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先見創意の会

『東京大空襲を指揮した男 カーティス・ルメイ』を読む

清宮美稚子 (編集者・『世界』元編集長)

今年は戦後80年。日本が戦った戦争と戦後の歩みを振り返り、戦争と平和を改めて考える書籍の出版が相次いでいる、、、と言いたいが、出版不況の中、本当のところはどうだろうか。

そんな中、東京大空襲からもうすぐ80年という今年の早春に発売された一冊の本がある。『東京大空襲を指揮した男 カーティス・ルメイ』(ハヤカワ新書)。著者の上岡伸雄氏(学習院大学教授)は歴史研究者ではない。アメリカ文学の専門家であり、フィリップ・ロス、ドン・デリーロ、スコット・フィッツジェラルドをはじめとする小説の翻訳を多く手掛けてきた。

初の日本人書き手による評伝

著者がカーティス・ルメイ(1906−1990)という人物の名を知ったのは、アメリカ文学の研究者になってからだと言う。カート・ヴォネガットなどいくつかの小説で出会った「ベトナムを石器時代に戻せ」というルメイの言葉や、有名な映画監督による映像と本で話題になった『オリバー・ストーンが語るもうひとつのアメリカ史』から、太平洋戦争で日本本土への無差別空襲を指揮した悪魔のような人物像を思い描いた氏は、ルメイがこともあろうに戦後、日本政府から叙勲されていた(1964年、日本の自衛隊を育てた功績)ことを知り愕然とし、彼がどのような人物で、日本でどのように受け取られてきたかを知ろうと、アメリカの文献を中心に調べ始めた。これが、歴史家ではないひとりの米文学者が初の日本人によるルメイ伝を書くことにつながった。

もっとも、上岡氏には『テロと文学――9.11後のアメリカと世界』などの著作や、『最終兵器の夢――「平和のための戦争」とアメリカSFの想像力』(H・ブルース・フランクリン著、岩波書店)といった翻訳もある。「本書は、戦略爆撃の体現者を批判する基盤だけでなく、ルメイの論理を支える社会的・文化的基盤をも抉り出している。この手法に基づく叙述は、政治・軍事だけを分析対象とする研究者ではなし得ないことで、現代アメリカ文化の卓越した研究者である著者でなければできなかった仕事である」――日本近現代史研究者の山田朗氏が本書の解説でこう述べるように、このテーマが最適任の筆者を得たと言えるのかもしれない。

ルメイの論理とその背景

ルメイの論理――本書は、空爆を受ける側、戦火の中を逃げ惑い焼かれる人たちの側から見た本ではない。空爆する側の論理を、ルメイという一人の軍人に焦点を当てて論じた書と言える。「殺される側のことを考えていたら戦争などできない」「あらゆる戦争は不道徳だ。そして、そのことに思い煩うようでは、よい兵士になれない」。これらは本書の中で紹介されているルメイの言葉で、その「勝者の論理」には愕然とするが、一方で、彼が組織に忠実な軍人であり、プラグマティストで合理的な人物であったことも描かれている。

本書を読むと、なぜ中小都市まで含め日本中を空襲で焼け野原にしたのか(東京大空襲・戦災資料センターによると、民間人の犠牲者は2つの原爆の犠牲者数に匹敵するという)ということとともに、空爆というものの歴史(例えば1923年、国際会議で「空戦に関する規則」がつくられ、調印されたが発効しなかった。「文民たる住民を威嚇し、軍事的性質を有しない私有財産を破壊し若しくは毀損し、又は非戦闘員を損傷することを目的とする空襲は、禁止する」という条文があった)、アメリカ空軍の歴史、原爆投下と空爆の関係(本書には「日本は原爆を使わなくても、焼い弾のじゅうたん爆撃で降伏していた。自分は、トルーマン大統領の命令で原爆投下を指揮しただけだ」というルメイの言葉が紹介されている)など、いろいろなことを考えさせられる。

