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先見創意の会

傍目に見ると、病院リスクマネジメント

岡部紳一 [アニコム損保 監査役・博士(工学)]

朝、雨が降りそうな気配を感じて傘を持って家を出る。天気予報を見忘れて、外出中に雨に遭ってしまい、コンビニに駆け込んでビニール傘を買う。同じ傘でも大きな違いがある。見えない雨のリスクに気づくのと、降ってきた雨に濡れないようにする違いである。

医療業界には籍を置いたことがないので、傍目から病院リスクマネジメントを見て、気づいたことがある。病院リスクマネジメントを検索すると、厚労省の「リスクマネージメントマニュアル作成指針」(2000年8月)がヒットする(注1)。また、東京都が作成した「都立病院におけるリスクマネジメント」(2001年8月)のマニュアルもある(注2)。
病院のリスクマネジメントとは、医療事故防止対策を指すようだと気づいた。厚労省の「作成指針」の冒頭に国立病院などを対象にした「医療事故の発生防止対策及び医療事故発生時の対応方法について」のマニュアルを作成する指針と明記している。これらの文書より前になるが、日本医師会も坪井会長(当時)の諮問を受け、医療安全対策委員会が「医療におけるリスク・マネジメントについて」と題する答申をしている(注3)。(1998年3月) そして、病院、診療所向けの「医療安全管理指針」も作成している。
 
1999年から2000年にかけて大学病院や地域の大病院で、患者の取り違え手術や消毒剤を誤って点滴して死亡させるなどの深刻な医療事故が何件も発生し、世間の信頼が大きく損なわれた。この時期に医療事故防止のためにこれらの文書が医療機関向けに作成されたのである。医療ミスを防止して患者の安全を守るのが目的であるので、同じ病院に勤務する医師、看護師、職員の安全は対象ではない。火災や地震で病院スタッフや患者が被害を受けた場合も対象にしていないのである。では、医療事故以外の病院のリスク対策はどうなっているのだろうか?

国内論文や海外の文献によると、医療機関のリスクマネジメントには、クリニカル・リスクマネジメントとホスピタル・リスクマネジメントの視点があるようで、医療事故の防止は、前者のリスクマネジメントになるのであろうが、病院としてリスクマネジメントをどのような体制でどのように実施し、定着させるかについてあまり言及されていない。
 
昨年10月徳島県の町立病院に海外から見えない槍が飛んできた。身代金を要求するサイバー攻撃である。電子カルテシステムが2か月間も使用不能となり、診療報酬が請求できなくなった。新規患者及び救急患者の受付も停止となった。幸いにもこの病院がBCPを作成した時の業者の下に約3年前の電子カルテのバックアップがあったと報道されている(注4)。 BCPを作成したが電子カルテシステムが使えなくなるリスクは想定していなかったようで、私見ながら、業務再開の不可欠なバイタルデータである電子カルテのバックアップをしていなかったのは“痛恨のミス”というべきである。

病院を取り巻くリスクは内部にもある。「セクシャル・ハラスメント」が新語流行語大賞の新語部門の金賞を受賞したのは1989年だそうだが、企業において、セクハラ・パワハラ対策が重要な課題として取り組まれてきたのは、この15‐20年であろうか。今の医療機関のハラスメント状況はどうだろうか。2021年10-11月に日本小児科学会がアンケート調査(回答数280件)を実施している。その報道記事(注5)によると「医師の65%が…暴力行為を上司などから受けたり、見たりした…89%が人前での感情的な叱責などの暴言があった」 また、「専門家は病院は上に逆らえない風潮が強く、ハラスメントへの意識が企業に比べて低いことが影響していると指摘する」と解説している。回答数が多くないが、これが医療現場の実態を表しているとするとかなり問題である。病院トップが優先的に取り組むべき課題と思われる。 なお、厚労省から、情報セキュリティ対策とセクハラ・パワハラを含めた医療勤務環境改善マネジメントシステムのガイドラインが公表されている(注6)。

