権威主義的な体制・マネジメントの下でイノベーションは生まれるのか?
岡野寿彦 (NTTデータ経営研究所 シニアスペシャリスト)
日本国の経済安全保障の要諦は、米中技術覇権競争の中でも自律した能力を持って、グローバルなサプライチェーンにおける「戦略的不可欠性」をつくり守っていくことである。このために、特に中国の企業・産業や技術開発、そのベースとなる社会システムの「強さ」と「弱さ・課題」を構造的に分析し、中国から見た日本への「依存関係」を創っていくことが重要だと考える。
中国のデジタル化、プラットフォームをテーマとする講演で、「プラットフォーマー規制など共産党政権の統制強化の中で企業経営は委縮しないのか?」「中国共産党一党独裁体制の下で、イノベーション創出には持続性があるのか?」という質問を受けることが多い。本稿では、中国のような権威主義的な体制・マネジメントの下でイノベーションは生まれるのか?について、(自らの価値観を交えず客観的に)考察をしたい。
1. プラットフォーマー規制強化のイノベーション創出へのインパクト
中国政府の規制強化による企業活力、経済成長へのインパクトについて、日本では共産党一党独裁体制と絡めマイナスのトーンで語られることが多い。筆者は、マイナス面とプラス面をバランス良く分析することが必要だと考える。
【マイナス面】
① 不透明性による萎縮
プラットフォーマーなどの中国企業人と会話すると、政府の規制強化に対して冷静である。「中国の経済成長による規模のボーナスの恩恵を受けてここまで成長できた」「良い時もあれば悪い時もある」という感覚である。従前より、政府政策・国益への貢献は中国企業の経営戦略の重要な要素であり、企業経営者はしたたかである。
しかし、事業環境の「不透明性」が増していることが、中長期的に企業人のマインドを萎縮させるという見解も増えている。例えば2001年7月打ち出された学習塾に対する規制では、小中学生を対象にした塾の新設を認めないだけなく、「既存の塾は非営利の組織に転換する」「土日や祝日の授業をも禁止する」ことを求めている。この規制強化の背景には、教育費負担が少子化の原因の一つになっている、貧富格差が教育格差をもたらしているなどの課題、教育への外国企業の影響の排除が指摘され、前者は日本も同様の課題に直面している。権威主義的体制だからこそ、教育に関する根本問題に手を付けることができているとも言える。一方で、企業経営の観点では、それまで認められていた事業ができなくなるという経営環境の強い「不透明性」が度重なると、企業経営者は「様子見」の姿勢を強めて、市場の活力が低下することが懸念されている。
さらに根本的には、企業人が努力した成果の帰属の不透明性が増していることに懸念を示す企業人は少なくない。従前より、中国企業の経営のステークホルダーには、顧客、社員、株主に加えて、政府、アンオフィシャルな利害関係者などがおり、これらステークホルダーのいずれともWin-Win関係をつくるために経営者は多くのエネルギーを投じている。企業経営の成果の配分にはもともと複雑さがあったのだ。しかし昨今の規制強化により、経営成果の配分に関する経営者のフリーハンドが弱まると、中長期的に事業化への意欲が萎縮することが避けられないと考える。
【プラス面】
① 新興企業の台頭機会
米国GAFAの市場支配力をいかにコントロールするか、米国および欧州でも政策的な課題となっている。中国では、BATなどプラットフォーマーの市場支配力による弊害が顕在化してきたことから、中国政府は2021年中央経済工作会議の重点任務として「反独占と資本の無秩序な拡張防止を強化する」を掲げた。「国家は、プラットフォーム企業のイノベーション・発展、国際競争力増強を支援し、公有制経済と非公有制経済の共同発展を支援すると同時に、法に基づき規範的に発展させ、健全なデジタル・ルールを整備しなければならない」として、プラットフォーマーを念頭に独占を禁じる方針を打ち出した。
中国のスタートアップについて、「新規サービスが消費者ニーズをとらえて軌道に乗り始めると、プラットフォーマーに競合をぶつけられる、または会社を買われておしまい」「起業家は会社を成長させてアリババ、テンセントに買ってもらうことを目指している」といった、新興企業の台頭におけるプラットフォーマーの弊害が指摘されてきた。中国政府のプラットフォーマー規制が、プラットフォーマーの市場支配力を削いで、新興企業が台頭する機会、企業の新陳代謝につながるというプラスの効果も生じている。
② 重点技術、政策にリソースが結集
政府が示す重点技術や政策に、国家および企業の投資が集まり、人材も結集することで相乗効果が生じる。企業からすると、中国政府の重点政策領域は補助金などの支援を得やすいだけでなく、規制の観点でもグレーゾーンでの事業化が許容される期待を持ちやすく、チャレンジにつながりやすい。このメカニズムは従前から中国市場の特徴だったが、さらに、規制強化の中でプラットフォーマーが、
・AI、量子計算、ブロックチェーン等の重要技術の研究開発に投資して、成果をクラウドから提供することで他企業が活用できるようにする
・中小ハイテク企業に実用の場や販路を提供する
など、国家戦略に貢献する姿勢をより強めている。国策にリソースが集まり新たな事業を生み出すメカニズムがさらに強まりつつある。
