(掲載日 2010.07.27)
―判例公開率0.9%の衝撃―
1.日本の判例公開の現状
医学は、膨大な臨床データの蓄積を活用することによって成立する経験科学の側面を持つ。医学において、臨床データを自由に使えず、それが共有されないと、医学の発展が実現し得ないことは自明であろう。
しかし、法律の世界では、その自明の理が通用しないようである。というのは、日本では、法律家がその判断の基準とする臨床データともいうべき判例がほとんど公開されていないのである。
司法統計によると、平成20年の最高裁の既済事件件数は8954件であるのに対し、公開された最高裁判例の数は、81件に過ぎず* 、公開率は0.9%に過ぎない。下級審まで含めて見た場合、判決だけではなく和解や取下げも含まれているので正確な数字ではないが、公開率は0.1%程度にとどまるものと思われる。
*日本弁護士連合会・弁護士業務改革委員会調べ
2.判例公開の必要性
実は判例の法的拘束力が明文で保障されているわけではない。しかし、現実には実務法曹は判例を基準に裁判所の判断を予測しており、法規範の一部をなしていると言える。にもかかわらず、上述のように判例が公開されないまま適用されている実態は、適用されるルールがよく分からないまま、手探りで結果を予想しているようなものであり、国民の法的予測可能性を大きく損っていると言える。言い換えれば、われわれは法規範の大半を知らないまま、法を適用されているのである。これでは法治国家の看板を掲げていていいのかという疑問すら湧いてくる。
国民の司法参加のためにも、判例が公開されていることが必要である。裁判の適正さが確保されるためには、どのような判決が下されているのかを国民が知る必要がある。よく「裁判官は世間知らずだ」と言われるが、本当に裁判官が世間知らずかどうかを知るためには、裁判官が書いた判例を検討する必要がある。しかし、そのための材料をわれわれは与えられていない。これでは、裁判所の恣意的判断で、「よい判例」のみが公にされ、「悪い判例」が隠蔽されているのでは?という疑いも生じてしまう。
3.判例公開の拡大は世界的潮流
諸外国を見ても、最高裁レベルでは100%の公開率の国が多く、日本よりも公開率の低い国はほとんど見当たらない。アメリカでは高等裁判所レベルでも100%の公開率であり、判例のみならず、手続き自体をストリーミングで公開しているところもある。
世界では法情報を無償で提供する流れが加速的に広まっている。59の国と地域が参加しているLII(Legal Information Institute)という組織は、各種の利害関係人(政府、裁判所、出版社、その他企業、弁護士会など)による共同出資で、非営利の判例データベースを構築し、無償で国民や各種団体に判例を提供している。裁判所はLIIに対してデータを提供するのみでよく、自らデータベースを運営する負担を負わないのである。
LIIが各国のLIIの代表者を集めて2002年に開催したモントリオール会議では、「全ての国々や国際機関が発する公的な法情報は,人間の共通財産の一部である。この情報へのアクセスを最大化することは,正義と法の支配を促進する。」との宣言が採択された。
4.司法制度改革審議会での意見
このような判例公開の必要性は、実は日本においても既に公的な場で確認されている。内閣が設置した司法制度改革審議会は平成13年6月12日の意見書で、国民の司法参加を実現するために整備されるべき条件の一つとして、司法に関する情報公開の促進を挙げており、「判例情報をプライバシー等へ配慮しつつインターネット・ホームページ等を活用して全面的に公開し提供すべきである。」としている。
この司法制度改革審議会の意見書では、国民の司法参加の柱の一つとして裁判員裁判の実施が提唱され、それは莫大な予算を使って実現されたが、その何十分の1のコストで実現でき、かつ、国民の司法参加に与える影響は、裁判員裁判以上であると考えられる判例公開の拡大は忘れ去られたままなのである。ごく一部の裁判にごく一部の国民が参加する裁判員裁判と、全国民に全判例へのアクセスを可能とする判例公開では、そのインパクトがまったく違う。
5.デジタルデータでの提供は容易
判例の公開拡大は、実現可能性の面から言っても容易である。なぜなら、既にほぼ100%の判例がパソコンなどで作成されており、電磁的な方法で記録されているからである。したがって、判例を紙媒体ではなくデジタルデータの形で提供する基盤は整っている。
デジタルデータでの公開は、検索可能性の向上に資するほか、紙媒体での情報をデジタル化する際の誤字発生の問題を解決することにも役立ち、各出版社が抱えていた不要なコストを削減するメリットも有している。環境面・コスト面でも紙媒体による配布より優れている。
6.プライバシーへの配慮
ただし、判例を公開するに当たっては、プライバシーへの配慮も必要である。特に、一定類型の刑事訴訟、不法行為訴訟や家事紛争などの判例は、無制限な流通になじまない。また、法的予測可能性の担保などの視点からは、必ずしも判決において固有名詞が明らかにされる必然性はない。したがって、原則として仮名処理を行ってから公開するという配慮も必要であろう。
しかし、国民の司法参加という観点からは、判例の公開が、国民的関心のある判例についての告知機能を果たすという視点も重要であるから、仮名処理には一定の例外も必要だろう。
7.まとめ
このように判例公開の必要性は差し迫ったものであり、かつ、その実現のための技術的・金銭的ハードルもそれほど高くないものと考えられる。しかるに、判例公開に向けた世論はそれほど高まっていない。これは法曹だけでなく国民全体も、このような事態に慣れてしまっており、違和感をもたなくなっているという状況にも由来するのかもしれない。当たり前の状況を実現するために声を上げていかなければならない。
--- 平岡敦(弁護士)
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