自由な立場で意見表明を
先見創意の会

「自己決定」が福祉を変える、施設から地域へ共生のヒントに

木原育子 (東京新聞特別報道部記者、社会福祉士、精神保健福祉士)

それは、福祉が「常」としてきた概念や手法をことごとく打ち砕く取材だった。3月中旬、古本のネット販売事業を手がける会社を訪ねた。支援が必要な「強度行動障害」がある人たちが多く働いていると聞いたからだ。どんな会社なのか。了解を得て、メディアとして初の密着取材に臨んだ。取材を経て感じたことを共有したい。

▽「自分で決める」を奪わない

会社の名は「いちょう企画」(東京都八王子市)。いちょうは八王子市の「市の木」に指定されており、甲州街道に続くいちょう並木はこの街のシンボルだ。ただ、この企業もまた、今後の新たな八王子の象徴になる予感がしている。

いちょう企画は、自閉症などを抱え、労働市場では不利な立場にある人たちに雇用機会を提供する民間の社会的企業(ソーシャルファーム)だ。その扉をひとたび開けると、どの部屋にも、本、本、本。あたり一面にところ狭しと古本の「海」が広がっている。哲学、科学、小説などの書籍が意図的にランダムに並ぶ。

住宅街の一角の、平屋建ての空き家を借りて運営。施設にありがちな強化ガラスも鉄格子も、もちろん鍵で閉じ込める隔離室の扉もない。

利用者の仕事は、いらなくなった本の回収や寄贈を呼びかけるチラシのポスティング、データ入力、本の掃除、発送など多岐にわたる。「支援区分6」という支援度が最も高い障害者25人ほどが契約し、1日8、9人が通う。

午前10時過ぎ。事業所に続々と利用者が集まった。まず驚いたことは、あえて声をかけない社員(支援員)の姿勢だ。一般的な福祉施設であれば「おはよう」「よく書けたね」などと積極的にコミュニケーションを取り、つながろうとする。だが、社長の松坂昌司さん(72)は「強度行動障害がある人は、人の刺激に極端に反応する。何もしないことが最大の支援になることもある」と長年の経験でたどりついた思いを語る。福祉は「寄り添う」という言葉が頻出するが、寄り添おうと距離を詰めたらリラックスできない存在を悟り、陰に陽に受け止めてきた。

ある利用者の男性が左右に体重を極度に傾けてのしのしと歩き、いつもの作業机の前に勢いよく座った。「何をする?」「だれと」と書かれた予定表に、今日したい一日の流れを書き込んでいく。「かんつぶし」「おさんぽ」「おひる」「こしだし」「おやつ」「かえり」。これが、男性が希望する生活だ。

「自分で決めたことは、イレギュラーな変更があっても耐えられる。頭の中のルールを紙に書き出し、自分を落ち着かせることで理性が戻ってくる。その途中で、福祉だ支援だと、無理に声を掛けるとパニックにさせてしまう」と松坂さんは話す。

▽自己決定と自己選択

午後には皆で古紙の回収作業に繰り出した。1台の車に乗り合わせ、各事業所でいらなくなった段ボールを集める。現場に到着すると、自ら車の扉を開け、もくもくと働く人の慣れた手つきはどこか得意げにも見える。別のグループはチラシのポスティングへ。スタスタと出かけていく利用者の後を、支援員の方が追いていかれないようついて行く。「ここに来る人は昼ご飯のメニューさえ、支援という名の下に、多くが自分で決める権利を奪われてきた。自己決定が最も効果的な福祉を呼ぶと思っている」と松坂さんが説明した。

自己決定と自己選択―。この精神はいちょう企画の大きな柱だ。「失敗する権利」も認められている。取材すればするほど、これまでの福祉現場で「是」とされていたものが覆されていくのを感じた。「支援」という福祉のある種の「絶対的正義」が根底から揺さぶられる思いだった。

市町の図書館の蔵書数に匹敵する、各家庭などから収集した15万冊以上の古本は、市内5カ所の事業所に分けて保管されている。木材で手作りした本棚も落ち着ける要因のひとつだ。その木質に心休まり、深呼吸すると本の匂いに身体中が満たされていく。

