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先見創意の会

返信について

大橋照子 (NPO「日本スピーチ・話し方協会」代表 ・フリーアナウンサー)

先週、ある親しい方が昇進されたのでお祝いを送ることにした。ご祝儀袋を文房具屋さんで求め、郵便局で現金書留の封筒を買った。やはり自筆で手紙を書いて入れようと思って、久しぶりに時候の挨拶からお祝いの言葉を便箋に認めた。

たまたまそのとき、番組のリスナーさんへのプレゼントの封筒を100通以上同時に作っていて、それらと現金封筒をまとめて大きな手提げ袋に入れて郵便局に持っていき、切手を貼って出した。

家に帰ってきて、ふと
「あれ、現金書留にお金を入れたっけ?」
心配になった。100通の封筒作りに翻弄されて、現金封筒の2重の封に糊を付けて貼り付けたのは覚えているのだが、その前がどうだったかよくわからない。心配し始めると心配が膨れ上がってどうにも仕方がない。
勇気を奮ってメールを出した。
「この度はご昇進おめでとうございます」
に続けて、
「お祝いをお送りしたのですが、お金を入れたかどうか自信がありません。入っていなくても『入っていませんでした』とは言いにくいと思いますが、入っていたか正解を教えて下さい」と。
(相手が親しい方でよかった)
やがて返信があり
「ちゃんと入っていたのでご安心ください」
と書いてあり、お返しまで戴いてしまったが、でも…実際のところはわからない。今でもまだ心配している。情けない話だ。でもこういうときはメールは便利だ。すぐに出してすぐに返信がもらえる。この確認を手紙でしたら、さらに1週間心配を続けなければならなかった。
しかしメールは、それはそれで難しい。気を遣っているつもりが、誤字脱字を含めて失敗をしょっちゅうしている。

それでも、メールの返信はできるだけ早めに送ろうといつも思っている。返信を先延ばしすると、毎日来る膨大な数のメールに押し下げられて、頂いたメールがどこに行ったか分からなくなってしまう。「未読」にしたり、星マークを付けて「重要メール」扱いにしても、ホルダーに分けたつもりでも、あとで探すと見つからない。だからすぐに返信する。そうすれば忘れることはない。

返信といえば、こちらからメールを出したとき、すぐに返信が来る人と、なかなか来ない人に分かれる。返事が来ない人に心配になって「届きましたか?」と聞くと、
「あ、読んで内容がわかったから返信しない。質問があるときだけ返信する」
とのこと。こちらとしてはメールが届いたかどうか心配なので、返信してほしいと思うのだが。

さて先日、上司への返信に「!」マークを使っていいかというのが周囲で話題になっていた。
なるほど。冷静に振り返ると、親しい友人には私も多用している。
「ありがとう」より、「ありがとう!」のほうが、数倍感謝しているように伝わる気がする。
「よかったね」より、「よかったね!」のほうが、心から喜んでいる気持ちが届く気がする。
習慣になっているので、逆に付けないと大して感謝していないように伝わる気さえしてしまう。
では、目上の人や、仕事上礼儀を必要とする相手にはどうだろうと、自分の「送信済メール」を確認してみた。確かに「!」は使っていない。少し緊張して襟を正して書くメールには、失礼な気がする。
親しい人に多用する「!」マークには、漫画チックで友情の証のようなイメージがある。嬉しいときや感動したとき、その気持ちを倍増させたくて付けるのだと思う。

漫画チックといえば「絵文字」。これも手書きの手紙ではあり得なかった、メール独特のマークだ。
文字と同じ大きさの絵マークで、笑い顔や泣き顔に怒り顔、星や音符やハートマークなどがある。手軽で、しかも親しみや笑いを表現しやすい。
ある知り合いの女性で、この絵文字をすべてのメールにたくさん入れてくる人がいる。これも習慣になると、使わないと気持ちが伝わらない気がしてくるらしい。「よろしくお願いします」のうしろに必ず「手を合わせたお願いマークの絵文字」が、3つ4つくっついている。

