フローリアンと電気自動車
滝田 周 [(株)東京法規出版 保健事業企画編集2部 編集長]
もはや酔狂としかいいようがない
いすゞ自動車は今でこそトラック・バスの専業メーカーだが、1990年代初頭までは乗用車も生産していた。70年代に資本・業務提携した米・ゼネラルモータズ、およびその傘下の欧州・豪州メーカーと基本設計を共通化し、合理化を図っていたが、60年代には、独自設計の「ベレット」と、その後継の「フローリアン」を発売している。
亡父は、60年代から70年代にかけて、このベレットとフローリアンを2台ずつ、計4台を乗り継いだ。私が生まれたのは、2台目ベレットの頃である。ファミリーカーには分不相応な四輪独立懸架を与えられ、名車の誉高いベレットはともかく、当時も今も「迷」車扱いのフローリアンを乗り継ぐなんて、どうかしている。あまつさえ、2台ともボディーカラーは同じ白だった。もはや酔狂としかいいようがない。
お尻が垂れ、まとまりに欠け、ぼんやりとしてどん臭い
迷車・フローリアンは、どんなクルマだったか? 広く明るい室内は美点だったが、問題はデザイン。お尻(後部)が垂れ、まとまりに欠け、ぼんやりとしてどん臭い。対してベレットは、卵の殻をモチーフにデザインされた塊感のあるフォルムで、子どもの審美眼でもってしても、フローリアンよりずっと好ましく映った。機構的にも、四輪独立懸架を捨てリヤサスに板バネを採用するなど、ベレットから退化した感のあるフローリアンは、案の定、売れなかった。
にもかかわらずフローリアンは、80年代の初頭まで細々と生産・販売が続けられた。その理由として、フルサイズセダンを開発する余裕がなかったいすゞにとって、自社の役員車として使えたのはフローリアンしかなかったから、という説がある。そういう事情なら、マイナーチェンジごとに高級車っぽいメッキの加飾が増えていったことも説明がつく。最終型では、独立した仰々しいフロントグリルが与えられたが、「取って付けた感」がありありで、見る者に悲哀を感じさせる以上の効果はなかった。お手すきなら、「いすゞ フローリアン」で画像検索してみてください。
クルマは、甚だ不完全な機械だった
父が不帰の客となり、はや四半世紀が経つ。当時、兄と遺品整理していて出てきた日記帳には、フローリアンのことが思いの外たくさん書かれており、驚いた。とにかく故障が多い。ウインカーや室内灯などランプ類の球切れや、ドアノブが動かないなどの不具合は、故障のうちに入らない。キャブレターのセッティングが狂う、ディストリビュータの接点が摩耗し点火時期がズレるなんてことも、日常茶飯事だった。あれやこれやで、均せば2カ月に1度ぐらいは、ディーラーのお世話になっていた。一緒に着いていって、整備士のお兄さんにかまってもらった記憶が、微かにある。
キャブもデスビも電子化されメンテナンスフリーとなって久しく、ランプ類はもとより、ヘッドライトまでLEDとなった今から見れば、隔世の感がある。あの頃、発展途上の技術に、主要道ですら未舗装路が多かった過酷な道路事情も相まって、クルマはよく壊れた。フローリアンに限らず、クルマというものは、甚だ不完全な機械だった。
白物家電化するクルマ
それに比べ今のクルマは、限りなく完成形に近づいている。普通に使っていれば、まず故障はしない。運転支援機能も年々進化し、かつその技術は均霑化しコストも下がり、大衆車や軽自動車にまで降りている。こうしたクルマの白物家電化、コモディティ化がこのまま進めば、完全自動運転も早晩、普通のこととなるだろう。
ただ、白物家電化が進展するほどに、機械に対する人間の興味、関心は薄くなっていく。機械は不完全で、多少いじる余地のあったほうが、人間は楽しめ、その機械に心を寄せることもできる。冷蔵庫や洗濯機のように、放っておいても黙々と、間違いなく仕事をこなしてくれると、有難みも楽しさも感じなくなる。心に何も引っかからなくなり、機械は空気のような存在になる。
「EVが楽しいのは、今」なのかもしれない
内燃機関は、長年の技術やノウハウの塊といわれるが、そんな蓄積が無くても生産できるEV(電気自動車)の時代になれば、多種多様なメーカーが自動車産業に参入し、クルマの白物家電化がいっそう加速するといわれてきた。実際、中国のXiaomiは昨年、EVをリリースしたし、ソニーもホンダとのコラボでEVを開発、近く米国で発売する。一方でEVは、現時点では「甚だ不完全な機械」であることも露呈してきている。短い航続距離と長い充電時間、寒冷地での極端な性能低下など、克服すべき課題は多い。
ただ、だからこそ、「EVが楽しいのは、今」なのかもしれない。いつ、どこで充電するか、ガス欠ならぬ電欠にならないよう綿密に計画を立てEVで長距離をドライブする動画が、YouTubeには無数にアップされている。投稿者は、燃費ならぬ電費を稼ぐためエアコンを切り、冬は震えながら、夏は汗をかきながら文句を垂れるが、その実、妙に楽しそうだ。頭をひねって不完全な機械をマネジメントして走り切ることに、充実感、達成感を見出しているのだろう。
春先の官舎の庭で、クルマいじりをしていた父
医師だった父がフローリアンオーナーだった60年代後半は、大学の医局人事で北東北の山あいにある街の関連病院(ジッツなんて呼んでいましたね)に勤めていた。公立病院だったから、住まいは素気ない官舎。「民話のふるさと」の別名もある長閑な街のさらに外れにあったその一軒家は、田んぼに囲まれ初夏の夜には蛙の声が信じ難いほど喧しく、盛夏は盆地ゆえ暑かった。秋が過ぎるのは早く、冬は半端なく凍てついた。
雪がちらつき始めると父は、ホイールにセットした状態で物置に保管していたスパイクタイヤを夏タイヤと交換、「長靴を履いたようだ」とよく言っていた。鋲を打ち込んだスパイクタイヤは、粉塵により呼吸器疾患を引き起こすとして後年禁止された。真冬の特に冷える日には、オーバーヒートならぬオーバークールを防ぐためのカバーをフロントグリルに付けた。適当な段ボールを付けたクルマも、よく見かけた。
春先の良く晴れた日曜の朝、ようやく温み始めた風がかすかに吹き抜ける官舎の庭にフローリアンを停め、ボンネットを開け、なにやらゴソゴソといじっていた父の姿を思い出す。あの頃、フローリアンは「空気のような存在」では決してなかった。どん臭いデザインや度々機嫌を損ねることも含めて、確かな存在感を放っていた。あれこそが、クルマという機械と人間との蜜月期だったのだろう。車輪が4つあることぐらいしかフローリアンとの共通項を見出せないEVの動画を眺めながら、そんな思いが頭を巡った。
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滝田 周 [(株)東京法規出版 保健事業企画編集2部 編集長]
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