100年の想いを映像にのせて
石野康子 ジュリエット・アルファ株式会社 役員
100年を想う
2021年の敬老の日に発表された厚生労働省の集計で、100歳以上の高齢者数は8万6510人となり51年連続で最多を更新した。
身近なところでも100歳以上の家族がおられる方もあり、「人生100年時代」が実感される。
1953年、筆者が生まれた昭和28年は朝鮮戦争が休戦し、東京地区ではじめてNHKによるテレビ放送が開始されるなど、正に戦後日本の成長期幕開けとなった年である。
その年から遡ること100年前は、1853年。歴史の教科書でもおなじみの「ペリー来航」の年である。1853年に生まれ100年を生きたとしたら、江戸時代のペリー来航から戊辰戦争、明治時代の日清・日露戦争、大正時代の第1次世界大戦、昭和の第2次世界大戦と、戦乱の100年を経験したことになる。
比べて、1953年以降戦争のない70年近くを生きられたことは何と有難いことかとあらためて思う。自分で経験したことのない年月は歴史の中の遠い遠い出来事で、実際に体験したそれは、ついこの間の事のように思われる。
今、このコロナ禍もいずれ歴史の教科書に載るに違いない。「全ての人は、いつも歴史の中に生きている」という言葉が大いに納得できる。
映像の100年
長く映像業に携わってきたが、この分野においてもその変遷は目まぐるしいものがある。
1891年にアメリカのトーマス・エジソンがキネトスコープを発明。その4年後、フランスのリュミエール兄弟がシネマトグラフの特許を取り、それまでの静止画像からスクリーンへ投影する動画の世界へと変わっていく。
その動画も無声から有声へ、白黒からカラーへと進化し、1971年ソニーが世界初のUマチックVTR用ビデオカセットテープを発売。
1975年にはホームビデオ時代の先駆けとなったビデオカセットβマックス が発売された。その後、βマックス対VHSの時代を経て、家庭用ビデオはVHS方式へ統一されることとなった。DVD、ブルーレイと記録媒体は変遷し、今では多くがメモリーカードやネット配信になっている。
個々がスマホを持ち、その中で動画を見ることが出来ることなど、数十年前の007の映画さながらである。
30年以上にわたって映像制作に携わっているが、記録媒体の大きさや重さからその時代を思い出しながら進化の速度に驚いている。
映像で断捨離を
凡そ100年前、スペイン風邪という疫病が流行したと聞く。1918年(大正7年)、筆者の父はその最中(さなか)に生まれた事になる。
この数年で父母4名を亡くし、二軒の家を処分した。経験された方も多いと思うが、戦争を経てきた人たちは物を捨てられない。山のような品物が残されていた。「何故これを」という物も沢山あった。例えば、行李(こうり)の中に大事にしまわれていた真綿、石化した羊かん、色褪せた大量のリボンや包装紙など。途方にくれた。懐かしい人々の写真に見入りながら、時間ばかり経っていく。
近年「断捨離(だんしゃり)」という言葉が流行した。文字通り「不要な物を処分し、物にとらわれずに生きてゆく」というヨーガの思想からきている言葉だそうだ。どの時代でも、誰かが思い切って整理・処分を繰り返してきたのだから、今の時代のやり方でこの「断捨離」を実行しようと思い立った。
父の遺品の中に、1932年の第10回ロスアンジェルスオリンピック大会で日本馬術選手団が大活躍し、西竹一中尉(バロン西)が金メダルを獲得したことを記念して制作されたアルバムを見つけた。
バロン西は愛馬ウラヌス号との絆深くアメリカでも広く知られたが、第2次世界大戦において硫黄島で玉砕された。父の尊敬する馬術の師であった。
このアルバムなら少しは公共性もあり、興味を持ってご覧頂く方もあるかと思い、コロナ禍で外出もままならない時期に映像化することにした。
色褪せた写真を1枚1枚撮影する。アルバムに添えられた文章をテロップにつくり変える。特に日本語の下に付けられたフランス語の説明文は、そのまま打ち込む事が出来ず画像として作りなおす作業が加わった。オープニング原稿を書き、ナレーションを入れる。最後にフリーミュージックをつけて完成。全て手作りの6分ほどの映像は、今、You Tube という新しい媒体の中で蘇っている。
まさか、あのアルバムがこのような形で残されるとは、父も思ってもみなかったであろう。
これから100年後、2122年。
その世界をみる事は出来ないが、一体どんな景色が広がっているのか。楽しさと恐ろしさがない交ぜの気持ちで想像してみる。
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石野康子(ジュリエット・アルファ株式会社 役員)