この人が、ある重篤なお病気の方へのお見舞いに、「お大事になさって下さい」のあとに、いつものように手を合わせている絵文字を3つ付けて送った。もらった方は、つらい病気を耐えているときなのにと、絵文字の漫画チックな表現にとても嫌な思いをしたと私に打ち明けた。送る側はたぶん心を込めて絵文字をくっつけている。しかしもらう側はムッとする。言葉ではない表現は、相手の気持ちに寄り添うことが難しい。

ところで私は、昨年母を亡くした。99歳の大往生だったしコロナ禍の中での家族葬でもあったので、あまり知らせたくはなかったのだが、仕事を休まなくてはいけないので10名くらいにそれを知らせることになった。個人的にはしみじみとした思いで送信し、ありがたい返信をたくさんいただいたのだが、その訃報メールへの返信で興味深いことがあった。

ほとんどの方が、お悔やみの言葉のあとに、「私の母も~~」が続くのだ。
「私の母ももうじき100歳なので、心配をしています」
「私も昨年、母を亡くしました」
「うちの母も、~~こういう病気になって入院しています」
こういう返信を頂くと、私としては、自分の母のお葬式の合間に
「お母さま、大変ですね。お大事になさってください」
「お母さまを亡くされてお辛かったですね」
と励ますことになる。妙な具合だが、感謝しつつ返信した。

また、ある友人が大病をしたとき、「大きな病気に罹ってしまった」とか「~~こんな手術をすることになった」と知り合いにメールを送ったら、やはり返信に同様のことがたくさんあったと話していた。

お見舞いの言葉の後に、「私も~~」「私の~~(家族や友人)も」が付いて来る。
「私も2年前に同じ病気をしました」
「私の父も、その手術をしました。1年後に、~~こうなりました」
同じ経験談で慰めたり励まして下さっているのだろうけれど、自分にとっては人生で稀代なつらい状況の中、「私や家族も同じ病気をしましたが、大したことはないですよ」と軽く言われているような気持ちになることもある。同じ病名でも種類が違うかもしれない。お医者様の言葉ではないので、すぐに参考になるというわけでもない。ひとこと「お大事に」と言われた方が嬉しいと。これを聞いて、私にもそういう返信を送ったことがあるのを思い出して、冷や汗をかいた。メールやラインは、簡単に送れる一方で返信とは難しいとつくづく思う。

今思えば、以前はよく手紙を書いていたものだ。
年賀状や暑中見舞はもちろん、お礼状、お祝い、お見舞い、お悔やみ、すべて手で書いていた。
手紙を書くためには、まず、机の上を整理する。便箋を広げ、心を落ち着かせる。相手の顔を思い浮かべて1文字1文字心を込めて、間違えないように書く。間違い文字が修正不能の場合は、1枚切り取ってまた新しい便せんに初めから書き直す。何度も読み直すから、誤字・脱字はほとんどない。
出来上がったら、後ろに1枚余分に便せんを付けて切り取り、角をそろえてきちんと折る。さらに封筒に宛名を調べて文字配列を考えながら丁寧に書き、切手を貼ってポストに投函する。1通出すのにどれだけの時間をかけたことだろう。

今なら、メールやラインで30秒で送信できてしまうのだが、また便せんに手書きで書いてみて、メールと比べてみようと思う。手で書く作業は、心を落ち着けて相手を思いながらじっくり書ける気がする。言葉を選ぶ時間もメールの何倍もかける。心の込め方がかなり違う気がする。

ただ、ご祝儀袋にお札を入れることだけは忘れずに、と自分を戒めている。

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大橋照子(NPO「日本スピーチ・話し方協会」代表 ・フリーアナウンサー)

◇◇大橋氏の掲載済コラム◇◇
「人前で堂々と話す」ために【2022.3.8掲載】

2022.08.30