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(掲載日 2009.10.06) |
戦後初の本格的政権交代により、多くの立法、行政部門で改革・変更・廃止が行われ、また行われようとしている。これに対する共感・賛同と反発・抵抗が拮抗し、私たちは、しばらくの間、政権交代がもたらすであろう痛みに耐えなければならず、その痛みの質と程度、結果が、次期政権選択の判断要因となるであろう。
社会保障制度は、他の領域に比べて国民生活への直結度が強いため、その変化に私たちは敏感である。近年、高齢社会の形成とともに制度の重要性が指摘されるや、医療や年金制度が政争の具となってきたのはそのためである。新政権の下で、国民や当事者からの不平不満が強かった各種制度の廃止、見直しが検討されている。政権交代は、これまでの制度のあり方に批判的な民意を敏感に汲み取った成果ともいえる。
すでに報道されているものだけでも、生活保護母子加算の復活、後期高齢者医療制度および自立支援法の廃止、社会保険病院・厚生年金病院の存続などがある。その後の報道によれば、実現には困難が伴うようであるが、政策転換を実感できる例である。
しかし、このような国家レベルでの法制度の改正がなされても、病院内での医師や看護師の診療・看護、高齢者や障害者への施設・在宅におけるサービスの内容には、劇的な変化は見られない。なぜなら、現場の第一線で患者や高齢者らに必要な行為は不変だからである。たとえば、聴診器を当てる、注射を打つ、食事や入浴の介助をするなどである。これらは、その職に従事する者の核心的業務であり、政権変更や法改正に左右されるものではない。
つまり、立法や予算配分は国会や政府の仕事であり、そこで作られた社会保障制度の実際の運用、つまり担い手は国民と直接に向き合う各種サービスの提供者である。患者や高齢者など、サービスの受け手の視線に立てば、法律改変の結果の良し悪しよりも、自分を担当する医師や看護師、介護士やホームヘルパーの言動が制度の評価に直結しやすい。換言すれば、保険料や自己負担が増えても、それを納得できる対価を得ることができる場合には、不平不満はそれほど生じない。
このことは、いかに社会保障制度の分野が「人がモノを言う」世界であるかを示す。したがって、政策担当者が国民に負担増を納得させようと思うなら、彼らと第一線で接触する職業人のスキルを向上させることが効果的な方法の一つであるといえるだろう。しかし、このスキルが単に技術的な事柄にとどまらないという厄介な点を含んでいる。なぜなら、医療も福祉も人格と感情、そして痛みを持つ人間を対象とするからである。だからこそ、医療職や介護職に就く者には、気配り、配慮、想像力、行動力などに優れた資質が求められるのである。
もちろん、この資質は教職者、あるいは一般企業の従業員にも求められる。それにもかかわらず、なぜ、社会保障分野に従事するものにいっそう求められるのかといえば、それは相手方が弱者だからである。不治の病に苦しむ者と健康そのものの大学生、あるいはAデパートの商品が気に入らない客と、施設選択の余地のない高齢者を同じ土台で論じることはできない。
そして、医療や看護、福祉サービスの従事者に多くのことを求める以上、それに見合う対価と評価を提供することは当然である。政策担当者の役割は、彼らがその職責をまっとうできるように、思う存分活躍できるように制度の土台を作ることがその役割である。これまでの政府にそれが不足していたのなら、新政権は、その役割を果たさなければならないだろう。
加えて、私たち国民、サービスの受け手側もクレームを言うばかりではなく、良いと思うことを積極的に声に出して評価する、つまり「褒める」という姿勢が必要である。日本人はほめることが下手で、そのせいか最近、「褒める技術」を解説したビジネス本が多く出ている。かく言う私も学生を褒めることはあまり上手ではなく、反省の日々である。
どんな立派な法律・制度を作っても、その評価は、それを使い担う人に大きく左右される。これは、前述の通り、あらゆる分野についていえることである。しかし、とりわけ社会保障分野は対象となる相手方が老い、病み、苦しんでいる者たちであることから、制度の担い手には、他分野に比して、いっそう「他者に対する優しさ」が求められるのであろう。
もっとも、この優しさを職種職業に関わらず皆が共有することができたら、ずっと住み心地の良い世の中となるだろう。そんな社会となるよう新政権に期待したい。
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