先見創意の会 (株)日本医療総合研究所 経営相談
MENU
 
コラム
今週のテーマ
(掲載日 2009.02.02)

 「ワタシ凍死しそうなんです!」

 「自分の部屋のエアコンのリモコン見つからなくて、エアコン本体のスイッチでいれると、夏のまんまで冷房になっちゃうし。」

 シベリア低気圧が日本列島を覆い、木枯らしが吹きぬける日、凍えそうになってS先生に泣きついた私。チビが、「ママ、お家の中で寒いからって、ホカロン貼りすぎて、背中がカチカチ山なんだって」と、吹き出しそうになりながら、気の毒がっている。

 この夏、S先生の手際のいい整理整頓の指導方針に、「生まれ変われるかもしれない」と、ゴミ箱を家じゅうに置いて浮かれていたのですが、冷静な連れ合いは「そんなことぐらいで変われるタマかよ」とぼそっと呟やいておりました。でも私は、「ふん、お掃除研究家になって、見返してやるんだもん」と、心ひそかに誓っていたはず、だったのですが・・・・・・・

 S先生は、床の見えない私の部屋の入り口に立って、「本当に不思議ですよね。なんで、こんなに急に散らかるのでしょう?」と考え込んでおられます。

 学会の直前準備のため、ほんのしばらく気を許したのですが、「あらまぁなんていうことでしょう?」 もう手のつけられない状態になってしまったのであります。

 「カワハラさんは、大事なことが、次々凄いスピードで移っていくのですよ。

 だから通常考えられるスピードの数倍の速さでモノがシャッフルされていき、モノがちらかっていくのです。これはお片付けの習慣をつけるというより、脳みその思考パターンから攻めていったほうがいいかもしれませんね。」

 情報には、領域の横の広がりの分類とは別に、その処理の時系列による分類の軸があるというのが、S先生に作っていただいているフレームワークなのですが、私は、情報の処理のスピードが、アタマの思いつきと、実際の情報処理で時差があり、興味の対象から外れると、戦前の満州国の貴重な資料もふんづけて歩いてしまう、バチあたりなのでありました。

 しかしながら、情報の階層化のできないまま、かたづけをすると、情報の死蔵につながりかねず、すぐに取り出せるタグをつけられないのであれば、視覚的に認知できる範囲に出しっぱなしにしておいたほうがマシというのが、先生のご指導方針ではあります。

 「重要とそうでないかの区別に、アタマが反応しないのはこまりましたね。でも、まあアタマは取り換えるわけにはいかないので、サクサクやっていきましょう。」

 「どんどん視点が移動することは、根性で追いかけて、フォルダーを増やすしかないですね。その場合、領域を、作業の進度別にわけてくださいと、同じサイズのそろいの紙袋を用意するよう」にとS先生はおっしゃり、「終わったら、関連のものは、全部袋に投げ込んでください。次の作業にかかるととりにここまでくるんですよ。」

 まるで、幼稚園の子供に指導するように、作業手順と動線を細かく分解して教えてくださいます。わぁ、これだったら、私にもできるかもと、さっそく近所のラッピングショップに駆け込んで、エメラルドグリーンのきれいな袋をたくさん用意して、分野ごと、作業手順ごとに投げ込んでいきました。

 途中、仕事の書類に混ざって、先日探し物のときにひっくり返して懐かしがってしまった思い出の品々も出てきます。

 お兄ちゃんの幼稚園の作品とクリスマスにママにくれたお手紙、これは、お姉ちゃんの小学校のときの文集だわ、あら、父がシベリアのラーゲリに収容されたときの調書、あら、お姉ちゃんが白金のチョコレート屋さんでママのためにと幼稚園のときにはじめて買ってくれたときの包装紙と、手にとってはフォルダーをどんどん増やしていくと、

 「みんなの思い出は、なつかしがっているのは、今のところママのアタマの中だけのようですから、一つのフォルダーにしましょう。」

 と一緒にまとめて袋がいっぱいになると、さっと封をなさいます。

 「なつかしがって、またひっくり返すでしょ。ほかの情報と混ざらないよう、封印をして作業を完了しておくのです。」

 「先生は人間リタリン(ADHDの多動行動を抑制するとされる薬)なんですね!」

 と思わずいってしまいました。

  目の前の書類と本の山から床が少しづつみえてきます。古層が幾重にも重なって、長年の情報の堆積がシャッフルされかねない時期と違い、散らかり始めてからの時間の経過の短い時期であれば、S先生の今回のご指導の袋わけ整理法は、サクサクと分類が進むということがわかりました。

 そして、本棚の隅の日経BPの「知の構造化ミッションの本」と、「アンアン」の切り抜きの山の下から、ようやく待望のエアコンのリモコンが発掘されたのです。

 散らかり始めたら、すぐに軌道修正することが大事だわと、嬉しがる私に、

 「カワハラさんは、ほんとうは片付いていないお部屋のほうは好きなのですね」

 と、やはり、さすがのS先生はお見通しでありました。

 わたしは、久しぶりに出逢えたエアコンのリモコンを撫でながら、うんと頷いてしまいました。

 白状すると、机周りを整頓すると、研究対象との心理的距離に変化が生じ、片づけると、肩の荷が下りて、アタマがすっきりしてしまうので片付くと、ある種の知的生産力は低下するのです。

 先日の学会の前も、思い悩んで、書類棚をひっくり返して、自己嫌悪の混沌の中から、ふいに大枠の枠組みの視点が浮かび上がってきたのです。

 無関係なものをバラバラにアタマの中にとどめておいて、それらの情報に圧迫されそうになりながら、情報の処理をしていくことで、新しいブレークスルーは生まれたりということは、きっと多くの人が経験しているでしょう。

 創造力は、目の前の対象物への眼球運動によってもインスパイアされるなんて論文もありました。情報処理の脳のフィルターは「漏れやすい」ほうが、取り組んでいる問題とは関係ない思考が意識に侵入して、解決のヒントを示してくれるため、創造力が発揮しやすいんだそう。

 そういえば、研究者の中にも、研究室の中のうず高く埋もれる資料、PCの中で迷子になっているメール、それらを探して、右往左往しているひとのほうが、結構面白いことをやっていたりします。

 アメリカのリーダーシップ論の中でも、俯瞰の視点を持つための様々な生活の工夫が書かれていましたが、細かいこと、整理される目先のことから目を離し、混沌をバルコニーから眺め渡してみる。逆に、組織の中の知的活動の温度を下げるためには、現状の整理整頓、細やかなことをていねいにみていかせることが必要とされます。

 ことほどさように、ヒトの思考とは、なかなかやっかいではありますが、持続可能、共有可能な知性に仕上げていく作業には、人間の日常の暮らしの生活技術の確かさが必要であり、それこそが、そのひとの芯のところを支えるものであることは間違いないでしょう。

 日常の暮らしが安定してこその、知的活動なのでしょうから。

 そして、この夏ボルネオのジャングルから解放され、我が家の冷蔵庫は、私のアタマの訓練箱として、しっかり機能しておりまする。
javascriptの使用をonにしてリロードしてください。
コラムニスト一覧
(C)2005-2006 shin-senken-soui no kai all rights reserved.