自由な立場で意見表明を
先見創意の会

少子化対策私見

岡光序治 (会社経営、元厚生省勤務)

子ども家庭庁(なぜ、「家庭」を入れるのか疑問を呈する人もいるが)の発足を控えてか、政府も当該対策のたたき台を出すなど、この問題が改めて活発に議論されている。そこで筆者も敢えて私見を述べることとした。

前提

現在進行中の少子化は、子どもの数が少なくなるとともに高齢者の割合が増えていく少子高齢化を意味する。そして、少子化対策といわれるものは、「出生率を上げる」ことを目的とするものと、「少子高齢化に対応する社会を作る」ことを目的とするものとがある、といわれている。筆者は後者について論ずるつもりである。

コミュニティの実情=関心も施策も高齢者に偏り?

たまたま140世帯ある戸建ての団地(昭和40年代に市<政令指定都市>が開発・副都心的環境)の自治会長をこの1年間務めたので、コミュニティの実情の一端を述べる。

・ 1年間の死亡数は5件(いずれも80歳超)、出生数は1件。訃報は各戸に配布(自治会規約に明記)、ご霊前に一定金額を供える。誕生については、地区社会福祉協議会の広報誌に親の同意を得て掲載し、社協からお祝い(図書券(少額))が届けられる。

・ 情報発信は、いずれも任意。(出生の場合、保健所から市役所経由地区社協・自治会へ情報伝達することはシステム設計可能であるが、検討もされていない)

・ 高齢者向けに集会所で毎週、「百歳体操」開催。市から補助金と参加者に「イキイキポイント」と称する現金換算可能な点数が配布されるのに対し、子どもの体操は小学生対象に夏休みの1週間、地区の子供会がラジオ体操の場を提供(公園で開くが、周辺からうるさいと苦情が出ることもあるそうだ)。ちなみに、今年度は、子どもの数が少ない、世話する大人の負担が重すぎるという理由で、実施が見送られた。

・ 一人暮らし高齢者の見守りネットワークが地域包括支援センター主導で地域に張られる一方、子どもに関するネットは無い(子育て中の若いお母さんの頼りはもっぱらスマホとママ友の情報、定期健診や集会施設などでの子育て関連イベントでは横並び的、平均からの比較にとどまっているようだ)。

公的施策の基本方向

労働力不足に対し、①女性や高齢者の就労促進、② 働き手が少なくなる一方、受益者たる高齢者が増えるのに対し、年金や医療・介護などの負担方式の見直し、③ 労働力不足を克服し経済成長を実現する策として、経済の効率化や高付加価値産業の育成、企業での人的・教育投資の促進などが論じられ、一部行われている。

子育てにはお金がかかるとして、児童手当の所得制限撤廃、出産費用の保険給付化、育児中の給与の全額支給など子育て家庭への金銭的支援が検討の俎上に上がっている。

また、各種制度上の家庭モデル(父親が外で働き、母親が専業主婦として家庭を守る)を見直すべし、との意見もあり、税制上、扶養控除を止め、子ども控除にすべき、とも。

少子化をもたらした時代背景

今日の少子化を招いた時代背景を探る。第2次世界大戦に敗れ日本はどん底に陥り、国民は塗炭の苦しみ、食うや食わずの中で主に食べ物の確保のために各人自らからだを張って懸命に働いた。世界情勢が変化する時代の流れの中で、経済は成長軌道に乗り、基本的人権の尊重、社会保障の充実などが進み、人々の生活にゆとりができ、質も向上した。厳しい生活を強いられた世代は、次の世代には自らの体験は二度とさせまいと固く念じた。社会的仕組みも改め、個人生活さえもセイフティネットの名の下、相当なレベルを公的に保障し、生活の土台たる国の守りもアメリカに任せ、おカネのアニマルと化し、豊かな生活を友達感覚化した親子関係の中で享受。そうこうする内に、経済は長期低迷、地域格差、家族格差、会社格差など格差が顕著となり。女性の力を社会に引き出そうとする流れに伴い、男女間の壁は見えなくなり、「オンナは女同士の方が安心でき、仲良しでいられる」というオンナ感覚?もあり、他人由来の贅沢が身についたわがままな男女が自分の生活水準を落としてまでお金のかかり苦労な結婚や子育ては敬遠する風潮になってきた、といえると思う。

今日の少子化を招いた原因は、いつに、戦後培われてきた国民の「他人依存」体質、独立・自立を伴わない自由が集約した結果にある、と思う。

金銭的支援を手厚くしたところで、その恩恵は正規社員にとどまり、非正規、アルバイト、フリーターにも、また、自営業にも及ばせるのはシステム上難しく定着には時間を要するであろう。また、“鼻先にニンジンをぶらさげる”ようなニュアンスには、素直に受け止められない感情も働くようにも思える。

私見―地道な努力しかない?

人生に対し、前向きに真摯に向き合う、自立と忍辱の精神を培う教育こそが基本対策。  
Man is not made for defeat. A man can be destroyed but not defeated. Ernest Hemingway
人間は負けるようには造られていない。殺されることはあっても、負けることはない。

以下、私見を述べる。
① 中学を卒業したら、全員、「自分」発見の1年間の研修課程に進む。(義務教育の延長)
② 研修内容:「運動」(好きなスポーツ選択)、「語学」(日本語と第2外国語(スピーキング))、「数学」(中学までの復習)→適性検査(一定期間ごとに)→適性で好ましく思える分野を習得する方法論(基礎技術を含む)を学習。(高校・大学での飛び級容認)
③ 例外なく寄宿舎生活(衣食住の支給)。研修場所は自由に選択。自衛隊教育隊を含む。
この研修課程を経ることで、自分の適性を教官やAIの力を活用しながら発見に努め、引き続いて身に持つ能力を磨く出発点とし、自分の意思で世のため人のためにその能力を使う覚悟を持たせるように教育する。

引き続いての自分磨きの過程で、出会った人の中から、自分を必要としてくれ、一緒にいると安心でき、ともに人生を歩みたくなる人に出会えるはずである。そして、二人の能力を結合して次の世代につなぐ。

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岡光序治(会社経営、元厚生省勤務)

◇◇岡光序治氏の掲載済コラム◇◇
◆「SUCCESSFUL AGEINGのすすめ」【2022.12.13掲載】
◆「中浜万次郎に学ぼう!」【2022.8.23掲載】
◆「スマートエイジングの勧め」【2022.5.17掲載】
◆「脱炭素-日本のとるべき道【提案】」【2022.1.25掲載】

☞それ以前のコラムはこちらからご覧ください

2023.04.18