問題の本質は医師不足ではなく「患者不足」だ
河合雅司 (ジャーナリスト、人口減少対策総合研究所 理事長)
人口減少はあらゆる分野に影響を及ぼすが、医療も例外とはいかない。最も懸念されるのは、国内マーケットの縮小による経済低迷である。
「医療と経済は無関係」と思う人がいるかもしれないが、そうではない。世界に誇る我が国の国民皆保険制度は莫大な公費を投じることで成り立っている。医療技術の進歩や画期的な新薬の開発だって経済的な裏付けなしには進まない。
もし、人口減少が進むにつれて日本経済が衰退したならば、少額の自己負担で誰もが気兼ねなく治療を受けられるという現行の〝夢のような制度〟は維持できなくなる。医療技術の進歩とともに「受けられる医療」も充実し続けると固く信じている日本人が少なくないが、それは幻想だ。経済成長があってこその話なのである。
では、日本経済の先行きがどうかといえば、多くの企業では動きが鈍い。
日本で生産年齢人口がピークを迎えたのは1995年で、この頃から国内マーケットの縮小は始まった。ところがハブル経済の好景気に踊り、平均寿命の延びで総人口がむしろ増え続けるという〝数字のマジック〟の中で人口減少や高齢化が日本経済に与える悪影響は軽んじられてきた。
2011年頃から総人口が本格的に減り始めても、多くの企業経営者は量的拡大型の経営モデルに固執し続けた。時代の変化に合わせて、新たな利益確保策を模索すべきだったのに、マーケットが拡大し続けた時代の成功体験を何とか維持しようと無理に無理を重ねたのである。
しかしながら、国内マーケットが縮小を続ける以上、「人口増加時代」の成功体験が続くはずがない。東京都までが本格的な人口減少社会に突入しようとしているのに、いまだに大規模開発など拡大型ビジネスモデルが目白押しだ。
人口減少とその原因である少子高齢化は時の移ろいとともに確実に進んでいく。その影響はすでに各方面に広がりつつあるが、経済成長にとって痛手となるのが少子化に伴う技術者の不足である。「ものづくり日本」の生命線であるイノベーションを起こす力はかなり弱体化してきている。
いつの時代においても、体力と冒険心に溢れる若者がイノベーションの担い手となってきた。ところが、若い年齢の人ほど急速に減る。20歳人口は今後20年間で3割減だ。日本において新規の成長分野がなかなか育たないことと、少子化とは無縁ではないだろう。
多くの日本企業が人口減少への対応に遅れ、あるいは失敗すれば、「国民皆保険制度」は縮小せざるを得なくなる。どんなに医療技術が進歩し、画期的な新薬が誕生したとしても、その恩恵にあずかれるのは一部の裕福層にとどまり、多くの国民は〝そこそこのレベルの医療〟しか受けられないといったことになりかねないということだ。そうなれば、医療機関の経営にも大きな打撃をもたらすだろう。人口減少がもたらすインパクトは、多くの国民が考えている以上に巨大なのである。
人口減少の影響を十分に織り込んでいるとは思えないといえば、医師不足をめぐる議論もそうだ。
国民の高齢化に伴って患者予備軍が増えるとの予測から、政府は2008年以降、医学部の入学定員枠を段階的に増やしてきた。現在、2024年度から2029年度を対象とする第8次医療計画の策定に向けた検討が進められているが、医師が不足する診療科のある県などでは医師養成数を減らすことへの反対が強い。さらに、新型コロナウイルス感染症である。医療逼迫が現実のものとなったことで、医療体制の充実を求める国民世論はかつてなく高まりをみせている。
もちろん、個別の事情にも耳を傾けなくてはならない。だが、人口が減っていくのに医師の養成数を増やし続けたならば、需給バランスが崩れることも厳然たる事実だ。現時点における医師の偏在の解消を待って「医学部入学定員の削減」をスタートさせていたのでは、「医師不足」はあっという間に「患者不足」へと転じる。人口減少が医療に突き付けている本質的な課題とは、実は患者の不足なのである。
日本全体として見た場合、「医師過剰」に転じるタイミングは意外に早い。厚生労働省の資料によれば、労働時間を週60時間程度に制限するなどとした場合には2029年頃に約36万人で、週55時間程度とした場合でも2032年頃に約36万6000人で需給が均衡し、その後は医師超過になるとしている。
