「はい!私、医者です。」
坪井永保 一般財団法人慈山会医学研究所付属 坪井病院 理事長
ある日のこと、いつものようにPerfume※1
のファンクラブの会員サイトで動画メッセージを見ていた時です。あ~ちゃん※2
の着ているTシャツに描かれている絵に私の目は釘付けになりました。黒いTシャツに金色で飛行機の座席のような椅子に座っているネクタイを締めた男性が右手を挙げています。そこには大きく「I’m not a doctor.」(私は医者ではありません。)と。Iの文字が聴診器にデフォルメしてあります。そしてその下には「I regret that I cannot help you.」(残念ながらお役に立てません)と。何のことかと思った瞬間、あ~ちゃんが「後ろはこんな風になってまぁ~す!」と振り向いた背中には、聴診器がはみ出したボストンバックの絵が! そうです。このTシャツに描かれた男性は医師だったのです。
公共の交通機関特に航空機内で「ご搭乗のお客様の中にお医者様はいらっしゃいますか?」とか新幹線車内で「ご乗車のお客様にお願いがございます。急病のお客様がいらっしゃいます。お客様の中で、お医者様、もしくは医療関係の方がいらっしゃいましたら0号車までお越しいただけましたら幸いです。」とか、皆さんはテレビドラマの話かと思っていませんか? そんなことはありません。結構な頻度であるのです。
私は東京と郡山を東北新幹線で頻繁に往復しています。ある朝突然(当たり前ですが)ついに「只今、6号車でご体調の悪いお客様がいらっしゃいます。以下同文」のアナウンスが。躊躇なく私は6号車に向かいました。現場に到着すると中年男性が額に汗をかいて座っていました。意識はあります。持病を尋ねたところ心房細動があるとのこと。脈を取ると頻脈です。 心房細動の頻脈発作であろうと考え、次の郡山駅まで10分程度でしたので、駅に救急車を手配して貰い駅から地元の太田西ノ内病院まで同乗していきました。幸い男性はすぐに回復しましたが入院加療になりました。
またある日、東京ドームで行われた嵐※3
のワクワク学校※4
での出来事。 開演前、家族と座席に座っていると、背後での物音とともに右肩に衝撃が! 次の瞬間男性が3列前の座席まで飛んでいき、座席と座席の間のスペースに倒れました。 私「行った方がいいよね?」家族「そうだね。」。降りていくと、男性の意識はあるようで、特に痙攣や、眼球上転などなく、呼吸は安定していますが、頻脈があり、全身に汗をかいています。すぐに球場スタッフがストレッチャーを運んできたので、男性を床から引き上げ、まわりの観客と球場の座席階段(結構急斜面です)を男性を抱えて登り、ストレッチャーに乗せました。その時はじめて、男性の服装が警備会社の制服である事に気がつきました。 そうです。男性はイベント警備のスタッフで、座席の最上部で警備のために立っていたところ一過性意識消失発作に見舞われたようです。球場関係者に私が医師である事を告げ(ポロシャツにチノパン、スニーカーでしたので)、医務室まで同行しました。医務室にはいかにも「私、バイトです。」的な女医さんがいて「どうしましたぁ~?」と言ってきたので経過を説明して、その後患者さんの状態も安定している様子なので席に戻りました。
このように公共の場で予告なく医師の呼び出しコールや目の前で病人に遭遇する機会は意外に多いものです。このような場合名乗り出るか出ないか、医師側では様々な意見があります。
最近は、ANAやJAL等の航空会社は医師登録制度を導入しているようです。このシステムはあらかじめ搭乗前に「I’m a doctor!」と登録しておき、その医師が搭乗する際は機内のキャビン・アテンダント(CA)などスタッフが座席を把握しておき、いざ急病人が発生したときにアナウンスを流すかわりに登録した医師に直接声をかけて診療にあたってもらうというものです。しかし「もし、申し出て急病人の治療を行い、結果が思わしくなく訴えられたらどうしよう。」と考える医師も少なくないのではないでしょうか。機内での医療機材は限られており、その中で診療を行わざるを得ません。医師の技量が試される場面でもあります。航空会社はどのように考えているか、例としてJALのホームページでは、「機内での医療援助に起因して、医療行為を受けたお客さまに対し民事上の損害賠償責任が生じた場合には、故意、重過失の場合を除き、当社が付保する損害賠償責任保険を適用いたします。援助者が個別に加入されている損害賠償責任保険が適用されるときは、その保険金額を超える部分に当社の保険を適用いたします。」とうたっています。
