食
平沼直人 (弁護士、医学博士)
食という業(ごう)
ソシュールの講義で、丸山圭三郎は、いつものように煙草をうまそうに吸いながら、『ものぐさ精神分析』の岸田秀の言としてであったか、「一般に、ヒトは、火山の噴火で焼け死んだ動物の肉が衛生上、安全であると知って、肉を焼いて食べるようになったと考えられているけれども、そんなことよりも、焼けた肉がうまかったから、それからは肉を焼いて食べるようになっただけかもしれない。ひょっとしたら美食を求めて肉を焼いてみたら、うまかったのがきっかけで、焼く必要などなくても焼いて食べるようになったのかもしれない。人間というのは、そんなふうに“過剰な”生き物であって、文化のフェティシズムとは要するにそういうことなんだろう」、大要、そんな話をした。1985年の記憶の限りだが。
食の哲学の貧困
哲学者は、食べるということを真剣に考えてこなかった。西洋社会では、五感のうち、視覚、聴覚を偏重し、味覚、嗅覚、触角を蔑(さげす)んでさえきた。
数少ない「食の哲学」は、あたりまえのことを得々と論じ、トートロジーに気付かぬように、食の根源やダイナミズムに迫ることなく、ただただ食のまわりを遠目に回るばかりである。哲学の悪いところが食の哲学には如実にあらわれている。
むしろ消化のしくみを勉強したほうがよほど哲学的になり、人体の神秘を感じる。
腸内細菌叢と自閉症の関連性や便移植による潰瘍性大腸炎治療など、近年の研究成果には注目すべきものがある。
摂食障害
摂食障害の研究や治療は、それほど進んでいないらしい。
薬物療法があまり効かないことも一因とのこと。
摂食障害の患者には、アレキシサイミア(失感情症)の傾向があり、摂食障害をもった母親は、子どもの空腹状態を読み取れないことがあるという。
人を喰う
もう20年くらい前だろうか、夕飯の買い物客でごった返す郊外の食品スーパーの入口横で、誰を待つでも何をするでもない様子で、こちらを向いて立っている、あのパリ人肉食事件の佐川一政らしき人物を見て、一瞬、足が竦(すく)んだ。
憧れのオランダ人女性をなぜ殺し、なぜ食べたのか? いや、なぜ食べたいと思い、食べるために殺そうと思ったのか?
即身仏
生きながらに土中に入定(にゅうじょう)し、やがて数日もすると読経の声、鉦の音が途絶える。端座した姿のままミイラとなり、3年3か月後に掘り返され、その後は人々の信仰の対象となる。文明開化後はほぼ絶えたが、江戸時代のものを中心に全国に十数体が現存する。
穀断ちといって米などを禁ずる。木食(もくじき)といって木の皮や実を食べる。内臓の腐敗を防ぐため漆を飲む。
ただの絶食や断食ではない。仏の姿をとどめ続けるために食を通じて肉体改造を図るのである。その覚悟と過程にも凄みを覚える。
即身仏は写真でしか拝んだことはないが、言葉を失くす。
飽食の時代に
グルマンの美味い不味いとか、食の蘊蓄(うんちく)とか、健康に良いとか悪いとか、そんな俗なことではなく、食を本質において探究すること、食を通じて思索すること、つまり食の哲学が絶対に必要であると考える。
[文献紹介]
・丸山圭三郎『文化のフェティシズム』勁草書房(1984年)
・サラ・ウォース(永瀬聡子訳)『食の哲学―「食べること」に潜む深い意味』バジリコ(2022年)
・松永澄夫『食を料理する―哲学的考察〔増補版〕』東信堂(2020年)
・佐藤成美『本当に役立つ栄養学』講談社ブルーバックス(2022年)
・黒川駿哉ほか「腸内細菌と自閉症スペクトラム障害」日本生物学的精神医学会誌30巻2号(2019年)
・伊藤翔子ほか「潰瘍性大腸炎に対する便移植療法」ファルマシア53巻11号(2017年)
・西園マーハ文『摂食障害の精神医学―「心の病気」としての理解と治療』日本評論社(2022年)
・唐十郎『完全版 佐川君からの手紙』河出文庫(2009年)
・土方正志『新編 日本のミイラ仏をたずねて』天夢人(2018年)
・上村肇「即身仏・ミイラ仏について―精神保健学的考察」駒澤短期大学研究紀要5(1977年)
ーー
平沼直人(弁護士・医学博士)
◇◇平沼直人氏の掲載済コラム◇◇
◆「行動経済学が変える!」【2023.4.6掲載】
◆「ICと医療法」【2023.1.5掲載】
◆「三大奇書」【2022.9.13掲載】
◆「タトゥー最高裁決定と医業独占」【2022.8.4掲載】
◆「悪」【2022.4.26掲載】
☞それ以前のコラムはこちらからご覧下さい。