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先見創意の会

ワークライフバランス雑感

滝田 周 [(株)東京法規出版 保健事業企画編集2部 編集長]

「ワーク」と「ライフ」、バランスを失する時期も必要?

「ワークライフバランス」という言葉を初めて耳にしたのは、いつだったか忘れてしまったが、そのとき覚えた違和感は、いまだに続いている。

働く人が、時間やエネルギーをワークの側にかけすぎると、心身両面の健康を害する。燃え尽きたり、心疾患や脳血管疾患の発症リスクが高まったりして、最悪の帰結は自死だ。だから、できるだけ効率良くワークをこなし、その分、ライフに時間やエネルギーを充て、ワークとライフ、ともに上昇していく正のスパイラルをつくっていこう――というのがワークライフバランスなのだと理解している。

異論はない。ただ、長い職業人生の中で、思い切りワークに傾く時期があってもいいのではないか、いやむしろ、そんなバランスを失する時期が必要ではないか、という思いも拭いきれない。

ワーク偏重の生活でも平気だった20代

早いもので、編集という仕事に就いて30年余になる。
1990年代初頭、最初に入った出版社は、連日、深夜に及ぶ残業や休日出勤は当たり前、校了前の数日間は会社に泊まる、なんて働き方が横行していた。ブラック企業もいいところだが、客をだましたり、社員を脅したりするような意味でのブラックではなかったのは救いだった。ワンマン社長があれこれアイデアを出し、仕事量が半端なく増えていっただけで、上司や先輩、同僚も、尊敬できる人・できない人、いろんな人がいたが、「いいものをつくりたい」という思いは割と皆に共通していた。問題山積だが、仕事のコアの部分に限っては、至極マトモな会社だった気がする。

そんな会社に、大学に6年もいた挙げ句、中退して入社した私は、早く仕事を覚えようと必死だったから、残業や徹夜も平気だった。まだ20代半ばで体力もあった。学生時代を無為に過ごしてしまった分、今、ライフが犠牲になっているのも仕方ないのだ、という自罰的な感情もあったと思う。

入社当初からワーク偏重の生活を続け、5年目ぐらいまでが特にひどかった。ストレスから来る十二指腸潰瘍で下血、入院までしたが、それでもなお、あの時期は必要だったと思う。いまだに半端モノな私だが、当時、ワークに時間とエネルギーを集中させていなかったら、半端モノにすらなれなかっただろう。謙遜でなく、そう思う。

若者から成長機会を奪う「ゆるい職場」

働き方改革によって、ここ数年、日本企業の労働環境は劇的に良くなった。長時間労働は改善され、管理職はパワハラにならないよう注意深く部下と接するなど、若い世代には、働きやすい環境になっている。

ならば、若手社員の離職率は下がったのではないかと思いきや、逆に上がってきているという。しかも、働き方改革が進んでいる大企業ほど、その傾向が強い――。以前、リクルートワークス研究所主任研究員の古屋星斗さんに取材した際、そんな話を聞いた。仕事の覚えが早く会社のことも好き、上司ともうまくやっている新入社員が、突然、会社を辞めていく。なぜか? 働き方改革が進んだ「ゆるい職場」に対し、優秀な若者ほど「成長機会を持てないのではないか」という不安を抱くからだと、古屋さんはいう。

なるほど、その気持ちは、よくわかる。私も最初に入った会社が「ゆるい職場」だったら、最初はラッキーと思ったかもしれないが、次第に不安になっていっただろう。私は優秀な若者ではなかったが、同世代より自分が出遅れていることは承知していた。怠惰や怯懦を屁理屈でごまかすような、自分の性向も自覚していた。その分、キツイ職場で「修羅場体験」を重ねていかないと、半端モノにすらなれないことぐらいは、当時からわかっていた。

私のケースは普遍性に乏しいが、いずれにせよ、単に「ゆるい職場」にすれば若者のリクルートに有利で定着もしてくれる、という考えは浅はかだ。第一、若者をバカにしている。失礼だろう。

「言葉の持つ暴力性」に注意を

「ゆるい職場」にすれば、それで万事OKというわけではない。このことは、医療界でも言えると思う。

来年4月から、医師の時間外労働の上限規制が始まる。緊急に医師の働きすぎを是正しなければならない診療科や地域、職場は確かにある。その一方で、上限規制など要らない、余計なお世話だと思っている医師も少なくないのではないか。たとえば上限規制で、いわゆる「自己研鑽」の時間まで、結果として削られてしまうおそれはないのだろうか。特に若い医師は、使い走りはイヤだけど、手技を覚え、知識を身に付けるためなら、多少、ライフを犠牲にしてもよいと思うのではないか。若手でなくても、知識や手技は、常にアップデートを図っていく必要がある。そんな医師にとって上限規制は、煩わしいだけだと想像するのだが、どうだろう。

「よく言われることですが、裁量権がある医師は、忙しくてもストレス度は低いのです。ストレスの原因は長時間労働だけじゃなく、人間関係などいろいろありますが、裁量権があるかないかは、とても大きなファクターだと思いますね」。先日、ある民間病院の健康経営の取り組みを取材した際、そんなことを理事長が話してくれた。ストレスチェックの結果を見ると、平均してストレス度が一番低いのは医師で、もっとも高いのは事務職だという。

このような現実に即した論議を捨象し、「働く人の健康=労働時間の短縮」と単純化してしまう乱暴さを、ワークライフバランスという言葉は含んでいる。スローガンとはそういうものだし、それゆえに人口に膾炙するのだろうが、働き方改革は、こうした「言葉が持つ暴力性」に十分に注意を払いながら、進めていく必要があると思う。

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滝田 周 [(株)東京法規出版 保健事業企画編集2部 編集長]

◇◇滝田周氏の掲載済コラム◇◇
「喫煙歴40年のバカが、禁煙できた理由」【2022.10.11掲載】
「不正競争防止法と医療」【2021.12.2掲載】
「『良い人』たちをおだて、気持ちよく働いてもらいらい」【2021.3.4掲載】

2023.02.14