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先見創意の会

御古解読のススメ

林憲吾 (東京大学生産技術研究所 准教授)

先日、とある授業で「御古(おふる)」にまつわる課題を出した。誰かから継承している身の回りの中古品、すなわち御古を取り上げ、それが自らの手に渡るまでの経緯を調べてもらった。

購入やおさがり、形見分けなどのかたちで私たちはそれなりに中古品を手にしている。しかし、それらがどのようにして以前の持ち主の手に渡り、そして自分に巡ってきたのか、そのような履歴にまで思いを馳せることはほとんどないのではなかろうか。

実際90名ほどのレポートを読むと、以前の持ち主は把握していても、取得の経緯までを最初から知る者は少ない。さらに言えば、持ち主がわからない御古を、皆それなりに持っているようだ。当然だろう。中古品を購入する場合、以前の情報は消されていることがほとんどだからだ。

全く知らない他人の中古品を引き継ぐ時、持ち主を知らない方が何だか安心するという感情はないだろうか。モノに謎の人間味が宿ると、少し不気味にすら感じることがある。モノに宿る情報が私たちの感情と結びついている証である。

では、それらモノに宿る情報は、邪魔で余分な情報なのだろうか。いや、むしろその情報を引き出すことで生まれる感情は、モノに対する愛着に結びつくようだ。

経緯を知らなかった御古を持つ多くの学生が、以前の持ち主にインタビューしてくれた。もちろんいまから履歴をたどれる品となれば、親族や知人から引き継いだ御古となる。

だが、身近な人であっても、知らないことは多分にある。何気なく手にしていた御古には、戦争の記憶、果たされなかった想い、人生の節目の決意など、それはもう千差万別の物語が、それぞれに付帯していた。

御古を使う当の本人も全く予見していなかった物語である。新たに知った物語に、驚いたり、感嘆したり、微笑んだりしながら、モノへの認識が変わったと述べた人は多い。

つまりモノに宿る情報がモノへの愛おしさに寄与するとでも言えばよいだろうか。あるいは歴史が愛おしさをつくると言ってもよいだろう。モノは物質だけから成るのではない。

御古の情緒

では翻って、このようなモノを介した以前の持ち主とのつながりと、それを通じたモノへの愛おしさは、ときに不気味なものとして退けられてきた、縁もゆかりもなかった他人の物語にも同様に生まれるのだろうか。もちろん生まれるはずだ。

そもそもこの課題を出すきっかけは、私自身が縁もゆかりもない人の古家を購入し、その時にやや不思議な感覚に陥った経験からくる。

その古家は、1955年に建てられた円形のコンクリートブロック造住宅。そんな特異な建物だったこともあり、建築史を専門にする私は、購入の検討にあたり、その古家の歴史を残されていた資料などから色々と調べた。

逡巡を三度ほど繰り返したのち、最終的には購入を決意したのだが、そこでようやく以前の持ち主にインタビューをした。普段の歴史調査なら、真っ先に持ち主にインタビューしたであろう。何と言っても情報を持っているのは所有者である。だが、今回は売り手と買い手。購入決断や値段交渉もしなければならない。安易な接触は避けようとできるだけ周りから調べていた。

それもあってインタビューでは、先方の家や家族の歴史をある程度こちらは知っている。しかも、これから家を引き継ぐ決意もしている。

すると、インタビューしているのはこれまでいわば赤の他人だったにもかかわらず、何だか親戚と話しているような錯覚に囚われたのである。家というモノを介して偶然出会った家族にすぎない。だが、その家族の人生がわずかながらに私の人生の一部として存在しているような感覚である。家を買ったというより、家を継いだ気がした。

学生のレポートにも、縁もゆかりもなかった他人の品を引き継いでいる事例がみられた。親戚のお隣さんが付けていた装飾品である。不慮の死を遂げたその隣人の奥さんの装飾品は、さまざまな思いの中で、その家族と交流のあった親戚、すなわち学生の叔母に託され、さらにそれがいま彼女の手に託されている。

この奇遇な経緯がなければ、ほとんど接点を持たなかった二人の人生である。にもかかわらず、もはやその装飾品は、装飾品以上の意味を彼女にもたらしている。御古が、元の持ち主の人生をわずかながらでも彼女に自分事として感じさせ、さらにはその物語がモノ自体への愛おしさを強めている。

地球環境への配慮やサステナビリティが声高に言われる時代である。ストック型社会と言われ、御古はますます尊ばれる。だが、モノを使い続けたいと思う意欲は実用性だけでは決まらない。美しいとか、落ち着くとか、デザインがもたらす効果のように、心が動くことが肝要である。

ならば、御古には御古なりの可能性がある。御古に宿る歴史だろう。「情報は情緒を生み出す」。建築情報学の先生が発した、なるほどという言葉である。モノに宿る心動かされる情報を引き出す力が、これからますます大事になるのではないだろうか。

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林 憲吾(東京大学生産技術研究所 准教授)

◇◇林憲吾氏の掲載済コラム◇◇
「なかなか遺産を駆け抜ける」【2024.11.19掲載】
「20年の飛躍」【2024.7.30掲載】
「独立をいかに記念するか」【2024.3.26掲載】

☞それ以前のコラムはこちらからご覧ください。

2025.02.18