SNSにだまされない法理論の確立を
中村十念 [日本医療総合研究所 取締役社長]
1. 無意識差別
私達は、無意識のうちに差別をしているか。4月1日に生じた川勝平太静岡県知事の舌禍事件は、その無意識差別を問われた。
「コンサルタント」の知性は高く、農業や畜産に携わる人の知性は低い。その趣旨の発言をしたという解釈が成り立つというメディアの主張である。(もちろん、そう言っている訳ではない。)
社会では普通に物事を区別する中で、差別を臭わす用語はたくさんある。雇用における、正規・非常勤や大手・中小などにも差別臭を感じる人は多いのではないだろうか。
ほとんど全てのホモサピエンスに、無意識差別感情はあると思う。しかし、無意識は取り締まれないというのがこれまでの常識だった。それがSNSを武器とした魔女狩り裁判のような裁かれ方で、川勝さんは知事を退職する羽目になった。
無意識の差別意識は誰もが持っているので、明日は我が身。しかしそう思わない人が多いところに危機感を持つ。
2. 裁判官の無意識差別もしくは不適切発言
仙台高裁の岡口基一判事は「裁判官非行」の罪で裁判官弾劾裁判の結果、罷免された。
この訴訟となった原因は、SNSへの投稿という行為の中で生じた舌禍である。SNSの内容はある裁判での被害者家族への無意識差別である。
3. 共通性
たて続けに起こった2つの事件には妙な共通性がある。
ひとつは、誰もがもつ無意識の差別意識が裁かれたということ、もうひとつは通常の裁判で裁かれた訳ではないということ。もうひとつは、公務員退職となったという結果。そして全体的に絡んでいるのがSNSである。
4. 法とSNS
今回は通常の裁判ではないが、法の世界にSNSがひたひたと押し寄せていることを感じざるを得ない。
特に岡口事件についてはSNSについて使われた法的ロジックに注目したい。ロジックは次の通りである。
「岡口氏はSNSの特性を熟知しながら、他者を傷つけないよう配慮することなく、結果的に遺族に苦慮を与え続けてきた」というものだ。
SNSはただのプログラムであり特性も何もない。特性を与えるとしたら、人間の側である。SNSを使うのも使わないのも個人の自由である。SNSからどんな影響を受けるかもあるいは受けないかも個人の自由である。それらのものへの配慮が、くまなく無意識まで含めて出来る人などいるはずもない。それが裁判官でもだ。
出来ないものへの配慮義務がルール化されるとしたら、不可能を義務付けることになる。
SNSへの配慮義務という法的ロジックは受け入れ難い。個人のリスクマネジメントの観点からみれば、川勝さんや岡口さんになりたくなければ、SNSへの法的ロジックが確立されないうちは、SNSには近づかない方が賢明だ。
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中村十念[(株)日本医療総合研究所 取締役社長]
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◆「繰り返されるマイナ保険証の総点検」【2023.10.10掲載】
◆「年金と人生百年」【2023.7.18掲載】
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