。自分のこども部屋たるや悲惨な有様で、いつも、散らかしすぎて自分でも部屋に入ることもできず、お部屋がえを余儀なくされておりました。
父は戦前、ハバロスクに逃げる前の金日成と中朝国境で戦ったご褒美に関東軍から仕事をどっさりもらって財をなしたのですが、建てたときは御殿とよばれた家が戦後たったひとつのこりました。私は、その金日成御殿に一人っ子で育ったので、散らかしては、ずるずるとお姫様ごっこの道具なぞを引きずっては、次のお部屋で遊んでいるうちに、親が部屋を片付けるというトンデモナイ育ち方をしてきたのであります。
なーんて、アホな身の上話をしている横で、もくもくとS先生は即席のゴミ箱をおつくりになり、
「では、カワハラさん、ゴミ箱にゴミを入れるお稽古から始めましょう。」
S先生のおっしゃるよう、お茶のお稽古の割り稽古といおうか、部分的に動作を取り出して、カラダに覚えさせるため、パブロフの犬のようにゴミ箱にごみをシュートするお稽古をしました。48歳にもなってそんなおまえアホか、と思われるかもしれませんが、意外とこういう癖は、人間のカラダは早く学習いたします。
するとあら、不思議、ゴミを見つけるとすぐにゴミ箱に捨ててみたくなります。まさに、生活の基本動作のたしかさが、日常生活を快適にするのですね。こういう生活技術の積み重ねの上に、人間社会は成り立っておるのだと今更ながら、感激。
もうここまできたら、皆さんもお察しのとおり、汚部屋は私のお部屋だけではないのであります。主婦のお城、お台所も筆舌に尽くし難い有様であります。
主婦歴25年のベテランの技にかけて、欧州モノのシステムキッチンのドアを全部閉めると、それなりにセレブマダムのようなフリはできます。しかし不用意に、棚の扉を開けると、使いかけのスパゲッティーの雨やら、すてそこねた割れ目の入ったリチャードジノリ爆撃やらがアタマから降り注ぎます。ですから、家族は危険地域として、けしてそのエリア内には入りません。
勇敢なS先生は、「開けたら死ぬよ」と、遠巻きに見ているちびたちのヤジもものともせず、台所の戸棚の扉を全部開け放し、にっこりとほほ笑んでこうおっしゃるのです。「カワハラさんのパソコンのデスクトップと同じですね」と。
そしてもちろん「家事は知的訓練ですから、がんばりましょう。フォルダーは整理をしたほうが、アタマがお利口になりますよ。」とやさしく励ますことも忘れられません。
いつもの「無理せず、できることから」というモットーに沿って、次々と私の目線や手の届く高さにあわせて、台所の棚の高さも変更していかれます。そして、弱い私のオツムでも覚えられるように、分類したものの指定席をちゃんと関連づけて、しっかりと教えこんでくださいます。
そうです。食器棚も、デスクトップのホルダーも、どこが何の分類かわかるようにしておけば、いつでも取り出して、そして戻せるのです。お片付けは、ただ片付けるのではなく、その動作をその人のプログラムに組み込むことまでしてこそなのです。
眼から鱗でウルウルしている私には眼もくれず、S先生は次は、じっと冷蔵庫を見つめておられます。S先生のポリシーは、どんなにグチャグチャでも、目の前のひとやま、ひとやまをかたづけてから、次のお山に手を出すということです。
大型冷蔵庫の扉の向こうに展開するワールドは、ボルネオの密林地帯のようなので、きっと、さすがのS先生も卒倒するのではないかしらと恐る恐る扉をあけると、S先生のお顔が、ぱぁっと明るくなります。「楽しすぎる!」困難なややこしいもの好きは、東大人間支援工学・中邑研の共通項であります。
大体、なんでこんなにものが増えているかといえば、どこに何があるかわからないので、食卓で、ケチャップといわれると、探しだすのをあきらめて、新しいのを開封するのも原因なのでしょう。家族に注文されるたびに、探し出すのが面倒なので、「きれちゃってたわ」とか、ボソボソいいながら席をたつのですが、最近では、すかさずチビが、「きのう冷蔵庫にケチャップ3本みつけちゃった!」とか突っ込んできます。
しかたなく冷蔵庫のジャングルをみつめて、発掘のためのあたりをつけていると、ついでにマヨネーズもお願い なんて声が飛ぶと、横から他の家族が、「いっぺんにたくさん頼まない方がいいよ、ママあたま弱いから。」とかヒソヒソいう声が聞こえます。
以前、世界銀行で講演したとき、「カワハラさんにとって一番困難なことは?」と聞かれて「おうちの中」と思わず答えて、会場の失笑をかいましたが、まさに私にとっては、おうちの冷蔵庫は、世界で一番悩みの深い場所なのであります。冷凍庫に至っては、もともと何だったのかは、解凍してみないとわからない、年代物の化石のようなものが次々と発掘されます。
「カワハラさん、冷蔵庫はアタマの訓練箱ですよ。モノの出し入れが激しいでしょ。そのたびに、分類と、取捨選択のお稽古ができるじゃないですか」
まずはモノを減らしてから、動作にあわせて分類しましょうと、ボルネオ密林地帯に分け入り、どんどんモノを整理して、風通しをよくしていかれます。
私は、女子大生ブームに乗って欲望を増長させて大人社会に入ったせいか、できるだけ多くのものをもっていることを豊かさとかんちがえしていて、往生際が悪くて、シンプルライフができないタチだと思いこんでいたのです。
でも、S先生に指導していただきながら、冷蔵庫のモノの分類をしていて
ふと気がつきました。
これって、アタマの情報の出し入れと同じなのですね。これこそ、お勉強の方法論なのではないのかと、思いきってお尋ねしたところ、
S先生は、子供のころから、お勉強は目の前の知識を自分のアタマの中の棚にきちんと整理しておさめて、整えることがお勉強だとおもっていらしたとか。
うゎー、そんなこと考えたこともなかったわ。
手当たり次第、気の向くまま、知識をとりいれ、どんどんお話を膨らませて転がしていくのが、お勉強とおもっており、いつも妄想の迷宮とよばれて、アタマを冷やしてよく整理してからしゃべりなさといわれます。でも、情報の出し入れと同じで、冷蔵庫の整理、これこそが、フレームワーク思考なのですね!
巷のビジネス啓蒙書の類では、マッキンゼー出身とかのお姉さんとかが、思考力の整理方法とかの本をいっぱい書いているのですが、だいたいそういうもの読みたがるひとは、もともと整理の下手くそな人。
ただ読んでも、自分の日常の暮らしには降りてこないので、身にはつかぬもの。ところがです。最近、メールの文章がすっきりしてきた、どうしたの?と仕事仲間からいわれます。
私は実はひそかに冷蔵庫の訓練箱のおかげと思っています。
中国経済、知的財産権、FTAに、治験のガイドライン、ややこしくて、こってりと入り組んだ関係でも、今日も原稿を書きあぐねると、「マヨネーズとケチャップのポケットと、ジャムやバターのポケットは別なのですよ、カワハラさん!」というS先生のお優しいお声を耳の底に孕みながら、冷蔵庫をパタパタ開けて、アタマをクールダウンさせるのでござりました。
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