病院の社会的使命である医療業務を提供することを阻害するリスクは多様である。個々の医療機関が気づいていない、またはこれから浮かび上がってくるリスクもあるだろう。そのような様々なリスクに対処するためにどうすればいいのか。一般の企業でも、リスクマネジメントを導入する初期には、重要な経営課題となった個別リスクに対して、社長や担当役員の下に委員会を設置して、部門間で協議する体制をもっていた。この方法では、対象とするリスクごとの委員会を設置することになり、組織全体のリスクを総合的に俯瞰することは困難である。

今の東証上場企業の取組みを見ると、有価証券報告書やディスクロージャー文書で、積極的に公開している。ここに大手損保T社と、K大学病院のHPからリスクマネジメントの体制図を比較のために掲げた。【図1・2】

上場企業と大学病院の取組みを比較するのが目的であるので、個別名は重要ではない。(なお、本稿でわかりやすくするために、オリジナル図に少し手を入れている。) K大学病院は医療安全体制として、病院トップの下に医療安全管理責任者が配置され、医療安全委員会を主宰し、部門間で協議し連携する形となっている。一方、T損保では、取締役会の下にリスク管理部が主宰するリスク管理委員会が設置され、様々なリスクを総合的に取り上げる(統合的リスク管理)体制となっている。この二つの大きな違いは、リスクマネジメントを担当する部門が設置されていることと、組織のリスクを総合的に洗い出し検討することにある。気づかないリスク、見逃しリスクはないか検討される。医療事故に限って取り上げる場合には、医療管理責任者を配置することで実施可能かもしれないが、病院全体のリスクを総合的にかつ継続的に対処するには、その役割を負わせる部門を設置して中心的な役割を与えることが不可欠である。これはホスピタル・リスクマネジメントのアプロ―チであるが、前述の日本医師会の1998年の答申の中でもアメリカのリスクマネジメントに学ぶとして、「病院における活動では院内のリスク・マネジメント課と呼ばれる部署がその中心的役割を果たす。」として紹介されている。このアメリカ型の体制は採用されなかったが、医療安全管理委員会とリスク・マネジャーは医療安全管理(責任)者として採用されている。

しかしながら、先に紹介した厚労省が公表している医療事故防止、情報セキュリティ対策、ハラスメントを含めた医療環境改善対策の三つの文書を眺めて見ると、少しずつホスピタル・リスクマネジメントに近づいている。ハラスメントも含んだ医療勤務環境改善マネジメントシステムでは、マネジメントシステムをタイトルに掲げているだけあって、先の二つの文書には全く言及されていないトップのリーダーシップの下で、推進チームを編成して、組織として推進することが明確に記述されている。対象リスクが勤務環境に限定されているが、勤務環境に悪影響をあたえるリスクはいろいろあるので、さらに一歩進めて、医療機関全体のリスク管理をする体制へと格上げすることを期待したい。

【脚注】
・注1:リスクマネージメントマニュアル作成指針(厚生労働省HP)
・注2:都立病院におけるリスクマネジメント
・注3:医療安全対策委員会答申「医療におけるリスク・マネジメントについて」(日本医師会医療安全対策委員会 H10年3月)
・注4:ランサムウエア攻撃に遭った徳島・半田病院、被害後に分かった課題とは (日経クロステック)
・注5:医師の暴言や暴力、横行 パワハラ、企業より深刻か(共同通信)
・注6:医療情報システムの安全管理に関するガイドライン 第5.2版(令和4年3月)厚生労働省HP

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岡部 紳一[アニコム損保 監査役・博士(工学)]

◇◇岡部紳一氏の掲載済コラム◇◇
◆「病院が停電したら?」【2022.5.6掲載】
◆「かぼちゃと慰謝の相場」【2021.11.4掲載】
◆「社長と組織にリスクが見えているか」【2021.8.31掲載】
◆「国境を超えると値段が違うか」【2021.6.3掲載】

☞それ以前のコラムはこちらからご覧ください。

2022.10.06