自由な立場で意見表明を
先見創意の会

20年の飛躍

林憲吾 (東京大学生産技術研究所 准教授)

はじめてインドネシアの空港に降り立ったのは2003年8月のことだから、もう20年以上も前になる。スマトラ島で一番大きな都市メダンの、オランダ時代から続く古いポロニア国際空港だった。「降り立つ」とは文字通りで、タラップから地面に直接降りて、たしか平屋の、そう大きくはない空港施設まで歩いて入った。

飛行機を出るとすぐに、遠く離れた土地の空気に全方位からさらされる、あの感覚が好きである。熱帯のムッとした暑さにやや怯みながらも、インドネシアに足を踏み入れたという実感にすぐさま気分が高揚した。当時のパスポートを見返すと、いまでは必須の到着ビザもまだなかったから、すんなり入国したのだろう。

と、まあ、こんなノスタルジアから書き始めたのは、先日ジャカルタに降り立って、隔世の感を覚えたからだ。

首都ジャカルタの国際空港ともなれば、当時から搭乗ブリッジがあったから本題はそこではない。とはいえ、空港建築の名手であるフランス人建築家ポール・アンドリュー設計の1985年にオープンしたスカルノ・ハッタ国際空港は、ジャワの伝統建築の意匠を取り入れるという当時流行のポストモダンなデザインで、逆にそれが時代を感じさせるものだったので、2016年に鉄とガラスと金属パネルの文字通りピカピカの新ターミナルが増設されたことは、それはそれで隔世の感がある。

だが、ここでの本題は到着ビザである。2003年の翌年からインドネシアの短期入国には到着ビザが必要になった。空港に到着後、ビザ代を支払う窓口にまず並び、そこでビザを得る。続けて入国審査の窓口に並び、審査を受けて無事入国となる。

このビザ窓口がしばしば混む。当たり前だ。ほぼ皆買うからだ。そのため、到着して機内を出ると、搭乗ブリッジの隙間から感じる現地の空気などどこ吹く風、みんな足早に窓口に向かう。私も足早どころかよく走っていた。

それがコロナ開けから電子ビザの仕組みがはじまった。事前にネットでビザを取得できる。これで最初のビザ窓口に並ばなくてよい。便利である。

だから、空港に着くと入国審査にただちに向かう。すると、ここがとても混んでいる。混むというより待ち時間が長い。長蛇の列を牛歩で進む。

だが、どうもおかしい。というのも2回目なのだ。昨年コロナ開けで久しぶりにジャカルタに来て、やはり牛歩のごとくだったのである。電子ビザ以前よりも足止めを食らっている。

もしかして…。自分の番まであと数人になったあたりで、そう思い、そして自分を呪った。

実はずっと前から気づいていたのだ、遠くに一直線に並ぶ夥しい数の真っ白な自動化ゲートに。だが、どうせ無理なのだろうと、私は高を括っていた。なぜか。日本では自動化ゲートは日本人か再入国許可等を持つ一部の外国人に限られているからだ。外国人へのセキュリティの厳しさか、機械への信頼感のなさか、日本に到着する日本人は自動化ゲートに回されるが、外国からの方々は長蛇の列へと導かれる。それをいつも脇目に見ていたからだ。

だが、インドネシアはそんな日本をはるかにすっ飛ばしていた。我々のようなよそ者にも、電子ビザの申請とともに自動化ゲートは歓迎してくれるらしい。ようやく順番が回ってきた私に入国審査官が言う。「なぜ自動化ゲートを通らないのか」と。

全くそのとおりでございます。戦後アジアでいち早く技術立国したという神話に溺れる日本人の、おごりと偏見に満ち満ちた自分を恥じた。もちろん、前回の入国審査官はなぜそれすら教えてくれなかったのか…という身勝手な愚痴など決してこぼさなかった。

慣例や既得権益、技術への不安感から新興の技術やシステムに直ちに移行できない日本と異なり、先端技術がむしろ一足飛びに社会に浸透する現象は、インドネシアに限らず新興国によく見られる。車やバイクの配車アプリはその典型だし、東京都知事選で騒がれたようなSNSの政治だって、東南アジア政治学の人たちからしてみれば、何をいまさらという感じだろう。リープフロッグと呼ばれるこうした跳躍は、この20年のインドネシアに数々あった。そのことに改めて気づかせてくれた入国スタンプであった。

ところで、冒頭のはじめてのメダンにも、私はほろ苦い思い出がある。泊まったホテルでのこと。1泊千円にも満たない「チェリーピンクハウス」という名のホテル。過剰にピンクが塗られているが、決してあやしいところではない。ただ、初日シャワーが全く出なかった。蛇口をいくら捻っても水は出ない。トイレと一体の広めの浴室には、水を貯めておく樽が置いてあったが、それも空っぽ。はて、どうしよう。

呆然として、隣の洋式トイレに目を落とす。すると、そこには小さなシャワーが付いている。レバーを握ると勢いよく水が噴き出す。

これか。そう思い、迷うことなく全身を洗う。どうにもコードが短く、便器の横にうずくまりながらではあったけれども。

はじめてのインドネシアどころか、海外に出たのも人生2回目。無知も無知。井の中の蛙も蛙。もちろんそれがインドネシア版ウォシュレットだと私は知らない。「おしりだって、洗ってほしい」は仲畑貴志の名コピーだが、おしり以外もそれで洗ったことになる。

そもそもずっとおしりを洗ってきたイスラーム圏。そのあちこちに普及するこの小型シャワーを見るたびに、桃色のノスタルジアに浸り、初心にかえるのである。私はこの20年で跳躍できているのだろうか。

ーー
林 憲吾(東京大学生産技術研究所 准教授)

◇◇林憲吾氏の掲載済コラム◇◇
「独立をいかに記念するか」【2024.3.26掲載】
「原子力災害と凍結された時間」【2023.12.12掲載】
「都市林業の効用」【2022.3.22掲載】

☞それ以前のコラムはこちらからご覧ください。

2024.07.30