なかなか遺産を駆け抜ける
林憲吾 (東京大学生産技術研究所 准教授)
ながい廊下を味わう
11月の第2日曜日、一関市の旧達古袋小学校に足を運んだ。恒例の「なかなかZ-1グランプリ」が開催されたからだ。
一ノ関駅から車でおよそ20分。栗駒山の麓に旧達古袋小学校はある。門柱のある坂を上ると、広い校庭の正面に真一文字の横になが~い木造平屋の建物が現れる(写真1)。その全長は119m。京都の三十三間堂とほぼ同じ長さである。
1951年の竣工から2013年の閉校まで、小学校(一時は中学も併用)として使われていたこの校舎は、教室などの諸室が横一列に並び、それを片廊下がつなぐシンプルなつくりをしている。しかし、そのシンプルさゆえに、諸室をつなぐ廊下がとてもなが〜くなった(写真2)。
写真1.校庭からの旧達古袋小学校。里山を背負う119mのキリっとした横長の校舎。
写真2.60m地点からゴールまで続く廊下。全長はこれの約2倍。
「なかなかZ-1グランプリ」は、このなが~い廊下を愛でて楽しむ年中行事である。Zは「雑巾」のZ。そう、長い廊下を使った雑巾がけタイムレースのことである。NPO「一関のなかなか遺産を考える会」が主催し、80m、50m、20mの3部門で幼児から大人まで今年はおよそ40名が板張りの床を駆け抜けた。
ちなみに、この大会には本家本元がある。「Z-1グランプリ」は西予市商工会の登録商標で、宇和町小学校の校舎を保存活用した宇和米博物館で2004年から開催されている。1928年に建設された第1校舎は、旧達古袋小学校と同じく片廊下式の長い木造校舎でこちらは全長109m。それを使った本格的な雑巾がけ100m走が実施される。2015年に交流したのをきっかけに、長い廊下を持つ建物をよしみに、旧達古袋小学校でも2017年からこの名称で開催するようになった。
愛着を育む
では、旧達古袋小学校では、なぜにそんな行事を行っているのか。それは、一人でも多くの人にこの建物を味わってもらい、建物への愛着を育むためである。
横に長いこのユニークな木造校舎は、2013年の閉校を機に存続が危ぶまれた。校舎の半分を解体する案が浮上したのだが、それではこの建物の取り柄がそぎ落とされてしまう。それはやはり哀しい。そう感じた地元一関の建築士会の人たちが中心になって、校舎の保存活用に尽力した。
区長さんはじめ地域の人たちと定期的に会合を持ち、専門家を招いてシンポジウムを開き、NPOを立ち上げ、徐々に建物の魅力を周囲の人たちと共有していった結果、2014年6月、ようやく半分になる案は消えた。校舎の半分は改修されて一関市厳美市民センター達古袋分館に生まれ変わり、残り半分をNPOが所有、管理しながら、市民活動の場として維持されている。
とはいえ、この建物は、いまのところ、世界遺産でもなければ、国の重要文化財でもなければ、県や市の指定文化財でもない。盤石な保存の仕組みがあるわけではない。建物は使われ、愛され続けなければ、解体の危機は大きくなるから、みんなが自然と残したくなる気持ちを育てていかなければならない。
その第一歩は、建物との思い出づくりではないだろうか。とりわけ、その建物ならではの思い出づくりは重要だろう。小学校時代であれば、学び舎での思い出を持った子供たちが毎年生まれるが、廃校後はそうはいかない。新しいきっかけが必要である。そのきっかけづくりを、パワフルなNPOの人たちが、さまざまに試行錯誤しながら2014年からコツコツと続けている。「なかなかZ-1グランプリ」はそれを代表する一大イベントなのだ。
なかなか遺産
他方、私は、そんな旧達古袋小学校になぜに足を運んでいるのか。それは、この建物が「なかなか遺産」だからであり、私が「国際なかなか遺産推進委員会」のメンバーだからだ。
これまでの文章に、「なかなか」という文字が所々に出てきて、訝しがっていた方もおられるだろうが、「なかなか遺産」と聞いてますます訝しがっておられるかもしれない。「なかなか遺産」とは何なのか?
