社長と組織にリスクが見えているか
岡部紳一 アニコム損保 監査役・博士[工学]
“リスクとは何ですか?”
いつも大学院のリスクマネジメント講義の冒頭で、この質問を投げて社会人学生の全員から、直に回答を聞いている。模範正解は1割ぐらいにとどまるが、災害や事故などすでに発生した事象と回答する学生がいつも2割ぐらいいる。リスクは発生する可能性のある不確実性と定義される。いったん災害や事故が発生すると、ややこなれない日本語であるが「リスクが顕在化する」と表現されるが、もはやリスクではない。不確実性がリスクであるので発生してしまった事象とは、明確に区別して認識する。つまり、リスクはまだ発生しておらず見えない。
数年前に中小企業を対象に事業継続計画(以下BCP) についてアンケート調査を実施した。BCPでは、災害や事故による事業中断のリスクを対象にする。積極的にBCPを導入する先進的な中小企業もあれば、全くその意図のない企業もある。企業がBCPを策定する理由は何かを分析した。その理由は明解だった。「社長がBCP策定を指示」するからである。業界やライバル社がBCPを策定しているなどの外部要因は上がってこなかった。社長が決断しないとBCPは策定されない。次に、社長がBCP策定を決断した理由として下記の3項目が特定された。
①自社態勢に不安である。
②自分が社長の時に会社を潰せない
③営業上のプラスになる
社長が、自社の状況において災害や事故による事業が中断するリスクを具体的にイメージして、発生する恐れがある被害や深刻な影響(自分が追及される責任も含め)を認識し、対策を実施しなければならないと決断したといえる。本業にとって、余計な取組みではなく、営業のプラスになると気づいた点も重要である。リスクが見えるとは、例えば地震リスクについて、漠然と地震が発生したらどうなるだろうかと予想するだけでは不十分である。自社の所在地で想定される地震の程度や発生する具体的な建物や設備の損害の状況について、よく把握しているだろうか。冒頭で挙げた大学院生とのやり取りでも、震度6レベルの実施で、事務所がどのようになるか具体的にイメージできる人は少数である。
本稿を執筆中に、ナショナルジオグラフィック誌に、人のリスク評価に関する興味深い記事を見つけた。(※注1)一部抜粋すると、「人間のリスク評価と意思決定にはふたつの方法がある・・・反射的かつ感情的なプロセス(経験的思考あるいは直感的思考)、もう一つはゆっくりとした、より分析的なモードだ。」さらに、「自分は特別だと考え・・・自分がよくない結果を経験する可能性は低いと思ってしまう・・・楽観バイアス」があるという。
リスクが見えるとは、この記事の表現を使うと、直観的または経験的な思考だけでなく、分析的モードでも考察し、自分たちは安全と思い込んでしまう楽観バイアスを意識的には辞意することである。企業のトップにリスクが見えていたとしても、はたして組織としてリスクを認識しているといえるだろうか。
今年も昨年に続いて、いままでにないような風水害が日本各地で続発している。昨年10月、私も協力して風水害とBCPに関するアンケート調査を実施したので、その調査結果から、組織としてリスク分析の一面を考察したい。(※注2)アンケート調査質問票に、「リスク分析が難しいか」の質問もあり、回答は5つの選択肢「5:全く思わない、4:少し思う、3:半々、2:かなり思う、1:強く思う」から選んでもらう方法を採っている。その1~5の回答毎の5つのグループに分けて、この質問と相関関係が認められた他の質問14項目に対する回答の平均値を計算し、表示したのがグラフ1である。
グラフ1 “リスク分析が難しい“と相関のある項目(5つのグループ比較)
グラフ1を見ると、5つのグループのグラフ線はほとんど重ならず、5つの図形が描かれている。“リスク分析が難しい”の質問に、「5:全く思わない」と回答した5Gは、他の14項目でも平均値が最も高く、あまり難しいと思っていない。一方「1:強く思う」と回答した1Gは、14項目でも平均値が最も低く、これらの課題についても、“かなり思う”レベルの回答となっている。その2つのG間に、4G,3G,2Gが重ならず段階的に図形が小さくなっている。
個別に主要な項目を見ると、“策定に必要なスキル・ノウハウ”, “被災想定”や“目標復旧時間の設定”、“重要業務の絞り込み”など、BCP策定に重要なプロセス及び必要なノウハウに関する課題である。リスク分析はBCP策定の最初の段階の重要なプロセスであるので、リスク分析が難しいと他のBCP策定のプロセスにも影響を与えることは理解できる。
また、“定期的な見直しが難しい”、“検証や監査が難しい”など組織の取組み活動のPDCAが難しいことを示す項目も挙がっている。これらが“リスクの分析が難しい”と相関しているのはどのように理解すればよいのか。
グラフ2 “リスク分析が難しい“と弱相関のある項目(5つのグループ比較)
グラフ2では、“リスクの分析が難しい”と弱い相関を示す11項目を示した。グラフ1と同様に5つのグラフ線の図形が一部を除き重ならずに描かれ、5Gが外側、1Gが内側にあり、4G,3G,2Gへと図形が小さくなっている。11項目の示す課題についても、リスクの分析が難しいとの質問の回答レベルにそれぞれ相応した回答レベルとなっている。
個別に見ると、“トップの意識が低い”、“経営の理解が得られない”、“現場の意識が低い”、“各部門の協力が得られない”、“部署間の連携が難しい”、といった組織運営上の課題というべき項目が挙がっている。 “リスクの分析が難しい”と、これらの組織運営上の課題も難しいに対する回答が弱い相関性ではあるが、同じ傾向を示しているのは何を意味するのか。
組織にとって“リスク分析が難しい”かどうかは、組織のリスク感性をあらわしていると思われる。リスクは直観的に感じることもあるが、“楽観的バイアス”に陥らないようにするには、直観や経験だけに頼らずに、必要な情報を入手して客観的かつ分析的に考えることも必要である。組織がこのような思考を継続的に実施できるかどうかである。トップにリスクが見えていても、組織として、リスク感性がよく、リスク分析が適切かつ有効に実施できているとは限らない。グラフ1で示した“リスク分析が難しい”課題と相関を示した組織活動のPDCAや業務環境は、この組織の継続的に取組みができるかどうかを示している。
グラフ2では、トップや現場の意識、部門間の協力関係など、組織運営上の課題の関連した項目との弱い相関を示したが、これらも組織内でリスク感性を共有し、リスク分析をして継続的に実施するする土台があるか否かに密接に関連している。組織に危機的な状況をもたらせる可能性のある災害リスクに対して、想定される非常事態のイメージは共有され、社員が個々に対応すべき役割が十分認識されているといえるだろか。本稿で取り上げた“リスクの分析が難しい”かどうかの質問は、自社の体制を知るうえで、一つの指標となりうると思われる。自問自答してみてはいかがであろうか。
【脚注】
※注1ナショナルジオグラフィック、「コロナ下の行動を大きく変えてしまう『心理』」の秘密~人々の行動を左右するリスク評価、その心理的プロセスから楽観バイアスまで」(2021年8月4日掲載)
※注2リスク対策.com、「組織における風水害対策とBCPに関する調査」(2020年10月31日掲載)
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岡部紳一(アニコム損保 監査役・博士(工学))
◇◇岡部紳一氏の掲載済コラム◇◇
◆「国境を超えると値段が違うか」【2021.6.3掲載】
◆「レジリエンス、組織の心、人の心」【2021.3.2掲載】