2.権威主義的な体制・マネジメントの「強さ」と「弱さ」:デジタル・イノベーション創出の必要要素
デジタル・イノベーションの歴史を振り返ると、中核となる技術は米国の軍事政策の産物であることが少なくない。例えばインターネットは、米国国防総省内の高等研究所(ARPA)が行った軍事用の通信ネットワークの開発が起源とされる。さらに、ARPAの後続組織である国防高等研究計画局(DARPA)の研究資金が、実用化まで時間を要する基礎研究を下支えしてきた。実用化できそうな研究成果が生まれれば企業家が事業を通じて実用化を進めていく。このように米国政府の政府調達はプラットフォーマー等IT企業に技術開発の機会を提供し、基盤的な技術を持続的に開発することで、ITベンチャー大国となる基盤をつくってきた。
一方、中国のデジタル化は、当初は米国等で開発された技術、ビジネスモデルを模倣して、社会実装することで進展した。欧米諸国、日本と比べた「社会の困りごと」(Pain Point)の存在が、デジタル技術の応用シーンの源泉となった。アリババ、テンセントなどでサービス開発を牽引するのは、シリコンバレー経験者など世界の一流人材である。巨大かつ多様な市場、中国政府の放任的な規制ポリシーが、世界の人材を「デジタルの実験場としての中国」に引きつけている。また、大量の単純労働者の動員力がモバイル決済やフードデリバリーなど「ネットとリアルの融合」サービスを実現した。そして、中国市場の激烈な競争を勝ち抜いた企業家が、東南アジアなど新興国への海外展開を進めている。
その中国が、米中対立の激化を踏まえて、第十四次五か年計画(2021年から25年までの経済運営方針を定める)で「科学技術イノベーションの強化、技術の自立」を掲げ、基礎研究開発、オリジナルな製品開発の強化に取り組んでいる。米国DARPAの研究資金モデルを意識しているとされる。企業も、前回コラム「企業経営の『短期志向』と『長期志向』:中国プラットフォーム企業に見る変化 」で分析したように、長期志向で研究開発と人材育成を積み上げていく方針に転じている。
以上より、デジタル・イノベーション創出の必要要素は、研究開発投資の規模と持続性、企業家の事業意欲、実装の環境(市場規模、政府政策など)であることがわかる。
それでは、中国の権威主義的な体制・マネジメントの下でイノベーションは生まれるのか?
政府規制の強化など「不透明性」は、中長期的に企業家の事業意欲やリスクテイクを低下させていく可能性があり、マイナス要素である。しかし、中国ビジネスに取り組んできた企業人としての筆者の実感からすると、ある企業が市場から退出しても、そこに機会があると思えばたくさんの企業家が新たな「大義名分」を掲げて参入してくるのが中国市場の特徴である。政府予算の裏付けある研究開発投資と巨大な市場を活かした実装の場づくりは、イノベーション創出競争における中国の優勢性の源泉となるだろう。このようにプラス要素とマイナス要素をバランス良く分析していく必要がある。
決める力とリーダーの無謬性(むびゅうせい)
権威主義的な体制・マネジメントの「強さ」と「弱さ」について、筆者の分析観点をもう一つ紹介したい。
デジタル化が深化するとそれまで独立して存在していた要素が「融合」して機能するようになる。「ネットとリアル」「ソフトウェアとハードウェア」「政府機能と企業ビジネス」などである。「融合」が進むことで意思決定の複雑さが増しているのだ。対外的には、モノづくりが中心の時代において、グローバリゼーションは多くの国・地域にとってメリットがあった(中国はその最大の受益者だった)が、デジタル化の進展の中でデータを国内にとどめる力学が世界各国・地域で強くなっている。グローバル化とローカル化のバランスをどう取っていくかも、国家や企業にとって重要な判断ポイントとなっている。このように判断の難易度が上がるなかで、リーダーの「決める力」の重要性が高まっており、短期的な世論に左右されず長期的な視点で大胆な意思決定がしやすい権威主義的な体制が有利に働く局面が増えるだろう。
一方では、権威主義的な体制は、リーダーは判断を誤らないという無謬性(むびゅうせい)に縛られて、本来強みであるはずのトップダウンによるスピーディかつ柔軟な決断という強みを活かせない脆弱性も内包している。日本(企業、政府)の体制・意思決定を考えるうえでも、分析を深めていきたい。
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岡野寿彦(NTTデータ経営研究所 シニアスペシャリスト)
◇◇岡野寿彦氏の掲載済コラム◇◇
◆「企業経営の「短期志向」と「長期志向」:中国プラットフォーム企業に見る変化」【2022.2.15掲載】
◆新技術と向かい合う:量子コンピューターの実用に向けて【2021.11.23掲載】
◆中国プラットフォーマーのヘルスケアビジネス:収益化に向けた課題と取り組み【2021.6.22掲載】
◆「中国の個人情報保護法制からの考察:データを活用したイノベーションとプライバシー保護のバランス」【2021.3.9掲載】
◆「アリババ『相互宝』(相互見守り型医療共済):デジタル化による中国社会の変容」【2020.11.17掲載】
☞それ以前のコラムはこちらからご覧下さい。