東京大学生産技術研究所の村松伸さんと腰原幹雄さんを共同代表に設立された国際なかなか遺産推進委員会による定義は次のようなものだ。
なかなか遺産とは、どこにもない特異性をもち、一度見ただけでくすっと笑っちゃうことから、国の重要文化財や世界遺産に認定はされないものの、でも、生真面目に、地域やそれを越えた地球上の環境やひとや社会やいろんなものを結びつけ、「なかなか!」と見るひとびとを唸らせ、建造物のみならず、そのつながり全体を劣化させずに次世代に継承させたいと自然に思えてしまう遺産のこと。
たとえ世界遺産や重要文化財になっていなくても、訪れてみると予想外に「なかなか!」と心を打たれる建物はある。しかも、そのなかなかっぷりが、洗練とは少し違って、やや可笑しさが込み上げてくるほどの過剰さ、懸命さ、可愛さなどをそなえた建物がある。しかも、建物が周りの人や自然を巻き込んで、互いに響き合う関係をつくっている。そんな建物と、それを守ろうとする人たちを応援するためにできたのが「なかなか遺産」である。
まさに旧達古袋小学校はそれにぴったりな建物である。というより、そもそも旧達古袋小学校を応援する中で「なかなか遺産」が誕生したのだから当然なのではあるが、旧達古袋小学校は2014年8月に「なかなか遺産」第1号に指定されている。
その後、「なかなか遺産」は徐々に数を増やし、2024年現在、第7号まで指定されている(※注1)。「ゆうゆう」「ぱつぱつ」「ずらずら」など、それぞれの建物の特徴を「なかなか」にかけて畳語で表現している。旧達古袋小学校なら、ながなが系。
最新の第7号は、明治22(1889)年竣工の千葉県香取市にある与倉屋大土蔵。醤油の醸造蔵にはじまり、兵器庫、製粉業、米蔵と用途を変えながら、現在では近隣コミュニティの祭りのための施設としても利用している。不整形な敷地に目一杯の屋根を架けようと苦心した結果生まれた「がやがや」した小屋組みが特徴なので、がやがや系。2022年7月に指定された(写真3)。
写真3 なかなか遺産第7号「与倉屋大土蔵」。がやがやした小屋組みが圧巻(撮影:淺川敏)
このような背景のもと、私は「なかなか遺産」の伝道師の一人として、旧達古袋小学校に赴いている。開会式で挨拶し、20mの試走セレモニーを行い、閉会式ではつらつとした子供たちに賞状を渡した。他方、80mをはじめて走った大人たちは、まさかこんなに雑巾がけが辛いとは思いもよらなかったとばかり、やや放心状態なのが印象的である。今年は出場しなかったが、最後の20mで身体がいうことをきかなくなるのを私は知っている。
Z-1グランプリは、懸命な走者を応援する風景もまたよい。昔の教室の窓から桟敷席のように身を乗り出して応援する(写真4)。走者への応援は、きっと建物にも届いているにちがいない。走り、応援した子供たちが「なかなか遺産」の次世代の担い手たちになってくれるとうれしい。
写真4 かつての教室が桟敷席のようになるのが素晴らしい(2017年11月撮影)
【脚注】
※注1:なかなか遺産については「なかなか遺産ブログ」を参照。
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林 憲吾(東京大学生産技術研究所 准教授)
◇◇林憲吾氏の掲載済コラム◇◇
◆「20年の飛躍」【2024.7.30掲載】
◆「独立をいかに記念するか」【2024.3.26掲載】
◆「原子力災害と凍結された時間」【2023.12.12掲載】
◆「インフィル保存」【2023.8.22掲載】
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