自由な立場で意見表明を
先見創意の会

平沼直人 (弁護士、医学博士)

ファッションスタディーズ

年末、朝日新聞の夕刊で、「ファッションを東大で考えた4日間」という記事を目にして、早速、そこで紹介されていた平芳裕子『東大ファッション論集中講義』(ちくまプリマ―新書、2024年)を買い求め、正月休みに読むことにした。
テレビのクイズ番組をはじめ、なんでもかんでも“東大”を謳う風潮には聊(いささ)か辟易とするものの、本書の内容は至って真面目で豊富である。ただ、ファッション学ないしファッションスタディーズがやはり“浅い”のも事実である。
この分野では、1989年に、『モードの迷宮――現象学の視線』でサントリー学芸賞を受賞した鷲田清一(1949-)が先駆者である。同氏の『ひとはなぜ服を着るのか』(ちくま文庫、2012年)を読んでみたが、人ないしヒトがなぜ服を着るのか、はっきりとは書いていない。
率直に物足りなさを感じる。

スカート

服飾学的には、1本の腕、1本の脚は、それぞれを筒状の布で覆うのが原則だと、どこかで聞いたことがある。
スカートというのは、嫌いではないけれど、不合理なシロモノだと関心を持ってきた。
キンバリー・クリスマン=キャンベル(風早さとみ訳)『スカートと女性の歴史 ファッションと女らしさの二〇世紀の物語』(原書房、2023年)を繙(ひもと)いてみる。予期に反して、スカートに肯定的だ。「タクシー・ドレスの着脱のしやすさには、その女性とは手軽にセックスできるという暗黙のメッセージも確かに含まれていたが、その効率のよさや自立性は、現代性の大きな特徴でもあった。このように実用性と罪深い軽薄さとが手と手を取り合うのは、ファッション史上これが最初でも最後でもない。たとえば、リトル・ブラック・ドレスも同じ運命に苛まれた」(同書112-113頁)。タクシー・ドレスの名前の由来には諸説あるが、タクシーの乗り降りのように簡単に脱ぎ着できることから、そう名付けられたそうである。タクシー・ドレスは1933年にその名で市販された。リトル・ブラック・ドレス(LBD)は、1926年10月号の「ヴォーグ」誌に掲載されたシャネルのシンプルな黒のドレスである。

18世紀の画家フラゴナール(1732-1806)の代表作に、「ぶらんこ」なる作品がある。ブランコ遊びに興ずるのは、妙齢の女性のようであるが(背景にキューピッドが描き込まれている)、画面の左下には、身なりの悪くない貴族かと思しき若い男性が寝そべって女性を見上げる様子が描かれている。男性は、ドレスの裾から覗く女性の足を見ているのか(前掲『東大ファッション論集中講義』95頁は、この説)、スカートの中を覗こうとしているのか(前掲『スカートと女性の歴史』283頁は、こちらの説)。
井上章一『パンツが見える 羞恥心の現代史』(朝日新聞社、2002年)は、パンチラについてマジメに考察したもの。

羊たちの沈黙

ジョディ・フォスターが主人公クラリスを熱演し、アンソニー・ホプキンスがあまりにも見事にレクター博士を造形した映画も、トマス・ハリスの原作小説(Thomas Harris,THE SILENCE OF THE LAMBS,1988 by Yazoo Fabrications Inc. 高見浩訳、新潮文庫(上)(下)、2012年)も、傑作である。
『羊たちの沈黙』では、“服”がとても重要なキーとなっている。

レクター博士は、殺人鬼バッファロウ・ビルに娘を誘拐された母親であるマーティン上院議員との面談の最後、立ち去ってゆく女性議員に、“Love your suit”(P202)とひと声、言い残す。映画の字幕では、“服を大事に”と訳されているが、小説では「そのスーツは気に入ったね」(下巻34頁)である。
この一見、唐突なセリフには伏線がある。
レクターは、マーティン議員との面談に先立って、収容されている精神病院に面会に訪れたクラリスに対し犯人に繋がる決定的なヒントを与えている。
「バッファロウ・ビルはどうして彼女が必要なんですか、レクター博士?」(彼女=被害女性)
「乳房のついたベストがほしいんだよ、彼は」(上巻275頁。“He wants a vest with tits on it” P152)
それが、先ほどのあの議員に対するセリフに結び付くわけだ。
「あなたはキャサリンに授乳したのかい?」(キャサリン=議員の娘)
「何ですって?わたしが……」
「直接、乳房を吸わせたのかい?」
「ええ」
レクターが「気に入った」のは、権力の匂いを発散する濃紺のスーツ(下巻27頁)などではない。バッファロウ・ビルは、幾人もの若い女性の生皮を剥いで、自分自身が着るためのドレスを縫っていたのだ。レクターは、そのことを匂わせた。だから、「服を大事に」ではなく、「いい服だね」と訳すべきなのである。
念のために、手元の英和辞典を引いてみる(『アドバンスト フェイバリット英和辞典』東京書籍、2002年)。”love”の項目に、「I love your suit. そのスーツいいわね(相手の好みをほめる言い方)」(1116頁)とあった。思わず息を飲む。
バイリンガルスピーカーに更に念入りに訊いてみたところ、日本語と一緒で主語を略すことはおかしくないそう。

犠牲者の口に詰め込まれていた蛾のサナギ。言うまでもなく、蝶や蛾は、変身のメタファーである。
服を替えると違う自分になれる。服とは、そういうもののようだ。

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平沼直人(弁護士・医学博士)

◇◇平沼直人氏の掲載済コラム◇◇
「カルテの法的基礎」【2025.02.13掲載】
「『構造と力』と医と法とわたし」【2024.10.10掲載】
「センター調査報告書」【2024.6.13掲載】
「小保方 佐村河内 有栖川」【2024.3.12掲載】

☞それ以前のコラムはこちらからご覧下さい。

2025.03.11