悪
平沼直人 (弁護士、医学博士)
アイヒマン裁判――『エルサレムのアイヒマン』
アドルフ・アイヒマンは,ナチスドイツにおける“ユダヤ人問題の専門家”と目され,600万人ともいわれるユダヤ人を強制収容所に送った男である。
アイヒマンは,戦後,南米アルゼンチンに逃亡していたが,1960年,イスラエル諜報特務庁(モサド)によって拘束され,イスラエルへ連行された後,翌年,エルサレムで裁判にかけられた。
ハンナ・アーレント(1906-1975)は,ドイツのハノーヴァーに生まれ,ハイデガー,ヤスパース,フッサールといった錚々たる哲学者に教えを受けた新進気鋭の研究者だったが,ナチスのユダヤ人迫害のため,1933年,パリに亡命し,1941年,アメリカに渡り,1951年にはアメリカの市民権を得ている。近年,彼女の伝記的映画も制作・公開され,再びアーレントのブームが到来した。
『エルサレムのアイヒマン――悪の陳腐さについての報告』(Eichmann in Jerusalem. A Report on the Banality of Evil, 1963)は,アーレントが「ザ・ニューヨーカー」誌から派遣されて取材し大著としたアイヒマン裁判の傍聴記である(大久保和郎訳[新版]みすず書房,2017年)。
審理の結果,死刑を宣告され間もなく執行されたナチスの極悪人アイヒマンに対する厳しい弾劾を期待していた読者は,アーレントが,「検事のあらゆる努力にもかかわらず,この男が〈怪物(モンスター)〉でないことは誰の目にも明らかだった」(76頁),「殺害者たちはサディストでも生まれつきの人殺しでもなかった」(148頁),「自分の昇進にはおそろしく熱心だったということのほかに彼には何らの動機がなかった」(395頁),つまりユダヤ人の大量殺戮は,誰でもが犯す可能性のある悪徳,「悪の陳腐さ」(349頁),ここでは凡庸のほうが適訳と考えるがbanalityを示していると結論したために,期待を裏切られ,大論争を巻き起こすこととなったのである。
アイヒマン実験――『服従の心理』
本当に悪は,“ありきたり”のものなのだろうか?
スタンレー・ミルグラム(1933-1984)は,この疑問を権威への服従という形で確かめることとした。ユダヤ系移民の子としてニューヨークに生まれハーバード大学で博士号を取得した社会心理学者であるミルグラムは,イェール大学心理学部に在籍していた1960年から1963年の間にその実験を行った。それが服従実験ないし電撃実験,後にアイヒマン実験と言い慣わされることになるものである。
実験は,次のようなデザインである(S・ミルグラム著,山形浩生訳『服従の心理』河出文庫,2012年)。
大学教授役の実験者が,教師役となる被験者に,生徒役の実験協力者が不正解となるたびに,電撃を加えるよう命じ,実はダミーの電撃を受けたに過ぎない本業は俳優をしている生徒役(電撃の被害者)の反応につれて,どこで電撃を中止するかをみるというものである。
精神分析家,心理学専攻の大学院生らの事前予測では,苦悶する生徒役に対し,「電撃パネルの最後まで行くのは,2-3%を超えない病的な周縁者だろうと予想されていた」(53頁)。
ところが,なんとしたことか,「被験者40人のうち,26人は最後まで実験者の指示に従って,発生器最大の電撃に達するまで被害者を罰し続けた」(57頁)のである。
電撃実験は,実験の精度を高めるため,様々なバリエーションが考案され,被験者を入れ替えて継続された。
「服従実験で数百人の被験者を見てきたが,そこでの服従の水準は心穏やかならぬほど高いものだった。いやになるほど常に,善良な人々は権威の要求に屈して,冷酷かつ激烈な行為を実施するのが観察されたのである」(189頁)。
「権威から発する行動に対して内的なコントロールを育てることについては,文化はほぼ完全に失敗してきた」(220頁)。
