生成AIの医療・健康への実用:アリペイ(中国)「AI健康管家」
岡野寿彦 (NTTデータ経営研究所 シニアスペシャリスト)
中国では医師の不足や地域による偏在、伝統的な医療機関の効率の低さなどの改善を目的に、2014年ころからオンライン医療の活用が模索され、2020年からの新型コロナウイルス感染症(COVID-19)においては医療インフラを補完する役割を果たした。しかし、本コラム欄で定点観察してきたように、オンライン医療が事業として収益化するには至っておらず、“コロナテック”として日本でも紹介された平安好医生(平安保険グループ)、阿里健康(アリババグループ)などのオンライン医療事業者は薬や医療機器の販売、保険サービスの開発・販売の“入口”として活用しつつ、ビジネスモデルの改善に取り組んでいる状況である (※注1)。
その中、AI(人口知能)の医療へ応用は、画像認識などで進められてきたが、2024年になって生成AI技術をベースとする“対話型”のオンライン相談で医師の役割を補完し、顧客(患者)満足を高めることを目指すサービスが登場している。アリババ、テンセントなどプラットフォーマーは、支付宝(アリペイ)などモバイル決済を「生活アシスタント」と位置付けて、顧客の生活シーンをサポートするサービス開発に注力しており、医療・健康サービスはその最重要領域と位置付けられている。
本稿では、アリペイ「AI健康管家」のケース分析を中心として、生成AIの医療への実用の状況と課題について概観したい。
1.中国のオンライン医療とAIの応用状況
中国では2014年をオンライン医療の元年と位置付ける見方が多い。当初は病院の診察のオンライン予約や支払が中心だったが、次第にインターネットを通じた医師による診察が試行された。中国政府も「インターネット+」政策(※注2) の重点分野として医療・健康を位置づけ、2017年にインターネット医療に関する政策を相次いで制定。2019年には医療保険の電子化を進めて普及を後押しした。さらに、AI技術の進化と共に、受診前・後の質問・相談など患者と医師・医療機関とのコミュニケーションでの実用が進められてきた。
そして、生成AI技術が急速に進化する中で、この“患者と医師・医療機関とのコミュニケーション”は実用のパイロット・シーンとして位置付けられ、技術・サービス開発が競われている。これまで質問項目に患者がyes/noで回答するような選択式の単純な仕組みだったのが、大規模言語モデルによる自然言語処理を活かした「対話型」に進化しつつある。加えて、文字だけでなく、会話(いくつかの方言にも対応)および画像を用いて、より正確な診察前コミュニケーションを取ることが、技術的に可能になっている。そして重要なこととして、システム上に蓄積された患者との対話(質問と回答)を整理・知見化し、AIの活用範囲・レベルを拡げることによって医師の時間を捻出し、患者とのより深いレベルのコミュニケーションを行うことが目指されている。
背景には、医師の不足と偏在など地域による医療格差、患者と医療機関との情報の非対称性などの従来からの課題に加えて、高齢化の進行や高血圧、糖尿病など慢性疾患の発病率の増加などがあり、これら“困りごと”の解決を機会として事業化に取り組もうとする企業のエネルギーがあることは見逃せない。
2.アリペイ「AI健康管家」の概要:医療機関と連携して「知見のエコシステム」を目指す
アントグループは2024年9月に支付宝(アリペイ)と連動したサービスとして「AI健康管家」をリリースした。中国語の「管家」は、「日常生活を管理し世話する人」を意味する。冒頭で述べたように、アリペイ、WeChat Payなどモバイル決済は自らのポジションを「生活アシスタント」として標榜しており、生活・人生における重要シーンである医療・健康を、モビリティ(移動)、金融などと共にサービス開発の重点と位置付けている。
