かぼちゃと慰謝の相場
岡部紳一 [アニコム損保 監査役・博士(工学)]
かぼちゃが店頭に溢れるハロウィーン・セールの季節となった。ハロウィーンはケルト族が秋の終わりの大晦日(10月31)の夜から元旦に祝う古代からの収穫祭だったらしい。あの世との扉が開き死者の霊や魔女も訪ねてくると信じられ、お正月とお盆が一緒に来る行事だった。魔女や悪霊を追い払う魔除けの焚き火の持ち帰り、正月のかまどの火をつけたそうだから、京都八坂神社の大晦日の“をけら詣り”で、御神火を火縄につけて回しながら持ち帰り、新年の無病息災を祈るのと似ている。
少々昔の話で恐縮ながら、EC市場統合が進行し日系企業が欧州進出を加速させていた1990年頃に、欧州諸国の対人賠償水準を調査したことがあった。(注1)その中で英国の賠償内容に驚いたのを覚えている。同国では、交通事故などで即死した場合に、葬祭費用実費と定額の死別金(bereavement award :当時約70万円)だけが支払われる。しかし、慰謝料は支払われない。扶養家族のいない独身者の場合は葬祭費用のみで法定の死別金さえも支払われない。日本の実務からかけ離れた金額水準がなぜなのか全く不可解であった。死別金と訳してみたが、原語のbereavement (award)は、あまり見かけない言葉であるが、涙金(tear money)ともいわれる。慰謝料ではない。
今回寄稿にあたり、英国の死亡に関連する金銭の支払いについてもういちど調べてみた。古代のケルト民族では、死亡、負傷させた場合に、血の金を遺族や一族に支払う社会制度があり、刑事と民事が未分化である当時は、痛み料や報復を兼ねた支払いだったようである。その後キリスト教が普及する歴史の中で死亡に関する支払も変遷している。国王の時代から数世紀に及ぶ判例の蓄積したコモンローの下では、人を死亡させても生存中の負傷については慰藉料も含めて賠償責任が認められていたが、死亡による賠償は認められていなかったのである。
英国と書いたが、厳密にはイングランドとウェールで、スコットランドは慰め金を認めていた。しかし、ドイツ、オランダ、デンマークも死亡による賠償を認めていないので、ゲルマン社会に共通している。法的な権利は、人が生きている期間に取得行使でき、死亡した人には損賠賠償の権利はないという理由である。この大原則は、現在の日本の法律も同様である。死亡前に負傷していたか、即死だったかによって、賠償金が支払われるかどうかが決まるので、残された遺族にとってはまったく不公平な話である。賠償を避けるために、殺してしまうことを誘発させるではないかと当時も議論もされていたようだ。
この不公平を是正するために、1846年死亡事故法(Fatal accident act 1846) が制定された。殺人や事故などによって死亡した被害者の夫、親、子に定額の死別金を加害者に請求できる権利がみとめられた。この年は、日本では弘化3年、孝明天皇即位、葛飾北斎86歳、明治維新の22年前にあたる。士農工商の江戸時代の末期のわが国に、対人賠償の制度があったとは思えないが、当時の法制度は全く無知であることを自覚した次第。
米国各州にも、不法死亡法(wrongful death act)という同様な法律がある。日本では、死亡や負傷を問わず、民法で規定されているが、なにゆえ死亡事故に関する特別法が制定されているのか、長らく不思議に思っていたが、英国のコモンローがそもそも死亡による賠償を認めてこなかったことに由来していることが分かった。私には、死亡による賠償を認めていない制度は全く想像外であった。
損保研究所が2016年に「諸外国における損害賠償の実態について」と題する報告書を発刊している。(注2)英国における死亡する前の生存中の慰謝料の算定を例示した興味深い表が掲載されている。要約して引用すると、次の通りである。
① 意識があり苦しんで死亡(140~350万円)
② 無意識のまま、6週間以内に死亡(120万円)、
③ 無意識のまま1週間以内に死亡(18~40万円)
