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核軍縮だけではHEMP攻撃を防げない

榊原智 (産経新聞 論説委員長)

岸田文雄首相肝いりの「国際賢人会議」(座長・白石隆熊本県立大特別栄誉教授)の会合が5月21、22の両日、横浜市内で開かれた。米露英仏中の核保有五大国と日独などの元高官や有識者が集い、核軍縮や核廃絶に向けて、核兵器を保有する国(核兵器国)と保有しない国(非核兵器国)の橋渡し役を務めるのが狙いだ。再来年の核拡散防止条約(NPT)再検討会議を念頭に、来春にも最終提言をまとめる方針という。

賢人会議の開催自体を難ずるつもりはないが、このような核廃絶、核軍縮の取り組みだけで国民を核の脅威から守っていけるわけではないところに、核問題の厄介さがある。

核の脅威というと、広島・長崎の悲劇を思い浮かべる人が大多数だろう。ただし、この悲劇が小さく見えるような惨劇を核兵器は招くことがあり得る。

それが、核兵器の高高度爆発によるEMP攻撃(=HEMP攻撃)だ。これは、数万人、数十万人どころか数百万人、数千万人を死にいたらしめかねない。「メガデス」である。

太陽表面での大規模爆発現象「太陽フレア」が5月上旬に観測された。太陽フレアによって強力な電磁パルス(EMP)が宇宙空間に放たれる。それが地球に届いて人工衛星や衛星利用測位システム(GPS)などに障害を及ぼすのではないかと懸念された。太陽フレアによるEMPは過去、米国やカナダの発電所の機器を破壊し、大規模停電にいたらしめたことがあったからだ。今回は幸い、大きな被害は報告されなかった。

EMPは太陽だけが作れるのではなく、人間が核兵器や、非核のEMP爆弾で発生させることもできる。その中で最も甚大な被害を生むのが核兵器によるHEMP攻撃である。

高さ30キロメートルから数百キロメートルの高高度(高層大気圏)で核爆発があると、強力なEMPが広域に及ぶ。これは、あまりに高い空間で核爆発があるため、地上には爆風も熱線も放射能も及ばない。

ところが、たとえば米本土の中央部、オマハの上空500キロメートルで核爆発があると「(米)国中の送信機、送電システム、コンピューター、レーダーなどが、落雷の100万倍ともいわれる急激な電圧上昇に直撃されて機能不全に陥」るという。広島市国民保護協議会の報告書の試算である。

たった一発の核爆発で、広大な米国が麻痺する。日本でも同様の被害があり得る。これが何を意味するかといえば、社会がいきなり明治時代初期や江戸時代のインフラ状況に放り込まれるということだ。

電気もインターネットも使えず、放送も視聴できない。交通・物流網の復旧も文字通りメドが立たない。政府、自治体も企業もインフラ被害の程度を把握することさえできない。文明社会は消え失せ、外国の支援があっても焼け石に水だろう。日本なら何千万人も餓え死にしかねないということだ。

電子機器に耐EMP構造にしておけば被害はないのだが、世界のどの国も対策は追い付いていない。日本では自衛隊が米軍にならって施設や装備をEMP攻撃に堪えられる構造にしようと動き始めた。一方、日本社会はほとんど対策が講じられていない。政府が検討を始めた段階である。

たとえば、隣国の独裁者が日本の高層大気圏で核爆発を生じさせれば大変なことになる。朝鮮中央通信が2017年に、HEMP攻撃ができると脅しをかけてきたこともある。

HEMP攻撃を含め極めて深刻な、リアルな核脅威には、核軍縮、核廃絶を唱えたり、シェルター(避難施設、防空壕)をつくったりするだけでは防ぐことはできない。

とても残念な現実なのだが、今の人類の科学技術の水準では、HEMP攻撃を含む核攻撃をほぼ確実に防ぐ手立ては存在しない。すると、欠かせないのは自国や同盟国の核兵器による核抑止態勢の強化ということになる。核爆発によって直接的に人々を殺傷しない、直接的に地上を破壊しないHEMP攻撃であっても通常の核攻撃と同じか、それ以上に脅威の度合いが高いとみなし、核報復の対象だと明確にしておく必要がある。そうすることによって、HEMP攻撃を含む核攻撃を未然に防止しなければならないのが、私たちが生きる現代世界の実相だ。

先のワシントンにおける日米首脳会談で岸田首相とバイデン米大統領は、外務・防衛担当閣僚に対し、次回の日米安全保障協議委員会(2プラス2)の機会に米国の拡大抑止(核抑止にほぼ等しい)の在り方を協議するよう求めた。中国や北朝鮮、ロシアによるHEMP攻撃を如何に抑止するかを検討対象に含め必要がある。

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榊原 智(産経新聞 論説委員長)

◇◇榊原智氏の掲載済コラム◇◇
「憲法改正で大災害時にも首相を選べる国会に」【2024.2.13掲載】
「『戦後平和主義』では平和を守れない」」【2023.11.28掲載】
◆「発想の転換なしには守れない-日本の安全保障」【2023.8.29掲載】

☞それ以前のコラムはこちらからご覧下さい。

2024.05.28