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先見創意の会

経済成長なくして社会保障なし

河合雅司 (ジャーナリスト、人口減少対策総合研究所 理事長)

団塊世代がすべて75歳以上となる「2025年問題」という言葉がある。厳密には年明けの2024年なのだが、「2025年」として定着している。75歳以上人口が一気に増えることで医療費や介護費の急速な伸びが懸念されているのだ。

これに対し、政府はこれまで医療機関での自己負担割合の引き上げや、病床再編など社会保障費の伸びの抑制に取り組んできたが、道半ばだ。

むろん「タイムオーバーで、終えることになりました」とはいかず、政府は最近「2035年問題」と言い換え始めている。団塊世代が85歳以上となる2034年に向けて取り組むというのだ。

総務省によれば、75歳以上の人口は2005万人(2023年9月15日現在)で、初めて2000万人を超えた。高齢者の総数は3623万人(高齢化率29.1%)なので、高齢者のうち55.3%が75歳以上ということになる。

とりわけ増えるのは、80歳以上だ。2023年時点で1259万人(総人口の10.1%)を数える。現状でも日本は10人に1人が80歳以上という超長寿国家なのだが、国立社会保障・人口問題研究所の将来推計によれば2059年には1809万人になるという。一方、若い世代は減っていくので、その頃には総人口に占める割合は2割近くに達する。5人に1人が該当する極めていびつな社会が到来するということだ。

早くから取り組んできた「2025年問題」でさえ不十分なのに、「2035年問題」へと先延ばししたところで展望が開けるわけではない。むしろ、改革に向けた環境は悪化しかねない。少子高齢化や人口減少が加速するにつれて新たな課題が登場するためだ。

例えば、子育て支援策の拡充だ。2022年の出生数が80万人を割り込んだこともあって、岸田文雄政権は「異次元の少子化対策」を打ち出した。日本はすでに「母親不足」段階に入ってしまっており、いまさら対策を講じても出生数の増加は見込めないのだが、3兆円台半もの財源を投じるという。ただでさえ厳しい社会保障財源の中から、これだけの巨額を既存の社会保障制度の中から捻出することは容易でないが、出生数減の加速に対して政治的に何もしないわけにはいかないということだろう。

少子化対策以外でも社会保障関連のニーズは膨らんでいる。若い世代が急速に減ってきたことで日本全体が恒常的な人手不足に陥っている。その対策も予算を配分せざるを得なくなってきている。

きつくて賃金の安い仕事ほど人材流出が著しいが、介護職や保育士も募集が困難となっている。このままではサービスに影響が生じるため、政府はこれらの職種の賃上げのための補助金の積み増しや、介護報酬のプラス改定を図らざるを得なくなっているのだ。

社会保障制度改革に向けた環境を難しくしている大きな要因はもう一つある。何十年も経済が伸び悩み、所得格差が広がったことだ。暮らしに余裕のない低所得層が増えている。日本社会の衰退が覆い隠しがたくなるにつれて低所得者向けの給付金支給や各種公的サービスへの減免措置の拡充が求められるようになってきている。

政治家たちにすれば、こうした足下の問題を解決しないと次の選挙で手厳しい洗礼を受ける。このため問題が表面化するたびに大きな予算を必要とする政策が持ち上がり、官僚がその財源の捻出に追われる繰り返しだ。結果として、2040年代初頭の高齢者数のピークに向けた「本筋の改革」が遅々として進まなくっているのである。

こうした状況下で、厚生労働省や財務省が打ち出したのが、「全世代型社会保障改革」だ。年齢にかかわらず支払い能力に応じて負担してもらおうという考え方である。

これまでの社会保障制度は現役世代に負担を求めることで成り立ってきた。だが、社会保障給付費の伸びのほうが、雇用者総報酬の伸びを上回っているため国民負担率は上昇を続けている。

とりわけ伸び続けてきたのが社会保険料である。増税に対しては国民の反発が強く、国民の関心が低い社会保険料のほうが徴収しやすいことからどんどん引き上げられてきた。

財務省が、協会けんぽを例として現役世代が負担する社会保険料の水準を紹介しているが、報酬に占める割合は2000年の22.7%から拡大を続け、2023年は30.1%となっている。2040年には32.6%になるとの見通しだ。
結果として、2022年度の国民負担率は47.5%と国民所得のほぼ半分を占めるまでになった。SNS上では、「五公五民」とのワードが飛び交っている。

