先見の明がないにもほどがある⁈
片桐由喜 (小樽商科大学商学部 教授)
地獄坂
本学は地獄坂と呼ばれる坂を上りきったところに建てられている。小樽駅から徒歩で向かう場合、ほとんど踊り場らしき平坦地はなく、ひたすら坂を上り、帰りは転がるがごとく下る。運動部所属の学生たちにとっては、絶好の筋トレ道場である。一方、身体障害者にとっては出退勤も登下校もまさに地獄である。そんな本学に今春、電動車いすを利用する学生が入学してきた。当該学生が安全安心に就学できるよう、教職員が支援中である。
支援を検討する中で、学外の通学路のみならず、学内移動もまた容易でないことが次々と判明した。つまり、校舎もまたバリアフルなのである。なにゆえに、かくもバリアフルなのかと頭を抱えたが、しかし、目を転じれば、それは本学だけに限ったことではない。
先見の明がないにもほどがある?!
本学は1号館から5号館までの校舎、研究棟がある。増築に増築を重ね、建物間にはもれなく段差がある。なぜ、建てるときにフラットに設計しなかったのか? それは不可能だったのか? 今年、「不適切にもほどがある」というタイトルのドラマがヒットした。本学の上記段差を見るたびに「先見の明がないにもほどがある」と思わずにはいられない。
もっとも、身体障害者、ましてや電動車いすを利用する学生が入学することは当時の設計担当者には想像もつかなかっただろう。そして、目を転じれば全国のほとんどの公立小中学校、高校にはエレベーターやエスカレーターはない。身体に障害のある児童、生徒のうち、バリアフル校舎に対応できない場合には養護学校に通学することが予定されているからである。
半周遅れの障害者福祉制度
社会福祉制度は児童、高齢者、そして、障害者を主として対象とするところ、高齢者は大票田、子どもは国の宝ということで、この両者を対象とする制度は相当程度、充実していることは周知のとおりである。これに比し障害者福祉制度は半周どころか、1周遅れの感がある。これは障害者がみずからSOSを発信し、要望を主張することがしばしば難しく、その保護者は障害を持つ子を世の中から(やむなく)見えない状態に置かざるを得ない時間が長く続いたことに大きく起因する。つまり、いわゆる健常者には障害者は見えない存在、ないしは、あえて見ようとしない存在でもあり、これが障害者に対する理解、共感、彼らの困りごとに対する想像力などを欠如させてきた。この欠如は建築物の設計担当者、そして、予算権限者にもみられ、それが今日のバリアフル建築を作ることを防げなかった1つの理由といえよう。
知恵と工夫、その限界
建築物は一度、建ててしまうとその改修は物理的にも金銭的にも容易ではない。だから、現存のバリアフル建築物を使い手にとってバリアフリーにするには知恵と工夫で乗り切らなければならない。電車車両とホームをつなぐスロープ板はまさに「知恵と工夫結集型バリアフリー装置」である(※注1:写真参照)。必要は発明の母を合言葉に、ピンチはチャンスが得意な日本人は様々なバリアフル建築物を知恵と工夫を駆使して克服してきたし、これからもそうするだろう。しかし、それに限界があることも確かである。
本学の当該学生に限らず、障害を持ちながら学ぶ学生たちは、おそらく我慢と諦めを常に強いられているはずである。それが近い将来、ただちに解決する見通しも立たない。我慢と諦めの程度を少しでも小さくするのが私たちの務めである。
【脚注】
(注1)スロープ板
出所)交通エコロジー・モビリティ財団ホームページ
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片桐由喜(小樽商科大学商学部 教授)
◇◇片桐氏の掲載済コラム◇◇
◆「高齢者のためのセカンドプレイス」【2024.4.16掲載】
◆「医療ドラマと現実 -絵になる救急医療-」【2024.1.9掲載】
◆「リケ女獲得合戦」【2023.9.26掲載】
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