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能登半島地震と東日本大震災 ―「人口減少時代の復興」という重い課題―

清宮美稚子 (編集者・『世界』元編集長)

地震から5カ月

2024年1月1日に起きた能登半島地震から5カ月あまりが過ぎた。壊滅的な被害を受けた被災地の復旧・復興についての報道も減っている。

ライフライン、とりわけ水道の復旧が遅れたことが、全国的に比較的大きく取り上げられてきたが、「早期復旧困難地区(1076戸)を除き、本日をもって断水が解消しました」と珠洲市がHPで発表したのは、ようやく5月31日のことだ。同市の全戸数が約5900だから、約18%で水道が未復旧ということになる。

水が使えなければ、当然食事は炊き出しや支給される弁当に頼ることになるだろう。SNSでは炊き出しのボランティアの方の発信なども見受けられる。避難所生活を続ける方々も含め、これから梅雨、酷暑の夏を迎えて衛生面などもとても気がかりだ。瓦礫の撤去なども進まず、復興以前の問題が多く解決できていないのが、被災から半年近く経った現場の状況だ。

復興計画案

石川県は、「地震からの創造的復興に向けた道筋を示すため、被災地の方々へのヒアリングや、アドバイザリーボード会議での有識者からのご意見も踏まえながら、『石川県創造的復興プラン(仮称)』を策定する」としている。能登町では、復興計画の策定に向けて、住民の意見を聞き取る意見交換会が5月17日から始まった。珠洲市でも意見交換会が6月1日から各所で始まっている。

補足すると、「創造的復興」とは、東日本大震災からの復興でもよく使われた言葉で、「単に震災前の姿に戻すだけでなく、『21世紀半ばにおける日本のあるべき姿を目指した復興を行う』ことが主眼」という(『震災復興10年の総点検』、五十嵐敬喜他著)。

5月20日には、石川県が復興計画の案を発表した。スローガンは、「能登が示す、ふるさとの未来 Noto, the future of country」。まだ住民との意見交換会が始まったばかりだが、「県議会の議論を経て6月中に決定する見通し」(『毎日』6月2日社説)というスピード感に驚く。
 
この復興計画案について、「『こうありたい』という思いは表現されていると思う」が、「復興という『夢』を具体的にどう実現するか、最後の詰めの部分についても、ほとんどうたわれていない」と指摘するのは、県の災害危機管理アドバイザーを3月まで務めた室崎益輝・神戸大学名誉教授(都市防災学)だ(『毎日』5月21日)。

具体性に乏しいことの根底にあるのは、高齢化と人口減少が進む地域の復興という大きく重い課題が横たわっているからではないか。東日本大震災の時も、「人口減少という課題先進地」の被災で課題の時計が10年早まった、とも言われたが、奥能登の場合はさらに深刻かもしれない。

人口減少時代の復興をどう考えるか。石川県の復興計画案では、現実を踏まえて、「関係人口」(域外の人がこの地域に興味を持って交流に訪れたり、副業の拠点にするなど)の拡大、また「2地域居住」の推進を図るなどの「リーディングプロジェクト」が掲げられているが、この大きく重い課題に正面から向き合うには足りないと感じる。

復興は政策である。財源が決められ、法律などに従って具体策が進められていく。東日本大震災では、「32兆円」という巨額財源への批判や、復興期間10年が過ぎて本当に人々は幸せになったのか、という疑問の声が聞かれた。よりどころとなる法律も、復興政策を先頭に立って進める人々(役人など)の頭の中も、右肩上がりの時代をひきずっており、相変わらず経済成長、人口増加、地価の値上がり等を前提に政策が組み立てられたが、長い時間が経過したあげく立派に整地された東北の被災地に戻ってこなかった人々も多い。宮城や岩手では、震災後に人口減が3、4割に達した自治体もある。その苦い教訓が思い起こされる。

能登ならではの生業(なりわい)を続けながら、ふるさとに住み続けたいという地元の人たちの思いと、インフラ整備もままならない現実。人々が本当に幸せになったと思える復興への道は限りなく困難だ。これは能登や東北の被災地だけの問題ではなく、全国的課題である。

