日米半導体戦争
中村十念 [(株)日本医療総合研究所 取締役社長]
1. 物が来ない
私の友人から「毀れた乾燥機を買い替えるのに半年かかる」という話を聞いた。半導体不足が原因とのこと。ついでに、半導体とは何ぞや、ということも教えてもらった。半導体は正しくは半導体デバイス、つまり電気を通じたり遮断したりするスイッチのことである。従って制御の仕方がノウハウになる。微細なコンピューターが種々組み合わされて作られた精密装置である。たくさんの種類がある。
半導体というのも正しくは「半・導体」である。つまり絶縁体と導体の中間、電気を通したり、通さなかったりする機能のことである。特定のものの名前ではない。
工学系の人には当たり前のことであるが、それ以外の人は余り馴染みがない。
2. 知られざる日米戦争
実に驚くべきことに、半導体をめぐっては、1980年代から1990年代にかけて、日米で巨大戦争が闘われていた。日米半導体戦争である。このことを知っている人は意外に少ない。大負けに負けたので、政府広報も手を抜いたのかもしれない。
仕掛け人はアメリカ・レーガン大統領、迎え撃つのは日本・中曽根首相である。ロン・ヤスコンビであった。
アメリカは、半導体が軍事製品に利用されるので、安全保障上の問題とのこじつけまで持ち出し、不平等な日米半導体協定が結ばれた。その背景は、やっかみである。1986年ぐらいまで、日本の半導体ビジネスは栄華を極めていた。
日本は半導体デバイスのうち、読み出し/書き込み向けのDRAMという半導体メモリに圧倒的な技術優位を持っていた。メーカーランキングは1位がNEC、2位東芝、3位日立であった。
それに比べてアメリカのメーカーはさえず、撤退が相次いでいた。そこでアメリカ政府に目をつけられたのが日本である。レーガン流の脅しで日本に半導体戦争をしかけた。その手段は次の2点を骨子とする日米半導体協定である。
・日本の半導体市場の海外メーカーへの開放
(1991年以降は20%以上という数値目標までつけられた。)
・日本の半導体メーカーによるダンピングの防止
売値の制限と敵に塩を遅れのダブル制裁は、相当に厳しい。
不運なことに1991年からは、バブルの崩壊が始まった。
3. 内乱
バブルの崩壊に伴い、日本企業で半導体技術者のリストラが始まった。
ここを狙っていたのがサムスンに代表される韓国の半導体メーカー。
日本の技術者のヘッドハンティングに乗り出したのである。これが奏功し日本人技術者の「土日のソウル通い」という現象まで起こった。報酬の相場は1回の土日で1ヶ月分のサラリーであったという。
このサラリーマンの反乱を通じて、日本企業からサムスンへの技術の移転は急速に進み、1992年には世界のDRAM市場ではサムスン電子がシェア1位となった。日本メーカーは抜き去られた。日本人技術者の内乱の影響は大きかった。
その間日本政府の対応はどうだったのだろうか。防戦一方である。
1987年にはアメリカからパソコン、カラーテレビ、電子工具等に合計3億ドルの100%の関税を課された。それにもかかわらず何の手も打てなかった。
1992年は米国のインテルが世界シェア1位の会社となった。
1993年にはアメリカが国別シェアで1位になった。
1996年の半導体協定の終了をもって日米半導体戦争は終了した。
太平洋戦争を思わせるみじめな敗戦であった。
終わってみると半導体をめぐる景色は大きく変わっていた。世の中はインターネットの時代となり、ファブレス(設計と製造の分離)の時代に突入していた。日本企業は設計・製造一体型であった。
4. その後の半導体産業
戦争のほとぼりのさめた1999年にエルピーダメモリが設立された。経済産業省の音頭で、NECや日立製作所など昔の名前で出ている各社の半導体部門を糾合した。
旧時代のやり方が通ずるはずもなく、敢え無く2012年に破綻した。
その後も国家プロジェクトは目白押しだ。2001年の「あすかプロジェクト」「HALCAプロジェクト」「先端SoC基盤技術開発(ASPLA)」などである。しかしことごとく失敗する。
官の体質である天下り作戦と大企業のご都合主義がうまくかみ合わなかった。
5. 終わりに
半導体ビジネスの日本における将来像はどうなるのであろうか。
最近の話題の中心は、台湾のTSMC社の熊本進出である。
TSMC社は、ファブレスのうち製造を主とする会社で、世界最先端の「5ナノ量産技術」を有する。
日本進出の決め手となったのは政府からの4800億円の補助金であると言われている。国内半導体デバイスの有力工場が誕生することにより、半導体不足に起因する生産遅延は解消に向かうと思われる。ただし2年半後の話である。
(TSMCの誘致は、中台戦争のリスクに備えた経済安全保障面でもメリットがあるという。)
日本のここ30年の経済的凋落の原因のひとつに、日米半導体戦争の敗北があったのは間違いない。この敗北が半導体ビジネスの人材や技術の基盤に壊滅的打撃を与えたと思う。
半導体製造工場をひとつ誘致しただけで、日本の優位が回復するのであろうか。
専門性の高い技術であり、分業の方法にも熟練度を要する産業であり、私ごとき素人に今後の方向性をコメントできるとは思わない。
ひとつ言えることは、官僚の介入はもう必要ないのではないかということである。
ーー
中村十念[(株)日本医療総合研究所 取締役社長]
◇◇中村十念氏の掲載済コラム◇◇
◆「日銀は当然迷走する」【2022.5.10掲載】
◆「ポストコロナは複眼思考で」【2022.3.15掲載】
◆「現代の大岡裁き」【2021.12.28掲載】
◆「超法規の構造」【2021.9.2掲載】
☞それ以前のコラムはこちらから