「だとすれば」
細谷辰之 [福岡県メディカルセンター医療福祉研究機構主席研究員・日本危機管理医学会専務理事]
人は謝罪する。人は謝罪するところに追い込まれる。今年になってからも多くの人が謝罪をしてきた。謝罪をさせられてきた。謝罪をする時には説明をしなければならない。なぜ、謝罪をする羽目に陥ったのか。どうしてこういうことになったのか、説明をすることが求められる。こういう時の説明は往々にして言い訳になりがちである。できればうまいこと言い訳をして、謝罪は出来うる限り軽くしたいというのが人情であろう。かくいう筆者も、物心ついてから星の数ほど言い訳をしてきた。保身のため、自ら蒔いた過ちの種の結果を回避するために、卑怯な言い訳を飽きもせずに重ねてきた。言い訳のミルフィーユな人生を送ってきた。その場限りの謝罪も自分を構成している細胞の数ほどしてきた。
世間では「だとすれば」で始まる言い訳が大流行りである。ような気がする。「誤解を招くことがあったとすれば」誠に遺憾であるとか、「不愉快な気持ちにさせたとすれば」誠に申し訳ないとか。大概は、善意を強調し、悪意がなかったことを世間にみとめさせようとする時に繰り返される。ような気がする。
またこれとは少し異なり、(部下の行為に)「そのような違反があったとすれば」誠に遺憾であり、責任者として管理責任は免れないと受け止めている。こういう類の使用法も結構人気である。知らなかったんです。知っていればそんなことさせませんでした。善意の塊です。誠実です。だから管理責任を自ら積極的に、求められる以上に背負い反省します。(なので直接の責任は問わないでね)善意であることの強調は逆効果だと思うと、ここのコラムで書いたことがある。コラムで書くくらいだから筆者自身そう思っているのであるが、自分が謝罪や言い訳をする立場に追い込まれるとつい、善意の強調に逃げ込みたくなる。東京都知事をやった放送作家に指摘されるまでもなく「わかっちゃいるけどやめられねえ」から脱却できない。かつて直立歩行や、言葉の発明をした猿の子孫であるはずなのに、なかなか進化の一歩が踏み出せない。一歩踏み出した方が有利であることがわかっているのにどうしてもできない。信念に基づき真っ直ぐ生きていない個体の悲しさであろう。
2024年5月20日22時34分現在ホモサピエンスの個体数は80億7029万8980個体。その場限りの謝罪に逃げたり、「だとすれば」で始まる言い訳でケムに巻こうとする個体が多いとしても、これだけの数生存していれば、信念に基づき真っ直ぐ生き続ける個体はそれなりの数いるはずである。そういう個体は過ちを犯した時、姑息な詭弁を弄して言い訳の山に逃げ込むことなく、真っ直ぐ責任を認め謝罪できる個体なのであろう。
進化ができず、卑怯な言い訳の海に漂う筆者の友人の中にもそういう個体が生存している。林和彦という人がそうである。
林和彦という人は、癌の専門医として生きてきた人である。神の手と言われた羽生富士夫という高名な外科医のもとでそのキャリアをスタートさせた。神の手の教室にいながら、外科的治療の限界を見据え、緩和医療の必要性に気がつく。神の手を激怒させ、半ば破門されながらアメリカに緩和医療を学びに出奔する。
後年、末期の癌に犯されたことを知った神の手は、激怒し穿いていたサンダルを投げつけ追い出した林和彦の緩和医療に救いを求めた。
癌の専門医として、癌から人を守ることに真っ直ぐな林和彦は癌の教育に身を投げ出す。小中学校で癌教育を展開するためには教育現場で信頼を獲得する必要に迫られる。教育現場で信頼をうるためには大学教授ではダメで、教員免許を持った教師である必要を感じる。林和彦は躊躇することなく教員免許を取るために教授でありながら教職課程を履修し教員免許を獲得した。以降、全国津々浦々ガンと戦うための知識と理解について語ってきた。
2014年林和彦が教授を務めてきた大学病院で、2歳の子供が死亡する医療事故が起こった。医療安全の担当だった林教授は真っ直ぐ病院の非を認め事故の処理に奔走する。その激務の中で体調を崩し、その不調は長く林和彦を苦しめた。この経験は林和彦をして消化器の専門家として消化器の健康をうるための方策を探求する人生をスタートさせるに至る。
林和彦は教授をやめ全財産を投入して、林和彦のヨーグルトを開発する。ヨーグルト工場を開き会社を起こした。「神グルト神楽」というのが林のヨーグルトである。その会社は、消化器の、腸の健康をうるためのヨーグルトを作るだけではなく、将来的にはガン患者が無理なく世間の偏見に翻弄されることなく働くことができる場を提供することを目指しているという。この辺りの経緯は5月19日の毎日新聞(※注1)に詳細に書かれているので興味のある向きはぜひ手に入れて読んでいただきたい。
なんとも、真っ直ぐで、真っ当な人生ではあるまいか。詩の詠めない吟遊詩人のような筆者の、来る日々を食い散らかしてきた人生とは対極である。
2024年も5ヶ月が終わろうとしている。あと7ヶ月と数日残っている。詩の詠めない吟遊詩人の人生が後どれくらい残されているか神ならぬ身に走る由もない。が、主に召されるその日までには、「だとすれば」に始まる言い訳に逃げ込まず、少しは真っ直ぐに生きていく知性を得たいと思っている。サピエンスたりうるとは言えないまでも、少しは真っ当な人間になりたいと願っている。
【脚注】
注1:「がん専門医、ヨーグルト製造に賭けた余生」(毎日新聞オンライン,2024.5.18掲載)
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細谷辰之(日本医師会総合政策研究機構 主席研究員)
◇◇細谷辰之氏の掲載済コラム◇◇
◆「パリサイ人」【2024.2.21掲載】
◆「シャルロット・サバイヨンは美味しい」【2023.11.14掲載】
◆「不思議の国はあります」【2023.8.8掲載】
☞それ以前のコラムはこちらから