部屋のレイアウトは全て異なり、利用者が安心できる作業空間を自分で選ぶことができる。広々とした空間を重視した部屋もあれば、本棚と本棚の間の間隔が極度に狭い究極の隅っこ暮らしを求める人に人気の部屋も。本に囲まれてダラダラすることも推奨され、時には昼寝をする人もいる。「寝ることができるのは安心できている証拠。仕事中に寝てくれると、本当にうれしい」と松坂さんがぐっと目を細めた。

▽自傷、他害消える

福祉的な支援制度の使い方も柔軟だった。多くの福祉事業所は生活介護、行動援護など各制度に一本化した運営だが、いちょう企画では本人に合わせて制度を混在させる。

例えばチラシのポスティングは障害者総合支援法に基づき支援者が1人以上付く「生活介護」を使った「おさんぽ」の位置付けだが、事業所と自宅の行き来の「外出・移動」支援は、居宅介護事業の「行動援護」や「移動支援」の制度を使う。ここでも、「個」を真ん中に据えた、徹底した個別支援を見る思いがした。

いちょう企画の創設から10年以上。「自己決定」の経験を重ね、利用者は明らかに変わり始めたという。日常的に壁に頭を打ち付けていた利用者が「ゴン」という言葉を発見し、爆発しそうになると「ゴン」と言って自傷行為をやめる。ピッチャーがキャッチャーのサインを拒否するように「ノー」というサインを覚えたことで、ストレスが減り他害が消えた人も。「発語はあっても、言葉を自分の意思表示の道具として学んでこなかった。ノーが言えると人は変わる」と松坂さんは語る。

▽施設から真の地域生活へ

そもそも、松坂さんがいちょう企画を設立したのは、自閉症のある息子(41)の存在が大きい。知的障害や自閉症の人が対象の弘済学園(神奈川県秦野市)を利用していた。だが、行政指導もあって2011年に児童限定ルールが厳格化。18歳を過ぎても受け入れ施設がなかったが、退院を求められ、父母会の会長だった松坂さんが「ならば」と立ち上がった。

翌12年にいちょう企画が設立されたが、何人かは津久井やまゆり園(神奈川)に入所していった。戦後の犯罪史上に残る入所者など46人が次々に刃物で刺され、19人が亡くなった事件が起きた施設だ。同園には強度行動障害がある人も多かった。

強度行動障害は知的障害を伴う自閉症の人たちの一部に起きる。ストレスや不安を抱えると、自身の身体や相手をたたく、食べられない物を口に入れる、物を壊すといった行動が高い頻度で現れるのが特徴だが、障害者施設に入所している人は多い。どう地域生活を送れるようにしていくか。この国で、長年先送りとされ、解決に至っていない主要な福祉課題のひとつといえる。

▽GHは地域生活ではないと国連勧告

そんな中で、いちょう企画の特徴は、グループホーム(GH)を持たないことにもある。「その人のアイデンティティーは日中活動で決まる。夜の心配をしても仕方がない。日中支援を充実させれば、GHがなくても、重度訪問介護を利用して交代で支援できる」と松坂さんはいう。「親が高齢になると、自分の亡き後を心配して施設やGHを探し始める。それ以外の選択肢もあるはずなのに…」

22年9月の国連でも、「グループホームは地域生活ではない」と勧告されている。管理者がいて、その管理下にある当事者にとって本人の自己決定は乏しく、施設が小規模化しただけ、という指摘だ。

いちょう企画の取り組みに関する記事は東京新聞「こちら特報面」の2025年3月30日付朝刊に掲載され、大きな反響を呼んだ。いちょう企画の強度行動障害がある人たちへの支援のあり方は、この国の福祉を根本的に捉え直す機運をいざなっているように思う。日中活動を軸にしたそれぞれひとりひとりの自己決定が今後、カギになっていくことは間違いないともいえる。

共生社会を目指す中で、国も社会も、そろそろ本気で向き合うべき時がきている。障害がある人の地域生活をこれから先も、「机上の理想」としないために、だ。

-- 
木原 育子(東京新聞特別報道部記者、社会福祉士、精神保健福祉士)

2025.04.17