「子宮頸がんワクチン」問題
清宮美稚子 (編集者・『世界』元編集長)
新型コロナワクチンの議論がホットな中、その陰に隠れるようだが、別のワクチンをめぐって動きがある。子宮頸がんの原因となるHPV(ヒトパピローマウイルス)への感染を予防する、いわゆる「子宮頸がんワクチン」である。
◉2020年7月、HPVワクチンのうち、9種類のHPVへの感染を防ぐ9価ワクチン「シルガード9」が承認され、2021年2月24日に発売された。「子宮頸がんの90%以上を防ぐ」として先進国ではすでに主流となりつつあるワクチンである。
◉2020年12月25日、厚労省は4価ワクチン「ガーダシル」の接種対象に9歳以上の男性を加えることを承認した。HPVは男性もかかる病気(中咽頭がん、肛門がん、陰茎がん、尖圭コンジローマ等)の原因ともなるウイルスで、ワクチンの接種はそれらの予防にもなる。HPV感染は性交渉による場合がほとんどであり、「男性が接種することは、大切なパートナーを病気から守ることにもなる」。
HPVワクチンは、史上初めて「がんを予防する」ワクチンとして登場、商品化された。日本では2009年に承認され、2013年4月、小学6年~高校1年の女子は無料で接種を受けられる「定期接種」となった。だが、その前後に、ワクチン接種後の全身の痛みなど深刻な副反応の訴えが多く寄せられたため、たった2カ月後の同年6月、厚労省は「定期接種」の位置づけは変えないまま、対象者に個別に接種を呼びかける「積極的勧奨」を中止すると決定した。そのため接種率は激減し、現在は1%にまで落ちているという。
ところが最近、上述したように、9価ワクチンや男性も接種対象とすることの承認など、「子宮頸がんワクチン」をめぐって「風向きが変わってきた」として、メディアも改めて注目し始めていた。そして、2021年10月1日、筆者にとっては衝撃的なニュースが飛び込んできた。
「子宮頸がんワクチン接種、積極的勧奨再開へ、厚労省部会が容認」ーー
「厚生労働省の専門部会は1日、2013年以降中止していた積極的な接種勧奨の再開を認めることで一致した。今後、厚労省は再開に向けて、中止期間中に接種機会を逃した人への対応や副反応が出た場合の相談体制の整備など具体策を検討する。 専門部会は、海外の大規模研究で予防効果が示されていることや、接種後に生じた痛みなどの症状に苦しんでいる人への支援策が行われていることを踏まえて『積極的勧奨の再開を妨げる要素はない』と判断した」(10月1日、共同通信)
なお、年内に結論を出す見通しで、定期接種の対象に男子を加えるかどうかの検討も進めるという。
これに対して、「HPVワクチン薬害訴訟全国原告団・弁護団は1日、東京都内で会見し、原告の20代女性がオンラインで『接種から9年経つが、治療法もない。新たな被害者が出てしまう』と訴えた」(10月1日、産経新聞)
年内にも結論を出すというのは、早すぎないか。このワクチンをめぐっては、いくつもの課題や疑問がある。
まず、副反応の問題である。ワクチン接種後、重い副反応に苦しんでいる被害者たちを原告として2016年、東京、名古屋、大阪、福岡の4地裁で一斉提訴が行われ、現在の原告は130名という。原告団代表の酒井七海さんの訴えを読むと、その過酷さに言葉を失う。ワクチンは必ずリスクを伴い、少数生じる被害者にどう対応するかという問題がある。しかしこのワクチンの被害者の方たちは、接種後の反応を「心因性の反応」、「ヒステリー」や「詐病」などと言われ、症状が正確に把握されず、病気と認めてもらえず、「医療から、社会から、理解されない」ことに最も生きづらさを感じているという。
たとえば以下の記述。「子宮頸がんのワクチンは、わが国において『思春期の少女だけ』に接種されることになった初めてのワクチンだ。『ワクチンによって患者が生まれた』のではなく、『ワクチンによって思春期の少女にもともと多い病気の存在が顕在化した』、そう考えるのが自然ではないだろうか」。これはジョン・マドックス賞を受賞した村中璃子氏(医師・ジャーナリスト)の『10万個の子宮――あの激しいけいれんは子宮頸がんワクチンの副反応なのか』の一節だが、これを読んでドキリとしたのは私だけではないだろう。この本と、斎藤貴男氏(ジャーナリスト)の『子宮頸がんワクチン事件』を読むと、同じ問題を扱っていながらこうも違うのかと愕然とする。
