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コラム
今週のテーマ
(掲載日 2009.12.01)

 ■日本医事法学会総会

 本年11月29日に大阪大学医学部キャンパスで行われた日本医事法学会総会に出席したので、その模様をご報告したい。日本医事法学会は、今年の39年目を迎える学会で、医事に関する法を研究のテーマとしている。学会員は、医療者と法曹の双方からなり、その人数比率は今回の総会時点で180名対244名である。

 今回の総会のテーマは、大きく分けて@大野病院事件、Aヘルシンキ宣言、B死因究明制度であった。

 ■大野病院事件

 相変わらず関心の高いテーマであるようだった。これだけ聞いて帰るという人もいた。判例が公開され、大野病院事件判決に現れた事実関係をもとに、刑法学者の事案の分析と法的評価が展開された。また、麻酔医・産科医・外科医が登壇し、それぞれの立場から過失の有無などについて分析した。

 刑法学者の法的評価は、判決の結論は妥当だが、法的構成には反対というものであった。早期に子宮摘出に移行することで大量出血の結果を回避することが物理的には可能であったから結果回避可能性を認めるという判決の判断に対し、後方視野的な単なる可能性に過ぎず、法的な判断としては単純に過ぎるのではないかという批判がなされていた。筆者もその通りであると思う。

 チーム医療が当たり前になっている現状では、医療を刑事手続きで処理しようとした場合、共謀共同正犯の枠組みで捉えきれるのか、時的に次々と役割が果たされていった場合に刑責から離脱したと評価できる場合がありうるのか、などといった複雑な問題が生ずるということも問題提起されていた。

 また、大野病院事件で証拠採用された医学文献の少なさに注目して、医療刑事訴訟において伝聞法則(書面の証拠は原則として証拠とすることができず、例外的に相手方の同意がある場合のみ証拠とすることができるとする刑事訴訟法上の原則)を適用することの問題点についても言及されていた。

 なお、大野病院事件に関する報告は、原則として裁判所が宣告した判例のみを素材としていた。したがって、議論の前提となる事実関係の中で確定できない要素が多く、実際に事件に関わって事実関係を詳細に知っている身としてはもどかしいことが多かった。事件記録の閲覧謄写ができていれば、このようなことはない。しかし、日本の裁判所は法学者に対しても事件記録の開示に消極的である。これでは法学研究を科学的に行うことができない。これは事件記録のみならず判例についても言えることで、最高裁判例に限っても、日本の裁判所の判例の公開率は1%にも満たない。これでは法学研究が充分に行えないことはもとより、われわれ弁護士も事案の帰結を予見するための素材を与えられていないということであり、きわめて問題である。また、判例を隠蔽されているのは法曹だけではない。国民も、自らの税金を使って作られている判例にアクセスできない状態に置かれているのだ。裁判員制度で国民が司法に参加できるようになったというが、司法に参加するためには司法の究極の成果物である判例にアクセスできることが最も基礎的な前提ではないだろうか。

 ■死因究明制度

 ヘルシンキ宣言については、紙幅の関係で措き、死因究明制度の議論について触れたい。政権交代によって医療安全委員会の制度化は頓挫している。しかし、包括的な事故調査の制度が必要であるということには異論がないのではなかろうか。医療安全委員会では「医療安全」に目的が絞られていたが、日本医事法学会では医療安全のみならず犯罪捜査、私法上の争いの解決、衛生行政、厚生行政、医学研究など広い目的での死因究明制度の創設が必要であるという議論がなされた。また、日本の死因究明制度は犯罪捜査に偏重しているので、もっと幅広い目的を設定すべきであるとの意見が述べられた。

 具体的な報告事項としては、日本の現時点での死因究明制度の解説に始まり、ドイツやイギリスの死因究明制度についての紹介や、日本の病理医が置かれている現状の報告、日本法医学会が提唱する死因究明医療センター構想などについての報告がなされた。

 死因究明制度というと刑事訴訟手続との関係が気になる。医療安全の確保を目的とする死因究明と、刑事責任の追及を目的とする死因究明は相容れず、医師の自己負罪拒否特権(黙秘権)との抵触が問題となる。この点、死因究明制度と刑事訴訟手続は分けて考えるべきというのが本総会での議論の大勢であった。具体的には、公正取引委員会のような組織を作り、本当にひどい事案だけを早めに刑事訴訟に移行させるなどといったアイデアが提示された。しかし、「本当にひどい事案」というのを、どのような基準でより分けるのかが困難ではあろうが。

 海難審判制度をモデルにすべきではなどという意見も出された。海難審判制度は、@船舶の運用に関連した船舶又は船舶以外の施設の損傷、A船舶の構造、設備又は運用に関連した人の死傷、B船舶の安全又は運航の阻害のみを審判対象とする。審判内容は、行政処分(免許の取消し、業務の停止、戒告)であり、損害賠償請求や刑罰は含まれない。審理は海事の専門家である審判官を中心として行われる。東京では総務省のビルの中に海難審判所が置かれている。筆者も一度傍聴したことがあるが、専門家のみが参加する審判廷では高度な専門用語が飛び交っていた。なお、海難審判は通常の刑事訴訟手続を阻害するものではない。例えば、自衛隊艦艇と漁船が衝突し、30名が死亡した「なだしお事件」では、海難審判と刑事訴訟がともに行われ、それぞれ独自の審判及び判決が下されている。ただし、刑事事件となる海難事故はごくわずかである。

 ■おわりに

 医事法学というのは、刑法学会では一定の学者のみが関与する特殊な分野のようである。過失犯の理論も長らく議論されている割には曖昧なままであり、決定的な理論が確立しているとは言いがたい。しかし、不謹慎を顧みずにいえば、だからこそ解決すべき問題が山積している面白い分野であるとも言える。
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