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先見創意の会

逮捕前の患者に対する診療

大森未緒 (弁護士)

1.はじめに

逮捕前に医療機関を受診する場合、診療費を負担するのは誰であろうか。

当然ながら、受診した患者が、診療費を負担するはずである。患者は、自由に医療機関を受診することができるからである。

しかしながら、医療機関が、患者に対し、診療費を請求することができない場合がある。

例えば、警察官が通報を受けて現場に駆け付けたところ、容疑者の意識が朦朧としていたため入院することとなったものの、退院するや否や覚せい剤取締法違反の容疑で逮捕される場合などが想定される。

退院手続きを行う際に、医療機関が患者の氏名や住所を確認すれば問題ないようにも思えるが、患者が健康保険証等の本人確認書類を持っておらず、正確な情報を確認できないまま逮捕されることもままある。

逮捕後の患者の所在について、捜査機関が医療機関に連絡する義務はない。捜査機関が患者の診療を依頼した場合でも、である。

この場合、診療を行った医療機関は、誰にどのような方法で診療費を請求すれば良いのだろうか。

2.現行法の規定

逮捕・勾留中の被疑者であれば、診療費は公費によって賄われる。刑事収容施設(刑事施設、留置施設及び海上保安留置施設)に収容されている者に対する診療は、刑事収容施設を設置する国の責務によって行われるからである(※注1)。刑事収容施設及び被収容者等の処遇に関する法律第56条、第199条及び第254条は、刑事収容施設に収容されている者に「社会一般の保健衛生及び医療の水準に照らし適切な保健衛生上及び医療上の措置を講ずるものとする。」と規定する。

一方で、逮捕前は、身体を拘束されている訳ではないため、捜査機関が診療を依頼した場合であっても、診療費が公費によって賄われることはない。やはり、患者自身が診療費を負担することとなっている。

また、前述のとおり、捜査機関が、被疑者となった患者の個人情報について、受診した医療機関に連絡する義務はない。そのため、医療機関が、患者の個人情報を捜査機関に問い合わせても開示してもらえるとは限らない。捜査機関が、被疑者である患者の同意を得たうえで開示するなど、任意による開示をすれば別であるが、そのようなケースはほとんど想定されない。

3.対応策

では、医療機関は、およそ逮捕される可能性が高い患者から診療費を回収することを諦めなければならないのか。それでは、捜査機関から診療を依頼された場合に、逮捕前の患者を受け入れる医療機関がなくなってしまうおそれがある。

医療機関が、患者に診療費の請求をするために取れる手段としては、以下の3つの方法が考えられる。

まず、患者が逮捕された後、速やかに、患者宛に手紙を出すことが考えられる。

逮捕された被疑者は、ほとんどの場合、全国の警察署に設置される留置施設に留置され、少なくとも退院日及びその翌日までは、患者が留置施設に留置されている可能性が高い。患者がどの警察署の留置施設に留置されているか分かるのであれば、患者宛に手紙を出し、直接、患者に個人情報を問い合わせることができる。

もっとも、この方法が奏功する可能性は低い。患者から回答を得られるとは限らないし、手紙が届くまで患者が留置施設に留置されているとも限らないからである。被疑者は、留置の必要がなければ釈放され、留置の必要があっても身体を拘束された時から48時間以内に検察官に送致される(刑事訴訟法第203条第1項)。実務上、検察官送致(いわゆる送検)後、被疑者は、留置施設にそのまま留置されるのが一般的ではあるものの、刑事施設に移送される場合もある。患者宛に手紙を出しても、既に患者が留置施設にいない可能性もあるということである。

次に、弁護士会照会(弁護士法第23条の2)によって、捜査機関に対し、患者の個人情報を照会することが考えられる。

もっとも、この方法は、弁護士しか行うことができないため、弁護士費用がかかることを覚悟しなければならない。また、弁護士会照会は、依頼する弁護士の所属弁護士会において、照会の必要性があると判断されて初めて照会先への照会が行われるため、捜査機関へたどり着くまでに時間もかかる。費用と時間をかけて捜査機関に照会したとしても、必ずしも捜査機関から回答を得られるとは限らない。そもそも、患者の個人情報が分からなければ、被疑者を特定することができないとして、弁護士会照会を行うことができる状態にない可能性が高い。

最後に、患者の入院中に保証人を立てておく方法が考えられる。この方法は、患者本人に診療費を請求するための方法ではないものの、医療機関が診療費を適切に回収する方法の一つとして挙げられる。

もっとも、患者本人の個人情報を取得することができないにもかかわらず、保証人を立てることができる、という状況はなかなか想定されず、これも現実的でない。

4.おわりに

医療機関が逮捕前の患者の診療を行った場合、いずれの方法を取るべきか、他に取り得る方法を探るべきかは、患者の容体、被疑事実の軽重、捜査機関の協力態度等によって変わるため、個別に判断する必要がある。

医療機関が診療費を回収することができないために泣き寝入りすることのないよう、医療機関と捜査機関とが、協力し合えるような法整備が行われ、事実上も、両者が日頃から協力関係を築いておかれることを切願するばかりである。また、逮捕前の場合に限らず、患者の身元を確認することができない時の診療費の請求について、適切に法整備が行われるべきである。

[脚注]
※注1 留置施設は、全国の警察署内に設置されているため、留置施設に勾留された被疑者が診療を受ける場合、各都道府県警察が診療費を支出し、国が償還することとなる(警察署内ノ留置場ニ拘禁又ハ留置セラルル者ノ費用ニ関スル法律)

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大森未緒(弁護士)

2023.05.11