ワクチンの有効性についても疑問がある。たとえば、その効果の持続時間について。効果はほぼ一生続くという人もいるが、どこまで証明されているのか。緒方妙子氏(九州看護福祉大学)はこう指摘する。「(思春期に接種した場合)性活動が活発になると予測される成熟期には効果が期待できないとも考えられる。すでにウイルスに感染している人には効果はない。予防接種を受けても、子宮頸がんの定期検診は受ける必要があり、がん予防という点からいうと、ほとんど有効とは思えない」(「判然としない子宮頸がんワクチンにどう向き合うべきかーーリプロダクティブ・ヘルス/ライツの視点から考える」)
また、ワクチンの「負の有効性」という言葉を筆者は初めて知った。「ワクチンは以前にHPVに曝露した女性に対しては、予防効果はないかもしれない」と開発した製薬会社自身が述べているが、彼らが述べていないのは、ワクチン接種によって「以前にHPVに曝露した女性は子宮頸部の疾患に対してリスクが増大する可能性があるということである。(中略)性体験のない子どもにワクチンを推奨することで、いわゆる『負の有効性』問題の回避を図ったように見受けられる」(メアリー・ホーランド他『子宮頸がんワクチン問題ーー社会・法・科学』)
筆者自身は、前から気になっていたことが一つある。HPVワクチンがそんなにいいものなら、なぜ「男の子」の接種を進めないのか、男性の接種のほうが有効なのではないか、ということだ。実際、上述したように日本でも最近、男性への接種が承認されたし、世界的に見ても、オーストラリアが有名だが、男性も接種する国は増えている。
「ワクチンの女性化」ーーこの問題については、渡部麻衣子氏の「ジェンダー分析的視座から見るHPVワクチンのもう一つの問題」が示唆に富む。「性行為をしてほとんど全ての人が感染するウイルスを予防する責任を、一方の性にのみ課すこともまた、不当且つ非科学的ではないだろうか。特にそれが副反応のリスクを伴うのであれば尚のこと」
結局は、ベネフィット/リスクの枠組みだけでなく、性教育も含めたリプロダクティブ・ヘルス/ライツ全体の問題の一つとして、「子宮頸がんワクチン」問題を捉え直す必要があるのではないか。
「リプロダクティブ・ヘルス/ライツの真の意味は、飛沫感染でもないHPV感染の予防のために、ワクチンに頼ることなのであろうか? 女性として成人し自己決定できる前に、すべての未成年女子にワクチンを義務化することであろうか? 大人たちは何か勘違いしているように思えてならない」(前出、緒方妙子氏)
なお、先に引用したメアリー・ホーランド他『子宮頸がんワクチン問題』は、みすず書房から2021年8月に刊行された大著である。日本だけではなく、同様の副反応がデンマーク、アイルランドなどの国々で起こっていたことも詳述されている。臨床試験の信頼性や製薬会社の宣伝戦略の実態にも詳しい。この小文に一部を引用しただけでは全く不十分で、バランスも欠くだろう。ぜひ専門的知見をお持ちの方々に、この本をもとにして議論を闘わせてほしい。ちなみに、斎藤貴男氏の本には、2014年12月10日に行われた日本医師会・日本医学会合同シンポジウム「子宮頸がんワクチンについて考える」の緊迫した様子が活写されている(「日医NEWS」の報告はそれよりずっと穏やかであるが)。
年内に結論を出すような拙速に陥らぬよう、議論を活発化することに、日本医師会も注力してほしいと思う。
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清宮美稚子(編集者・『世界』前編集長)
◇◇清宮美稚子氏の掲載済コラム◇◇
◆「『入管法改正』問題」【2021.5.11掲載】
◆「生理の貧困」【2021.1.5掲載】
◆「日本における冤罪の構造」【2020.10.1掲載】
◆「Withコロナ時代に響くオーケストラの音色」【2020.9.15掲載】
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