アメリカ空軍の歴史ということでは、『日本大空襲「実行犯」の告白〜なぜ46万人は殺されたのか 』(新潮新書)も参考になる。アメリカ陸軍の下部組織だった航空軍の幹部たちが「空軍独立の悲願」実現のため、日本本土への戦略爆撃の結果を示そうとしたことなどを、新たに発掘した米軍将校たちの肉声テープから鮮明に描き出したNHK・BS1スペシャル「なぜ日本は焼き尽くされたのか〜米空軍幹部が語った“真相“」(2017年放送)をもとに、NHKディレクター鈴木冬悠人氏がまとめたものだ。陸軍航空隊が陸軍から独立し、アメリカ空軍が正式に始動したのは1947年9月のことだ。

なお、空爆の犠牲者からの視点ということでは、執筆活動の原点が13歳の時の大阪大空襲の体験だという小田実氏が有名だが、ここでは経済評論家内橋克人氏の自伝的小説『荒野渺茫』を併せて紹介したい。戦災と震災にうたれた街、神戸を舞台に、神戸大空襲を生き延びた主人公が生きる意味を見つめていく慟哭の書だ。この本の中にもルメイへの言及があるが、それだけではない。日本でも有名なチェコ出身の建築家、アントニン・レーモンドにも触れている。日本に計40年以上滞在し、東京女子大の礼拝堂や軽井沢のセントポール教会などの建築作品を残したレーモンドは、日本の木造家屋についての豊富な知識を提供するよう戦時局から要請され、ユタ州の爆撃実験場での焼夷弾の実験にも協力したという。「たとえ戦争の早期終結を望んでの協力であったとしても、その成果は寸分のいとまもなくルメイらに確実に手渡された」「戦争とは〈知の総動員〉であり、ひとたび戦争となれば〈知識人の選択〉はどうなるのか、それを知るためにレーモンドの生涯ほど学ぶべき教科書はない」と、内橋氏は『荒野渺茫』の主人公に語らせている。
 

今も続く先制攻撃、無差別爆撃の論理

戦後、空軍幹部として朝鮮戦争やベトナム戦争にも深く関わったルメイは、より過激なタカ派的言動が目立つようになっていく。その過程も上岡氏の本には詳しく描かれている。「抑止力は、勝とうとしない無益な戦いによっては確保されない。敵の先制攻撃を耐え忍び、効果的な報復をする能力に頼るべきではなく、先制攻撃をして、必要なら勝てる能力に頼るべきなのである」――これは、1968年のルメイの著作『危機にあるアメリカ』の中から上岡氏が紹介している言葉である。ルメイは、核による先制攻撃をも主唱していて震撼する思いだが、無差別爆撃の論理、先制攻撃の論理は今も連綿と続いているのではないだろうか。イラク戦争の時によく使われた「コラテラルダメージ」という言葉が思い起こされるし、イスラエルによるガザ地区への大規模空爆の報道に接するたびにそう思う。核使用の可能性も懸念されるような現在の世界情勢を見て、ルメイは何と言うだろうか。

そして、21世紀も四半世紀が過ぎた今、非常に重要だと思うのが、ルメイの戦後に関する上岡氏の以下の指摘である。「軍産複合体という怪物の誕生と肥大化、そして世界をずっと危険な場所にしたこと。ここにルメイが深く関わったことは間違いない」

『東京大空襲を指揮した男 カーティス・ルメイ』は新書版で手に取りやすく、行き届いた記述の良書として、戦後80年におすすめしたい。

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清宮美稚子(編集者・「世界」元編集長)

◇◇清宮美稚子氏の掲載済コラム◇◇
「PFAS汚染――『今日から水道水を飲まないでください』と言われたら」【2025.1.21掲載】
「人口減少という『静かなる有事』」【2024.9.24掲載】
「能登半島地震と東日本大震災 ―「人口減少時代の復興」という重い課題―」【2024.6.4掲載】
「20世紀後半を代表する世界的指揮者――小澤征爾追悼」【2024.2.27掲載】

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2025.04.29