揺さぶられっこ症候群-相次ぐ無罪判決
水谷 渉 (弁護士)
1.問題の所在
乳幼児を繰り返し強く揺さぶることで脳にダメージを与える虐待は「揺さぶられっこ症候群(SBS:Shaken Baby Syndrome)」と呼ばれ、親などの監護者が虐待的な揺さぶりを行ったとして、傷害致死罪等で起訴される事例が相次いだ(東京高裁平成28年12月1日など)。
近時、より範囲を広げ、揺さぶりに限らず、子供の脳にダメージ与える虐待をATH (Abusive Head Trauma)としてより広い範囲でとらえられ、SBS同様に起訴されるケースが生じた。
しかし、日本弁護士連合会の刑事弁護センターによれば、2014年から2022年5月までの8年5カ月の間に、ATHの関連で無罪判決が23件あったと報告されている(※注1) 。短期間にこれだけの無罪事件が続くのは異例のことである。
2.なぜ起訴されてしまったのか
この類型の裁判で、検察官を起訴に駆り立て、裁判官の心証に有罪のインパクトを与えるのは、法医学者や小児科医などの医学的な所見である。とりわけ、乳幼児の頭部に、①急性硬膜下血腫、②眼底出血、③脳浮腫の三つの兆候が認められる場合には、暴力的な揺さぶりがあったことを疑う、いわゆる「三兆候説」である。これに、救命の際の胸骨圧迫による肋骨損傷等が加われば、あたかも暴行があったかのような外観が生じてしまう。
たしかに、このような所見が見られれば、頭部に何らかの強い外力が加わったことが一応推測される。
しかし、それは頭部に外力が加わった痕跡を示すのみで、直ちに両親が虐待をしたことを意味しない。たとえば、母親がだっこ紐を使用して自転車に乗って揺られていた場合や(大阪地裁令和4年12月4日)、乳幼児がソファーからの転落による頭部打撲(岐阜地裁令和2年9月25日)、静脈洞血栓症などの内因性の疾患がある場合(大阪高裁令和元年10月25日)でも、三兆候が生じることが知られている。
また、乳幼児が突然死をするということは、暴行なくしても、毎年、一定数起きている現象である(乳幼児突然死症候群、SIDS:Sudden Infant Death Syndrome)。令和元年には78人がSIDSで亡くなっており、乳児期の死亡原因としては第4位となっている(※注2)。何らかの原因で三兆候が認められ、偶発的な突然死が生じれば、虐待死を疑われる状況が完成するわけである。
しかし、ひとたびこの三兆候の網がかかって起訴されてしまうと、この網から抜け出すことはなかなかに大変なことである。
3.まとめ
乳幼児に限らず、人が突然死亡することは、医療者にとっては広く知られた事実である。結果から原因を推定することはできるが、原因を断定することはできない。刑事裁判において、「疑わしきは罰せず(無罪)」であるが、日本の裁判所は、この原則がほとんど機能せず、弁護人に無罪立証の責任を課しているに等しい。
死因は、医学的根拠のみで判断すべきでない。木を見て森を見ずではいけない。ヒトの死因は、医学的根拠以外の状況、当事者らの供述、現場の客観的状況も踏まえて総合判断すべきであるが、医学を無視して判断すべきでもない。
人の営みに誤りがない、ということはない。司法の無謬性は幻想である。
【参考文献】
注1.「SBS/AHTが疑われた事案における相次ぐ無罪判決を踏まえた報告書」(本弁護士連合会刑事弁護センター 令和5年3月)
注2.「乳幼児突然死症候群(SIDS)について」(厚生労働省ホームページ)
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水谷渉(弁護士)
◇◇水谷渉氏の掲載済コラム◇◇
◆「ベトナム人技能実習生の孤立出産」【2023.7.6掲載】
◆「結婚法制をめぐる議論が熱い」【2021.7.1掲載】
◆「コミュニケーションギャップ」【2021.1.7掲載】
◆「特養あずみの里の刑事裁判に寄せて」【2020.9.3掲載】