ミルグラムの服従実験は,アーレントの洞察を支持する結果をもたらした。
この電撃実験が別名アイヒマン実験と呼ばれるゆえんである。
サッセンインタビュー――『エルサレム〈以前〉のアイヒマン』
ところがところが,である。
アイヒマンは,1950年にアルゼンチンに逃亡していたが,その後,妻子を呼び寄せ,仕事にもありついて恵まれた暮らしを送り,世間には偽名を騙っていたものの,同じくアルゼンチンに逃亡していたナチスの残党や現地の親ナチのサークルにあってはアイヒマンであることを隠すこともなかった。
それどころか,仲間うちでは,あのアイヒマン機関を率いたナチスの大幹部として,ナチスの人種思想を高らかに語り,ユダヤ人殲滅(せんめつ)を誇らしげに自慢し,駄弁を弄し長広舌を振るった。
その模様が録音テープとして大量に残されていた。聞き手の名をとってサッセンインタビューと呼ばれる。そのサッセンはオランダのナチス親衛隊員で戦後はアルゼンチンで作家活動をしていた男だ。
アーレントは,サッセンインタビューを聞いていない。
ベッティーナ・シュタングネトの労作『エルサレム〈以前〉のアイヒマン――大量殺戮者の平穏な生活』(香月恵里訳,みすず書房,2021年)は,アイヒマンの知られざる空白期間を白日の下に晒した。著者シュタングネトは,1966年生まれのドイツの哲学者である。
「1963年の『エルサレムのアイヒマン――悪の陳腐さについての報告』以来,アドルフ・アイヒマンについて語る試みは何であれすべて,ハンナ・アーレントとの対話でもあった」(12頁)。
「狂信的国民社会主義には無縁の用心深い官僚,学問好きで啓蒙と国際主義を好み,自然を愛する普通の男。15年前にようやく,煩わしい命令や犯罪的政府と手を切ることができ,本来の自分へと戻ることができた男――これこそ,イスラエルの被告が自分の人生の最後に選んだアイヒマン像だった。役になりきり,完璧に演じる能力のお陰で,アイヒマンはこうしたポーズを取り続け,それに磨きをかけた」(501頁)。
アーレントはアイヒマンにまんまと欺かれたのだろうか。
被験者グレッチェン・ブラント(医療技師)
ミルグラムは,服従実験の結果,命ぜられるがままに悪をなす多数の人々,ごく少数ながら電撃を他人に加えることを楽しむサディスト,そして内なる良心の声に耳を傾け悪を拒む数少ない人がいることを明らかにした。
アイヒマンの顔は左右非対称であるのに,出版物などではしばしば左右逆焼きにされた肖像写真が掲載されている。
上司の命令に忠実な小役人に過ぎないのか,ナチス的確信に基づく殺人鬼なのか(精神鑑定ではサド・マゾ的コンプレックスを指摘されている)。その問いが誤りで,1人の人間の中にどちらの悪人も棲んでいたのだろう。
服従実験のひとりの被験者に希望を見出したい。
「この女性の実験における率直で礼儀正しい振るまい,緊張感の欠如,自分の行動の完全な制御は,非服従が単純で理性的な行為だったようにうかがわせる。彼女の振るまいは,わたしが当初,ほとんどの被験者が示すと考えていた行動をまさに体現するものだった」(136頁)。
(「法律,医療,教育といった道徳的な職業の人々は,エンジニアリングや物理科学といった技術的な職業よりも反抗しがちだった」(302頁)。)
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平沼直人(弁護士・医学博士)
◇◇平沼直人氏の掲載済コラム◇◇
◆「医の倫理と法」【2022.4.7掲載】
◆「江戸三山」【2021.12.14掲載】
◆「日本版 ❝善きサマリア人法❞を!」【2021.10.7掲載】
◆「無」【2021.7.27掲載】
◆「”賠償科学”を知って欲しい!」【2021.5.6掲載】
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