「AI健康管家」は、症状に応じた医師を探す、薬の効果や副作用について問い合わせる、検査や診断報告書を解説する、医療保険について質問するなど、約30のメニューが、生成AIをベースに対話形式で提供される。これらメニューは、医師の診察前、診察中、診察後に加えて、日常の健康管理をカバーし、さらに、個人ごとのニーズに応じた知見を提供する「正確さ」を目指す。
アントグループは、「AI健康管家」のベースとなる大規模言語モデルを医療機関に無償で提供することを公表しており、医療機関と提携して知見を蓄積・活用できるエコシステムを構築していく方針である。現時点で、浙江省衛生健康委員会、上海交通大学医学院附属仁済医院泌尿器科など20の医療機関が「AI健康管家」に参加しているとのことである。
アリペイは、既に全国3600の医療機関、8億人の顧客に予約・支払い、薬の購入、日常の健康管理などのサービスを提供している。今回公表された生成AIによる対話型のサービスの普及、知見の蓄積・活用が、顧客基盤を活かしてどのように進展していくか、そこでの課題は何か、注目していくべきポイントだと考える。
3.生成AIの医療への実用における課題と今後の展望
アントグループ「AI健康管家」で見てきたような、生成AIを医療・健康サービスの「補助」として活用する取り組みは、中国政府の方針とも合致し、IT企業、医療機関によるサービス開発事例(公表ベース)が増加しつつある。例えばテンセントは、「三舅健康管家」のリリースをアントグループ「AI健康管家」と同一日に公表した。テンセントが開発した医療向け大規模言語モデルをベースに、WeChatユーザにクラウドからAIアシスタント機能を提供するものである。
中国政府も、「次世代人工智能発展計画」、「健康医療におけるビッグデータの応用・発展に関する意見」、「“インターネット+医療健康”の促進に関する意見」など一連の政策・指針で、AI、ビッグデータ、5G通信、ブロックチェーン、IoTなど技術の医療・健康への実用を奨励している。
一方で、AIの医療・健康への実用に関しては、次のような課題が指摘されている。
●生成AIを医療・健康サービスの「補助」として活用する/できる範囲・ルール
●データの収集および開発されたAIモデルの効果の評価について、標準化された権威ある基準が存在しない。一部のAIモデルでは誇大な宣伝も見受けられる。
●AIの実用に関わる監督制度と法律の整備が不十分であり、特に、責任分界点を定めることが困難な状況にある。
●データセキュリティ。多くの医療機関・企業が連携するなかで、脆弱ポイントでのデータ漏洩、サイバーセキュリティのリスクが高まっている。
生成AIの医療・健康への実用について、中国の有識者からは、「患者中心の医療への転換」の有効な機会として位置づける発言も聞かれる。先見創意の会のコラムの場をお借りして、「オンライン医療」、「インシュアテック(デジタル技術による保険の変革)」、「データの医療・健康への活用」 と共に、引き続き定点観察をしていきたい。
【脚注】
※注1 先見創意の会コラム「中国のオンライン医療・ヘルスケア事業の最新動向:2Cから2Bへ」
※注2 2015年制定。2000年代から消費者サイドで普及したインターネットを、不効率さが残る製造、金融など伝統的な産業領域と組み合わせることにより、経済社会の底上げを図る政策。
ーー
岡野寿彦(NTTデータ経営研究所 シニアスペシャリスト)
◇◇岡野寿彦氏の掲載済コラム◇◇
◆「医療・健康におけるデータの活用:中国の『データ価値化・活用事例創出』2024年動向」【2024.8.6掲載】
◆「医療・健康データのセキュリティ:デジタル主権をめぐる米中の攻防」【2024.5.7掲載】
◆「テクノロジーによる保険事業の変革:衆安保険(中国ネット保険のパイオニア)のヘルスケア・エコシステム」【2024.1.23掲載】
◆「中国のオンライン医療・ヘルスケア事業の最新動向:2Cから2Bへ」【2023.10.17掲載】
◆「Chat GTP(生成AI)とつき合う」【2023.6.6掲載】
☞それ以前のコラムはこちらからご覧下さい。