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(掲載日 2010.07.13) |
その一言があれば・・・
はじめに
「お役所」の窓口対応が、以前に比べてずっと良くなっている。一昔前は、高飛車、高圧的態度がその特徴とされ、笑顔を見ることなどはめったになかったはずである。それが今では、低姿勢で丁寧に説明をしてくれる。役所の壁に「親切第一」などと書かれたポスターが貼られているほどである。世間の厳しい目にさらされ、役所もまた変革を余儀なくされている。
ところで社会保障行政は、社会的弱者、すなわち経済的困窮者、高齢者、障害者、児童などを対象とし、そして複雑である。それゆえに、窓口担当者の説明、配慮が役所を訪れた者たちの制度適用に少なからぬ影響を与える。
つまり、知識・経験ともに豊富で高齢者などに対する配慮が深い行政担当者に当たれば、きめ細やかな行政サービスを享受し、その反対に、無知で想像力が欠如した担当者に当たれば、受けることのできるものさえ得られないはめになる。
しかし、利用可能な制度をどの程度、一般にあるいは個別的に周知、情報提供するかは法律などで決められていない。そのため、後になってトラブルが生じることがある。
1.窓口での情報提供義務
行政窓口での情報提供・説明が不十分であったとして原告の損害賠償請求を認めた判決が最近、出された。東京高判平21.9.30判時2059号68頁である。
事案概要は以下の通りである。原告が被告市の職員から長女Aの身障者手帳の交付を受けた際に、Aの鉄道・バス運賃については5割引きとの説明を受けたが、介護者となるべき者についての運賃割引制度の説明を受けなかった。そのため原告はAの介護者として鉄道・バスに乗車した際に正規料金を支払い、割引額相当額との差額を余分に支払ったことが後に判明した。そこで原告は被告市の職員に説明義務(情報提供義務)違反があったとして被告市に対し損害賠償を求めたというものである。
原審さいたま地判平20.6.27は、民間企業(JR、等)の割引制度等に関する情報提供義務を定めた法令はないとして被告市の説明義務違反を否定し、原告の請求を棄却したので、同人が控訴したものが本訴である。
2.地方自治体の情報提供義務
東京高裁判決は概要以下のように述べて、地方自治体の情報提供義務の存在を肯定した。
すなわち、市町村は障害者自立支援法2条1項柱書および2号により障害者の福祉に関し、必要な情報提供を行なう責務を負っており、障害福祉サービスである「行動援護」の内容である常時介護を要する障害者の外出時における移動中の介護等の便宜供与が「福祉に関し、必要な情報」と定められていること(同法5条1項・4項)を考慮すれば、介護者にも運賃割引があることは、身障者福祉法9条4項2号に言う「身体障害者の福祉に関し、必要な情報」に該当し、市町村の職員は関係者に対して、割引制度について情報を提供すべきである、というものである。
過去の類似事案として、児童扶養手当制度の周知義務の存否を争ったケースがある。この判決、大阪高判平5.10.5は「手当制度の広報、周知徹底は国の法的義務ではなく、法的強制の伴わない責務にとどまるものであるから・・・直ちに損害賠償義務等の法的効果が発生するものではない」と述べて、結局、原告の請求を棄却した。
このような前例があり、かつ本件原審も情報提供義務を否定する中で出された本判決は、意義深い。
3.義務とサービス
役所の担当者が市民に対して「そのひと言」を言うべき義務があったのに、言わなかった場合には、義務違反となり、それにより生じた損害を賠償しなければならない。他方、「そのひと言」がプラスアルファの「サービス」である場合には、そのサービスを受けることができなかったからと言って、当該市民は役所に文句を言える筋合いではない。つまり、親切でないことを責めることはできないのである。
行政サービスのすべてを義務化できないことは言うまでもない。最低限、これだけのことをすれば良しとする仕組みは、限られた人員で、迅速に行政実務を処理するためにやむを得ないだろう。また、自律した個人は権利を享受しようとするとき、自ら進んで行動することが求められると言う視点に立てば、役所にプラスアルファの親切を求めることはできない。
しかし、社会保障の分野において、その給付を求めようとする者は、要領がよく抜け目のない者ではなく、前述の通り、社会的弱者なのである。彼らに、一般人と同様の情報収集・分析能力、役所との丁々発止のやり取りを求めることは酷であろう。
まとめにかえて
社会保障給付を必要とする市民の側にも、知る努力が求められる。前掲大阪高判は、「原告らから、窓口の担当者に対し、受給可能な何らかの給付制度があるかどうかについて、具体的に質問したようなことはなく、そのため窓口の担当者から手当の受給に関して情報を提供することもなかった」と述べ、まずは受給者側からの能動的・積極的な行動を求めている。
とはいえ、制度や法令に関する情報量は圧倒的に役所が優る。聞かれたことにしか回答しない対応のあり方は、少なくとも社会的弱者との間では適切であるとはいえないだろう。「そのひと言」が仮にサービスのレベルであっても、役所の側には、有益な情報を市民に伝える配慮を期待したい。
もっとも、担当職員が関連制度を熟知せず、かつ、訴えてきた当該住民が何に困り、どの制度を適用するのが最も適切かを理解できないならば、配慮ある情報提供はできない。
不況の中、公務員人気は衰えず、公務員試験合格・採用は至難の業である。言い換えれば、難関を突破した優秀な人材が役所には大勢いるはずである。彼らの能力が遺憾なく発揮されるならば、 社会保障の分野に限らず、行政実務は格段に向上発展するのではないか。もし、そうならない・そうなっていないのならば、公務員試験の意義を問いたい、と思うのは私だけではないだろう。
--- 片桐由喜 (小樽商科大学商学部 教授)
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