司令塔の不在

今ではほとんど話題にのぼることはないが、2011年の東日本大震災からの復興を目的として、内閣に期間を定めて設置されたのが「復興庁」だ。当初は2012年2月10日の設置から10年間の期限だったが、その後2031年3月まで10年間の延長が決まった。ただ、福島の「原発事故からの復興」は継続するが、宮城・岩手については「心のケア」業務が中心で、復興の主な役割は終了ということになっている。

今年1月9日の記者会見で、「東日本大震災の豊富な経験を踏まえて、東北の復興だけでなく日本全体の防災に復興庁が関わっていく新しい組織づくりが必要では」という趣旨の質問を受けた土屋品子復興大臣は、「(国の組織の問題なので)政府の方針の中で考えるべきもので、現時点でお答えできないが、ただ、13年の大変厚い知見があるので、その意味では本当に役に立ちたい気持ちだ」と答えるにとどまった。

復興政策に詳しい弁護士で法政大学名誉教授の五十嵐敬喜氏は、復興庁の存続と強化(防災・復興庁へのバージョンアップ)を訴えてきた。「災害発生のたびに『対策本部』を立ち上げるやり方では実質的な司令塔が存在せず、また過去の経験が生かされない」

今までの災害復興の知見を結集した上で地域の実情に合わせた復興政策を、地域住民も主役となって進めていかないと、今回の能登半島地震からの復興でも、また将来確実に起こるとされる南海トラフ地震や首都直下型地震からの復興過程でも、今までの誤りを繰り返すことになるのではないか。復興庁を今後に活かすことはできないか。五十嵐氏の鳴らす警鐘を重く受け止めなければならない。

「事前復興」

前述したように、現在、石川県では復興計画の策定が急ぎ進められている。しかし、復興の主役であるべき住民も地方自治体の職員も被災し、危機的状況にある中で、復興計画を急ぎつくることができるのか。勢い、都市部のコンサルなどの作成する、スローガンは美しいが、中身はどこの自治体に向けても同じような計画案が出てくる現実が、東北では見られた。ではどうしたらいいのか。

ここでヒントになるのが、「事前復興」という考え方である。震災の発生する前に、つまり事前に、もし災害が起きたらどうしたらよいかを自治体と住民が協力して計画として定めておく。これが「事前復興計画」だ。2023年7月には、国土交通省も「事前復興まちづくり計画検討のためのガイドライン」を策定するなど、事前復興推進に積極的な姿勢をとっている。

事前復興計画の先端例とされるのが、南海トラフ地震への備えが急がれる高知県だ。この1月23日に、連携する高知市で初めての検討委員会が開かれ、「事前復興」の議論が始まった。同市では2026年度末までの計画完成を目指しているとのことだ。県内ではほかに黒潮町で取り組みが先行しており、香南市、宿毛市、室戸市、東洋町、大月町の5つの市町でも検討が始まっているという(NHKニュース、1月23日)。

事前復興計画は、巨大地震が想定される地域だけでなく、日常的に災害に見舞われるようになった全国で必要だ。しかし、その策定は簡単ではない。最も難しい課題は、「現代は、住民が将来どのような生活を望んでいるのか、という点について大方の合意を得ることが極めて難しくなっている」ことだという(前出『震災復興10年の総点検』)。その通りなのだろうが、問題の根底には、「人口減少時代の復興はどうあるべきか」という議論が全国的にまだまだ詰めて行われていないことがあると思う。例えば「コンパクトシティ」については専門家の間でも意見が分かれる。しばしば不都合な真実に向き合い、それをも踏まえて厳しい議論をしなければいけないことも多いだろう。

震災からの復興にとどまらない。日本が抱える多くの課題の根底にあるのは、人口減少・少子高齢化という、解決が極めて困難な問題だ。何を考えるにも、この問題が大きく立ちはだかると感じている。

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清宮美稚子(編集者・「世界」元編集長)

◇◇清宮美稚子氏の掲載済コラム◇◇
「20世紀後半を代表する世界的指揮者――小澤征爾追悼」【2024.2.27掲載】
◆「豆腐の話」【2023.11.7掲載】
◆「『NO DU』再び」【2023.6.13掲載】

☞それ以前のコラムはこちらから

2024.06.04