収入の約半分が税金や社会保険料として消えていく状況に、若い世代を中心として不満が渦巻いている。さすがに、政府もこうした世論を無視できなくなり、ここにきて「現役世代の負担は限界」との認識を示し始めた。「全世代型」と言い出した背景がここにある。

「全世代型」は理念としては間違っていないのだが、その実現は難しい。高齢者に負担を求めることで生み出せる財源には限界があり、社会保障費の伸びを賄える額とはならないからである。「全世代型」は数字の合わない話であり、理屈先行の幻想だと言わざるを得ない。

公的年金が主柱である高齢者の場合、負担が増えたからと言って簡単に収入を増やせるわけではない。現在のように急速な物価高に見舞われると、なおさらだ。生活に支障が生じる人が出てくる。

公的年金には物価スライド制が敷かれているが、物価上昇と連動しているわけではない。前年(1月から12月まで)の消費者物価指数の変動に応じ、翌年4月から自動的に年金額が改定される仕組みだ。しかも、財政均衡期間にわたり年金財政の均衡を保つことができないと見込まれる場合には、給付水準を自動的に調整する仕組みであるマクロ経済スライドでさらに抑え込まれる。

そうでなくとも、「老後資金2000万円問題」に象徴されるように、「公的年金だけでは暮らしていけない」という人が大多数である。働き続ける人も増えてはいるが、現役時代のような収入を得られるわけではない。

全世代型社会保障制度改革をあまり強引に進めると世論の反発が強まり、与党からブレーキがかかるだろう。
では、今後の社会保障制度改革はどう進めるべきなのか。

政府は人口減少がもたらす影響を軽く見過ぎている。ここの認識が甘いので、「五公五民」といったことになってしまうだ。それでも福祉大国のように「負担は重いが、サービスも手厚い」というならまだしも、日本の場合は「負担だけ増えて、サービスは劣化」である。これでは国民の理解が進むはずがない。

まずは、社会保障制度改革の前提を変える必要がある。そもそも膨脹が避けられない社会保障費を、既存の社会保障制度の枠内でやり繰りしようとしていることに無理がある。少子高齢化の進み具合の割に、社会保障に回す予算が少なすぎるのだ。

毎年、会計検査院が無駄な歳出を指摘しているが、政府全体を見渡せば効果の乏しい事業や、業者の〝中抜き〟を許す杜撰な発注がたくさん存在する。人口減少社会を乗り切るには、政府全体の歳出改革によって財源を確保すべきだろう。

むろん、他分野の〝無駄な予算〟の削減だけですべてがうまくいくわけではない。これにも限度はある。もっと根源的なところにも踏み込まなければならない。社会保障制度改革の「本丸」は、何といっても経済成長だ。

社会保障制度というのは、その国の経済規模に応じた水準のことしかできないのである。日本の今後の社会保障制度がどうなるかは、人口が減少しても経済成長させられるかどうかにかかっているということである。

縮小社会での経済成長など、ほとんど前例がないことだろう。だが、この難しい挑戦を成功させなければ、どんな理想を語ろうとも日本の社会保障は畳んで行かざるを得なくなる。日本が世界に誇る国民皆保険がいつまでも続く保証などどこにもない。

国内マーケットが縮小していく中で経済成長を実現するには、企業の変革が求められる。最終的には国内の縮小に代わるマーケットを海外に求め、そこで勝ち抜いていくしかない。

もはや、社会保障制度改革を社会保障の専門家だけで議論する時代は終わった。古い発想からは正解は導けないのだ。人口減少が減ることを前提としてどう経済を成長させ、それによって社会保障制度をどう持続させ得るのか。その具体的な解決策を持った人材の登用が急がれる。

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河合雅司(ジャーナリスト、人口減少対策総合研究所 理事長)

◇◇河合雅司氏の掲載済コラム◇◇
「無医地区の解決には『集住』が必要だ」【2023.8.15掲載】
◆「効果乏しい『異次元の少子化対策』はコスパを考えよ」【2023.4.25掲載】
◆「社会保障の次なる懸念を生む高齢者の負担増」【2022.12.20掲載】
◆「問題の本質は医師不足ではなく『患者不足』だ」【2022.8.9掲載】

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2023.11.21