厚労省は「患者不足」時代の到来を裏付けるデータも公表しているが、入院患者数は高齢人口が頂点に近づく2040年にピークを迎える。地区別では2020年までに89医療圏で、2035年までに260医療圏でピークとなる。外来患者についてはすでに減少傾向となっている地域が多く、2020年までに214医療圏でピークを迎えている。全国で計算しても2025年にピークとなる。現在増加している在宅患者数も2040年以降にピークアウトする見込みだ。
「患者不足」の地域が広がれば、予期せぬ形での医師の偏在がさらに進む。医療機関だって、経営を維持していくためには一定規模の周辺人口が必要である。国土交通省の資料は、一般診療所は市町村の人口規模が1800人、病院は1万7500人を下回ると立地が困難になると試算しているが、人口減少スピードが速い地方ほど一般患者が減少し、医療機関の経営収益が悪化する可能性が大きいということである。経営に行き詰まり、医療機関が撤退してしまったならば、そうした地域では人々の暮らしは困難になり、人口流出が加速しよう。こうなるとますます医療機関の存続が難しくなる。
問題はこれにとどまらない。「患者不足」が深刻化すれば、臨床機会が減って医師としての技能向上が図られづらくなる。さらには医療機関の経営への影響が出始めて医師を含めたスタッフの給与水準を抑制せざるを得なくなるところも出てこよう。医師などの〝引き抜き〟の激化が予測される。
人口減少や高齢化というのは地域ごとにタイムラグが生じるため、「患者不足」が遅れてやってくる大都市部では医師不足は当面続く。こうした事情を鑑みて、報酬やスキルアップのための機会を多く確保できるという条件面を重視し大都市の医療機関へと移る医療スタッフが増えたとしても非難はできない。これとは別に、地方の医療機関が東京圏へと進出する動きがいくつもでてており、地方での「患者不足」が進むにつれて医療スタッフの東京一極集中が進むことも予想され得る。
そうでなくとも東京都は2036年時点で少なくとも1万3295人の医師過剰が起きると見込まれているのに、地方から流入する医療スタッフが加わったならば「医師過剰」に拍車がかかるだろう。東京都も住民の高齢化が進むことにより、今後は診療科によって医師の過不足が生じる。医師が過剰となる診療科では患者の争奪戦や抱え込みも起きるだろう。都心部であっても、経営的に苦境に立たされて廃業に追い込まれる診療所が登場するかもしれない。
一方、医師が都会流出した地方では、やっとの思いで「医師不足」を解消できたとしても、不足状態に逆戻りしてしまう。これに対処しようと、政治家が介入してさらに医師養成数の高止まりを容認したならば、医師過剰は一段と悪化する。現状の医師の不足や偏在を解消する取り組みというのは、将来的な「患者不足」を織り込まなければ、かえって医療の届かない地域を拡大させる皮肉を招きかねないことを認識する必要がある。
そもそも、現在の「医師不足」の解消施策というのは医師の年齢まで問うているわけではない。少子高齢社会において、住民の高齢化が著しい地域では、医師も高齢化が進んでいるケースが少なくない。高齢医師が1人しかいない地域というのは「医師不足」への逆戻りの可能性が大きいどころか、いつ無医地区と化しても不思議ではないのである。こうした状況を、医師養成数の拡大のみで解決しようとするならば無理がある。人口動態の変化を無視して、目先の課題解決を進めてみても本質的な問題解決にはつながらない。
日本経済の成長に関しては医療界だけでは如何ともしがたいが、医療界内部の課題についてはやり得ることは少なくない。医療機関が自由に競争する時代は終わりを迎えようとしている。人口減少のリアルを直視し、デジタル技術をフル活用することで非効率さを排除しつつ、タブーにも切り込んでいくことである。
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河合雅司(ジャーナリスト、人口減少対策総合研究所 理事長)
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