汝平和を欲さば、戦への備えをせよ
榊原智 (産経新聞 論説委員長)
令和5年、2023年の日本は、平和の道を進むのか、それとも戦争の道へ転げ落ちていくのか。その岐路に立っている。今年、どのような歩みを示すかで、子孫による我々世代への評価が決まるだろう。
古代ローマの警句に、「汝平和を欲さば、戦への備えをせよ」というものがある。現代風に言えば、抑止力を高めることによってのみ、戦争を防ぎ、平和を保てる―という意味だ。
憲法第9条の「信者」のように、平和を唱えるだけで、防衛努力を否定すれば日本はどうなるか。近隣の物騒な国の指導者が侵略の誘惑にかられ、日本の平和を破る暴挙に出かねない。それに似た実例を私たちはこの目で見ているではないか。ロシアによるウクライナ侵略である。
ロシアは2014年、ウクライナからクリミア半島をいとも容易に奪い取った。その後、ウクライナは北大西洋条約機構(NATO)とも協力して防衛努力を進めたが、宣伝がうまくなかったこともあいまって、ウクライナを嘗め切ったロシアのプーチン政権に「ウクライナは強くなった」と警戒させることができなかった。「戦への備え」をしていると理解させられなかったのである。
昨年2月からのロシアによるウクライナ侵略は、ロシアに全面的に非があり、ウクライナに罪はないが、抑止力の構築が不十分だった点は否定できない。日本はこれを教訓にしなければならない。日本は、ロシアに抗戦しているウクライナを除けば、世界で最も厳しい安全保障環境に置かれているからだ。中国、北朝鮮、ロシアという核武装した専制国家に囲まれている。
幸い、岸田文雄政権は、古代ローマの警句を実践しようとしている。抑止力と有事になった際の対処力を高めることで、中国や北朝鮮の暴発を防ごうと動き出した。
昨年12月に閣議決定された、国家安全保障戦略、国家防衛戦略、防衛力整備計画の安保3文書がそれである。
防衛力の抜本的強化を目指す、防衛政策の実践面での歴史的転換と言える。将来、岸田首相の最大の業績といわれるだろう。
自衛隊に反撃能力(敵基地攻撃能力)を保有させる。2023年度から5年間の防衛費の総額を43兆円とする。最終の27年度には自衛隊に費やす防衛費と補完する関連予算を合わせ、今の国内総生産(GDP)比2%相当額とする。
これを踏まえた23年度予算案の防衛費は、過去最大の6兆8219億円になった。このほか、税外収入のうち3兆3806億円を新設の「防衛力強化資金」に繰り入れる。24年度以降の防衛費に充てるためだ。
中国や北朝鮮、ロシアは国際法を踏みにじる「力の信奉者」で、彼らが力がないとみなした国の言葉には耳を傾けない。日本が平和を追求する外交を展開していく上でも、防衛力の裏付けによって外交的発言力を増す必要がある。
岸田首相は、安保3文書決定時の記者会見で、日本を取り巻く安全保障環境の悪化を指摘し、次のように語った。
≪歴史の転換期を前にしても、国家国民を守り抜くとの総理大臣としての使命を、断固として果たしていく≫
宰相として最も重要な責務を自覚している内容だ。
次の首相発言も重要だ。
≪安倍(晋三)政権において成立した安全保障関連法によって、いかなる事態においても切れ目なく対応できる体制がすでに法律的、あるいは理論的に整っているが、今回、新たな3文書を取りまとめることで実践面からも安全保障体制を強化することになる≫
≪わが国に対する脅威を本当に抑制できるのか。脅威が現実になった場合に国民の命を守り抜くことができるのか。現実的なシミュレーションを行った≫
中国の台湾侵攻や朝鮮半島での軍事的衝突、北朝鮮によるミサイル攻撃の動きなどが懸念事項だ。これらを抑止して国家国民の安全を守らなくてはならない。不幸にして抑止が破れれば、できるだけ被害を局限して事態を収拾しなければならない。
安保3文書という政策文書を決めただけでは、日本の安全は担保されないのはもちろんだ。今年は、3文書に沿って、抑止力向上の措置を確実に、しかも迅速に講じていかなければならない。それにつまずけば、安倍元首相の遺言となり、日米の安全保障関係者が首肯する「台湾有事は日本有事」が現実になりかねない。
今年の日本は、コップの中の政争をしている暇はないほど、安全保障をめぐる事態が深刻である点を理解しなければならない。理解し、対応していかなければ、本当に、戦後初めて日本にも戦争がやってきてしまう時代になったのである。
日本の防衛努力は、日本国民にとどまらず、各国・地域の国民・住民にとっても死活的に重要だ。日本が努力を怠れば、戦火や専制国家の圧力が彼らの上にも及びかねない。責任は重大である。
現代は、どのような国であっても、自国だけで平和を守ることは難しい。中国、北朝鮮、ロシアの隣国である日本が、一段の努力をしないで、他国に協力を求めても理解を得られないであろうことは、小学生でもわかる話だ。同盟国・同志国などと連携して平和を守るためにも、日本の訴えに説得力を持たせることが必要で、それには自らの防衛力の抜本的強化を迅速に実現することが欠かせない。
外交努力が大切なのは当然だ。岸田首相はフランス、イタリア、英国、カナダ、米国を訪問し、防衛力抜本強化の取り組みを伝えるとともに、各国との安保上の連携強化を図った。各首脳との間では、ウクライナ支援を確認するとともに、インド太平洋地域の安保問題も重要との認識で一致した。このような首脳外交も大切な取り組みといえる。
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榊原 智(産経新聞 論説委員長)
◇◇榊原智氏の掲載済コラム◇◇
◆「防衛力の抜本的強化こそが平和を守る道」【2022.9.6掲載】
◆「地下シェルターの整備を急いでほしい」【2022.5.24掲載】
◆「台湾からの非戦闘員退避活動(NEO)の準備が必要だ」【2022.2.1掲載】
☞それ以前のコラムはこちらからご覧下さい。