庭木の循環的利用-おうち林業その2ー
林憲吾 (東京大学生産技術研究所 准教授)
前回に引き続き、都市林業の話である。都市を山に見立てる都市林業。その実践者である湧口善之さんの助けを借りて、その縮小版の“おうち林業”に私はいま取り組んでいる。
1955年建設の円形のコンクリートブロック造の住宅に出会い、それを引き継ぐことにしたのだが、古家付きのその土地には、前の所有者が育てた庭木も一緒に付いてきた。普段私たちが土地を買うときは大抵が更地である。すなわち禿山状態。だが、私が手にした土地は、しばらく放置されていたこともあり鬱蒼としていて、しかも樹齢40年以上はあるだろうイチョウやエノキの大木もあった。決して広くはない土地だが、ちょっとした山だと、言えなくもない。
うちで育った木を、材としてうちに卸す。都市部でなかなかやれる機会はない。なので、前回紹介したとおり、大きくなりすぎて伐らざるをえなかったイチョウの大木を、製材して活用することにした。イチョウの他にも立派なサンショウがあり、こちらはすりこぎや木匙に最適と聞いて、伐って寝かしてある。ただし、エノキの大木はそのまま変わらず、庭木として愛でていく。
これらはおうち林業としては、わりと派手な取り組みだが、対して今回は、ささやかながらコツコツと、仮住まいのベランダで続けていることを紹介したい。苗木つくりである。
伐採と植樹のあいだ
林業とは、時間をかけて樹木を育て、伐採して資材とし、植林してまた育てる。そうした循環の営みである。
都市に植えられる街路樹や公園の樹木とて、最初から立派なわけではない。そこそこの大きさの若木が植えられたのち大きく育つ。だが、それらの樹木も、周辺敷地に迫り出したり、落葉が広範に影響したり、再開発の邪魔になったり、と諸々の事情からしばしば伐採され、そこにまた新たな苗木が植えられもする。
そう考えれば、ほぼ山の営みと同じではないか。というのが都市林業の発想である。しかし、誰もそんなふうには捉えない。伐採された樹木が資材とみなされることはほぼなく、整備は行政や民間事業者がしてくれていて、都市住民がそのサイクルに関わる機会はきわめて稀である。
だから湧口さんは、伐採・製材に取り組んだり、そこに住民を巻き込んだりしているのだが、もう一つ大事にしている活動が苗木つくりである。
立派に育った樹木の足元には、よく探すとそれらの幼木が生えている。それらを住民や役所の職員らとともに、見つけて救い出し、ポットに移し、自宅や職場に持ち帰る。そうしてコツコツ時間をかけて苗木にして、それを新たな敷地に返し、街路樹や公園の樹木として育てていく。その場所から得た苗木を利用して、その場所の新たな景観をつくる。伐採と植樹のあいだをつなぐ、苗木つくりがあって、樹木の循環的利用が成り立つ。
次の庭に向けて
私のうちでもそれを実践してみよう、ということで、昨年、湧口さんや学生と一緒に、庭木の足元から幼木を救い出した。庭から得た苗木で新たな庭をつくる。庭木の循環的利用の第一歩を踏み出した。
立派に生えてる樹木は見ても、その足元はなかなか見ない。見たとて、植物音痴の私には、そこに幼木を見つけることができない。
しかし、湧口さんは一瞬である。小さなイチョウやら、小さなエノキやら、小さなサンショウやら、「ほら、見てごらん」と指差すとそこにある。
なんと。感動しながら、また探していくと、こちらも段々と目が慣れてくる。自分でも少しずつ発見できるようになる。
イチョウ、エノキ、サンショウ、ネムノキ。ツバキにサツキ、シダ、ユキノシタ。これらの幼木をポットに植え替え、ナンテンは枝を伐って、水につけておく。
落葉樹であれば、秋の終わりには葉が散る。冬は、か細い幹と枝だけになってしまう。例えば、イチョウはわずか数枚の葉がキレイに紅葉して散り、その後、ただの棒になる。これに水をあげている姿はややシュールである。本当に生きているのか不安になりながら、コツコツ水をあげ続け、一冬越した。
春。それぞれの苗木から新芽が出てくる。うれしい。やはり気分が明るくなる。特にサンショウは動きが早い。一足先に芽吹いたかと思ったら、数センチの苗木はすぐに3倍にはなった。
反対に常緑の厚い葉を持つツバキの動きは遅い。5月の半ばにようやく薄茶色の葉を2枚出し、じっくり数週間かけて深緑の厚い葉となった。
これまでほとんど植物を育ててこなかった私だが、こうも成長されるとやはり愛着が湧いてくる。最近はサンショウとネムノキが成長しすぎて、干渉しあっているのが気になっている。秋にはポットを植え替えないと、などと考えたりしている。そして、まだしばらく先になりそうだが、新しい庭の苗木として活躍の場を与えたい。
代えのきかないブドウ
もちろん、植物を育てるのは、すんなりといくばかりではない。ブドウにはヒヤッとさせられた。
私が引き継ぐ円形住宅は一時期、歯科医院も兼ねていた。1960年頃のその時期は、まだ開発もされておらず、周辺の農家さんが患者だった。なので、診療の際には、野菜やら果物やらを置いていったそうだ。
あるとき、患者さんに渡されたのは、果実ではなくブドウの木。「先生、これ、いいブドウだから植えるといいよ」と言われ、庭に植えた。
このエピソードを息子さんから聞いていたから、教えられた場所を確認してみると、たしかにブドウが生えている。そして、電線にまで伸びたつるには、なんと果実がなっている。食べてみたが、酸っぱかった。
工事で撤去しなければならないこのブドウの木も、救出すべく穂木を採取して、冬の間冷蔵庫に寝かせておいた。そして春、苗床を準備して挿した。
何しろ由緒あるブドウである。代えはきかない。挿し木は発芽しないことも多い、と聞いていたのでドキドキしながら水をやること数週間。3つの穂木から芽が出た。ほっとする。ブドウは日当たりのよいところを好むと知ったので、ベランダで配置替えをする。
だが、油断した。ちょっと雨が多かった時期でもあったので、水やりの頻度が落ちた。しかし、晴れるとそこは暑い。気づいたら、芽吹いたはずの葉が枯れているではないか。
やばい。植え替えたばかりの木は人間でいうと赤ん坊のようなものだと、湧口さんに言われていたではないか。炎天下の車中に子供を残し、パチンコ屋に行ってしまったようなものだ。
急いで再び配置替え。水を日々、欠かさずあげる。音沙汰のない日が続く。ブドウの歴史もここまでか。そう思い続けること数週間。
芽吹いた。植物はすごい。11本の穂木のうち、2本からまた芽が出た。3マイナス1で上出来である。いまはそこそこ大きな葉をつけて順調に育っている。まだ、しばらくブドウの歴史は続きそうである。
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林 憲吾(東京大学生産技術研究所 准教授)
◇◇林憲吾氏の掲載済コラム◇◇
◆「都市林業の効用」【2022.3.22掲載】
◆「仏教から考える都市」【2021.9.28掲載】
◆「類人猿から考える都市」【2021.3.30掲載】
◆「都市とは何か」【2020.12.8掲載】
☞それ以前のコラムはこちらからご覧ください。