④ 即死(支払われない)
負傷による慰謝料の算定に、本人の苦痛の程度が考慮され、意識があり苦痛に苦しんだケースが最も金額が高い。無意識の場合は、負傷から死亡までの期間が長いほど高く、即死では慰謝料は支払われない。敬虔なプロスタントであるのカナダ人の友人曰く、キリスト教では死亡することで苦痛から解放されると説かれるそうだ。
慰藉料は、英語ではPain and sufferingの語句が一般に使われ、文字通り“痛み料”である。Consolation moneyの語も使われるが、こちらは慰め料の意味である。私が法学部で学んだ時には“慰藉料”と習ったが、今の法律書には慰謝料と書かれている。漢和辞典で“藉”を調べると、3から4番目に“いたわる” の意味があり、“謝”は代用字と注記されている。“謝”も調べると、1番目に“あやまる”に意味が書いてあるが、藉には、この意味はない。何かトラブル場面で、「慰謝料を出せ!」と要求されれば、金を出して謝れと解釈されるだろうか。慰謝料は詫び料の意味に含めてきているのであろう。
日本の慰謝料の算定は定型化され、実務家には赤本、青本等のマニュアルが重宝されている。負傷者の慰謝料は、入院と通院期間の長さによって算出される。入院期間が長ければ精神的な苦痛も大きいと考えれば、苦痛の程度によるとも言えなくはないが、本人の苦痛の程度は算定要素ではない。被害者本人の死亡は、自賠責賠償基準では、本人慰謝料は400万円一律である。個別事情は考慮されない。
“一身専属の権利”がある。名門ゴルフコースの会員権が、まず頭に浮かぶ。自慢の息子といえども相続できない。本人(一身)だけに専属する権利である。交通事故で負傷し、被った精神的な苦痛に対して支払われる慰謝料も一身専属の権利とされる。本人の苦痛に対して、被害者本人だけが請求することができる。権利は、生存中だけ取得し行使できる大原則があると書いたが、現在の日本では、大審院および最高裁判所の判例によって、死亡した被害者本人の慰謝料の請求権が相続することが認められている。法学部の学生は必ず習う面白い理由付けの判例「残念残念事件」がある。「残念残念」と連呼しながら死亡した場合は、慰藉料請求の意思表示をしたと認め、従来は否定されていた遺族への相続を認めた。結論ありきの理由付けに思われるが、被害者本人にも慰謝料を認めるべきとの国民感情が反映されているとも理解できる。死亡した被害者本人の慰謝料を認めるかどうかで、法理論は英米と日本で異なるが、実務的に見るといずれの場合も遺族が請求するので金額の違いとなる。
日本では、子供のころからお盆や法事を経験しているので、亡くなった人たちの偲ぶ社会習慣を普通のことと受け止めているが、北米の友人たちに聞いてみると、故人をしのんで親戚が集まる法事のような社会習慣はないらしい。そもそも、日本語の命日にあたる英語の言葉もないそうだ。かぼちゃの種を炒った香と味が、いちばん秋を感じるとアメリカ人の友人が懐かしんでいた。かぼちゃはよく食べる。種を食べる習慣はないが、アンチエイジングや生活習慣病の予防にも効果があるらしい。
食べてみようかと思いつつ、結語に代えて、南瓜の一句。
「南瓜を死者の祭りに飾りたる」(詠人中田美子)(注3)
【参考・引用等】
注1:東京海上火災保険企業損害部,ECの損害賠償水準と訴訟・弁護士事情―アメリカとEC12ヵ国の比較調査から,実業之日本社, 1994
注2:損害保険事業総合研究所研究部, 諸外国における損害賠償の実態について, 2016
注3:俳句季語一覧ナビ
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岡部 紳一(アニコム損保 監査役・博士(工学))
◇◇岡部紳一氏の掲載済コラム◇◇
◆「社長と組織にリスクが見えているか」【2021.8.31掲載】
◆「国境を超えると値段が違うか」【2021.6.3掲載】
◆「レジリエンス、組織の心、人の心」【2021.3.2掲載】