|
(掲載日 2010.06.22) |
最近ちょっとした会合の折によく年齢を尋ねられるようになった。正直に生年をいうと、多くの場合、歳より若いといわれる。
70歳には70歳相応の風格・風貌・威厳などのイメージがあり、それに比べ青二才だといわれているのか、70歳位の者が一応に老ける姿=頭が禿げ、背中が曲がり、足元がおぼつかない、話しぶりはもたもた、記憶は怪しげ、社会的興味はほとんど失っているなど=に比べその水準に達しない程度の姿を保っているといわれているのか、わからない。
老年にふさわしい威厳が薄れてきていることは一般論として認めるが、他方、いつまでも元気で若々しい姿がもてはやされるのも少々おかしい。
明治の、オトコ・サムライ・重厚・矍鑠・枯淡といったような「老人像」は、現代において実行もできなければ、実現しようとも思わない。かといって、老醜を人前にさらすのはもちろん避けるべきだ。
考えてみれば、この時代に望ましい老人像がはっきりしないことは否めない。いまは、21世紀にふさわしい「老人像」が形成される過渡期かもしれない。
以下、時代にふさわしい老人像の基準作りにあたって、いくつかの思いつきを述べることとする。
- 人間は死亡率100%の生き物。誰でも必ず年をとり、終着を迎える。自分が衰えを感じ始めたら、この明白な事実を素直に受け入れ、老いを嫌がるのでなく、生命の自然の流れと受け止め、自然態で老いていこうという覚悟を作り上げ、見事に老いて決められた通りに死んでやろうという気力を保持するようにする。
- 人口統計における自分の平均余命を足がかりに自分の体力・気力を自分なりに計算し、終着年齢を自分なりに想定し、毎年、足し算でなく引き算であと何年かと自覚し、その間に自分が本当にしたいことを羅列し、優先順位をつけ、順位の高いものから実行するようにする。
- お付き合いは、お金が一番とだけしか思っていない人とはしないと決める。若い人に「長老」と慕われるような集まりを作る努力をする(「お金のことはさておいて」と仙人のように若い人に威張れるだけの仁徳と慈悲の心と貫録を備えねばならないが)。つまり、老いに伴い仮に粗相などのヘマを仕出かしても周りは当たり前と受け入れ、さっと処理して何もなかったかの如く振る舞ってくれるような人々とお付き合いし豊かな人間関係を築くようにする。
- 気力・体力が衰える過程においてさまざまな病が起きる。衰えを具体的な病 までに発展させない自己努力をし、あわせて医療環境を整える(かって、ピンピンコロリン(PPK)を信奉し提唱もしたが、この際、謹んで訂正させていただく)。衰えを前提に、その状態とうまく付き合い、いわば未病の段階で食い止める生活を行い、それを支えてくれる医療環境を作り上げるようにする。
高齢になれば、若い人と同水準の「回復」「快癒」が望めるわけがない。例えば「血糖値を厳格にコントロールすると、ストレスから逆に患者の死亡率は高まる」といった米国の研究成果もあるとのこと。
患者ないし予備軍に「要求」や「脅し」を行うのではなく日常生活の質を重んじる姿勢の医療従事者を見つけ出し指導を仰ぐこととし、未病息災を実践するようにする。
次に、温故知新というわけで、貝原益軒先生の名著「養生訓」からヒントを探すこととする。ご存じの通り、この先生は、江戸の初期に85歳の長命を得て、71歳まで勤めを果たした方。この本が刊行されたのが1714年、益軒先生84歳のときで死去する前年にあたる。
以下、全くの自己流で主に養老に関する部分を引用させてもらう。
- まず、心気を養うこと。「養生の術は先心気を養ふべし。心を和にし、気を平らかにし、いかりと慾とをおさへ、うれひ・思ひすくなくし、心をくるしめず、気をそこなはず、是心気を養ふ要道なり」
- 天を畏れ、身を慎む。すなわち「頃合い」「ほどほど」「腹八分」の中庸を保つ。晩年の節度を保ち、雑事を避ける。また、外出時や寒暑に用心。
- そのうえで、心静かにして従容として残った年を楽しむ。ただ心にある本来的な楽しみを楽しんで、胸中にわずらいなく、天地四季、山川のよい眺め、草木の繁るを欣びながら楽しむのがよい。聖人の経書を声を出して読み、心を清め俗念を取り去る。また世俗と広く交際してはいけない。(しかし、老いてから寂しいのはよくないので、子たるもの、親の心を慰めるがよい、と。)
- 薬の乱用を戒めている。処方は必要最小限に調薬されたものに限る。「老人は殊に食補すべし、薬補は、やむ事を得ざる時用ゆべし」また、老人の食事は「あらき物多くくらうべからず。精しき物を少しくらうべし」。間食はさける。
さすが益軒先生といいたい。現代版を探すにあたり、我々は江戸初期の知恵を超えていないのだろうか。
--- 岡光序治 (広島県在住)
|
|
|
|