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コラム
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(掲載日 2009.11.24)

 冒頭から私事で恐縮ですが、私は困難に陥った時、進むべき方向に迷った時などは親しくしている霊感を持った方に相談しています。その回答を100%信じるわけではありませんが、自身の思いなり確信している内容と比較し方向性が同一と確信できたときは安堵感を得ていることは確かです。

 現在の不遇、事業の不振、病気などは祖先霊などの霊魂を祭り、鎮めないからだと指摘されると、ぎょっとし、不安に苛まれるのも事実です。

 霊魂は人間の想念から生まれたものであって、それ自体が自律的に存在しているものでないと思えるので霊魂に縛りつけられ支配されるなどあり得ないと思うものの、「弱さ」の故に何か手の届かない、大きな隠されたものに惹かれ、頼り、あるいはそのせいにして、現実を掘り下げ、真実をつかみ、自ら実践することから逃避しようとする、楽をしようとする心が働いていると言えると思っています。

 わかっているけど、辛いから、というところでしょうか。

 さて、邂逅の機会に恵まれ、駒澤大学名誉教授の佐々木宏幹先生とお話し、『聖と呪力の人類学』(講談社学術文庫)なる著書を頂戴いたしました。呪力について興味深い記述がなされていますが、本コラムに関連のありそうな個所を勝手に引用して見たいと思います。

 明治45年(1912)7月、宮内省は明治天皇の病状について重体に陥ったことを公表。名医たちが次々に宮中に召集され医術の限りを尽くす一方、各地の神社仏閣では、天皇の病気平癒のための祈祷会がさまざまな形で行われたとのことです。

 天皇の一大事という事態に仏教者がどのように対応したかが記載されています。

 曹洞宗を例にとりますと、管長告諭で「御祈祷」を奉修すべしと指令。その御祈祷とは"大般若の転読"とのこと。大般若転読とは経典読誦により生じる"呪力"によってある現象(国家昌平、病気平癒、家内安全など)を引き起こすことを目指すもの、だそうです。全国の本山から末端寺院にいたるまで祈祷会(きとうえ)を行い、仏教的な呪力を産み出し、これを皇居の天皇に向け放射し続けた、ということです。

 そもそも、仏の呪力と王権はどうかかわったのでしょうか?

 『日本書紀』の仏教公伝の記事(552年)に見られますように、当時の人々が仏教を"福徳果報を生じ、祈願をすれば思いが叶えられる不思議な呪力をそなえたもの"と受け取っていたことは事実のようです。

 それでは、王権とは何か。天皇の権威の根拠は決して単純ではなく、政治・社会・文化的諸要因の複合よりなると考えられますが、その神聖性の最大の基盤は余人には絶対に不可能な"天皇霊"の保持者であるという点に求められると、言われています。天皇の権威の源泉はかの"天皇霊なるもの"のヒョウ依(ひょうい)にあり、その主たる役割が日本国の諸神を斎(いつ)き祀ること(祭司)にあるとされています。

 さかのぼって、『魏志倭人伝』にある邪馬台国の女王卑弥呼をあげると、鬼道を事としたとある。自然や人間社会に大きな影響力を持つと信じられる霊的存在を具体的、現実的に慰撫・統御する呪力の保持者であったと考えられています。

 これに対し、大和朝廷の天皇は、霊的存在や超自然力と直接交流する呪力の操作・行使を放棄し、"天皇霊"の保持者とみなされるにいたったと指摘されています。

 巫師はその性質上、神によって動かされる存在で、どのような絶対命令が下されるかわからず、また必ずしも民意に添った宣託があるとは限らないので、大国家の秩序維持と安定にとってはなはだ危険視される人物なのです。だから、天皇は聖なる祭司へと転身したというわけです。

 しかし、祭司王が実現し、中央集権国家が成立しても、霊的存在や力が荒ぶる活動を停止したわけではない。御霊や怨霊、物の怪の跳梁跋扈が激化し、支配層や民衆の心胆を寒からしめたのです。これらを排除するための修法が必要とされたのです。この状態は新来の仏教にとってまたとない活動舞台となった、というわけです。

 そして、この伝統が歴史を貫き明治の御代でも再現された、と理解されています。

 禅宗に関する本を見ていましたら、「月庵仮名法語」が紹介され、「我が心、本より仏なり。仏と云うは、迷わざる心を云ふなり。迷はざる処を悟りぬれば一切の仏菩薩、皆一心に具足して別の体(たい)なし」、とか。仏法にもいろいろあるということでしょうか。
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