日経メディカルが医師に対し、機内のドクターコールに応じるかどうかのアンケート調査を行ったデータがあります。回答した758人中、ドクターコールに応じると回答した医師は34%、応じないは17%、その時になってみないと分からないが48%で、応じた経験のある医師のうち24%は次の機会は応じないと回答したそうです。医師が機内のドクターコールに応じない理由は、法的責任を問われるのではないか心配という声が多かったようです。
法的責任について考えてみましょう。航空機内や新幹線車内には医療機器はなく、レントゲン、CTスキャンましてMRI等はありません。しかも緊急事態ですから医師に求められる注意義務は軽減され、刑事責任を問われることはまず無いようです。
緊急事務管理という言葉があります。緊急事務管理とは、他人に対する「緊急」の危害があるときにする「事務管理」のことで、民法698条に規定されています。即ち「管理者は、本人の身体、名誉又は財産に対する急迫の危害を免れさせるために事務管理をしたときは、悪意又は重大な過失があるのでなければ、これによって生じた損害を賠償する責任を負わない。」というものです。航空機内でのドクターコールに応じる法的義務はないので事務管理といえます。近年医療の分野は細分化が加速しており、専門外のことはほとんど分からない医師が増えています。緊急の状況下で先に述べたように医療機器が無い状況では出来ることが限られます。急病人が重症の場合、航空機内ではたとえ専門医でも救命できないので「医師なら何でも診れるだろう、出来るだろう。」という過剰な期待を課すのは酷と言えるでしょう。したがって、航空機内のドクターコールに応じた医師は原則法的責任は負いません。ただし、損害賠償請求は患者、遺族の自由ですから裁判などのリスクはゼロとは言えません。仮に提訴されても重大な過失がなければ賠償責任は負わないと思いますが。
一方、医師には応招義務があるのでは?という方もいらっしゃるかもしれません。応招義務とは医師法第19条に規定されており、その1項に「診療に従事する医師は、診察治療の求めがあった場合には、正当な事由がなければこれを拒んではならない。」というものです。しかし、応招義務は医師が医療施設で診療する場合のものであるので、航空機や新幹線の乗客である医師がドクターコールを無視しても応招義務違反にはなりません。
以前に成田からシカゴまでの便に搭乗した際に、座席について程なくしてパーサーが「坪井様本日もご搭乗ありがとうございます。もし飛行中病人が出ましたらよろしくお願いいたします。」と。「あっ、はい。」と返事するのが精一杯。 「初めて言われた。何で医者って知ってるの?」 シカゴまでの11時間、重病者が出ないことを願うばかりでした。
もちろん呼ばれたら行きますが。
学会で移動する場合、同じ学会に出席する同じ診療科の医師達がたまたま同乗することがあります。お互いが医師である事を知っているわけです。もしそんな中で前述のようなアナウンスがあった場合、みんな同時に立ち上がるのかな? といつも思います。
兎に角、四の五の言わず、医師たるもの要求があった場合最大限に応えるのが本分だと思います。
ここで、「善きサマリア人法(Good Samaritan laws)」というものをご紹介しましょう。これは、「災難に遭ったり急病になったりした人など(窮地の人)を救うために無償で善意の行動をとった場合、良識的かつ誠実にその人ができることをしたのなら、たとえ失敗してもその結果につき責任を問われない」という法です。アメリカやカナダ、オーストラリアなどで施行されています。日本でもこれが立法化された暁には手を挙げる医師がもっと増えるかもしれません。日本が医療先進国を名乗りたいのであれば是非早期に立法化すべきと考えます。
さあ、また明日から患者さんと話をしよう。ではお休みなさい。zzzz
※1 女性3人組のテクノポップユニット。
※2 Perfume のメンバー。本名は西脇綾香。
※3 ジャニーズの5人組ユニット。
※4 東日本大震災を契機に嵐がチャリティーイベントを開催。メンバー5人がそれぞれ先生として様々な授業を行った。