ベトナム人技能実習生の孤立出産
水谷 渉 (弁護士)
1 ベトナム人技能実習生の孤立出産の刑事裁判
平成30年に技能実習生として来日したベトナム人女性(21歳)は、令和2年11月15日午前9時、熊本県の自宅でえい児2名を孤立出産した。数分でえい児は死亡。女性は遺体を段ボール箱に入れておいていたところ、死体を遺棄したとして起訴された。
日本の悪いところが濃縮されたような事件である。技能実習制度の実情にも問題があるが、女性のありのままの姿をみていない司法もひどい。以下に時系列を示す。
平成30年8月 来日して技能実習生として農園で働く。
令和2年7月頃 妊娠を知ったが、周囲に言わず、医療機関も受診していない。
令和2年11月15日 午前9時ころ自宅で出産後、数分でえい児死亡。
双子の遺体(妊娠8~9か月の胎児相当)をタオルで包んだ上で茶色の段ボール箱に入れ、その上に別のタオルを被せ、更にその上に手紙(被告人が付けた本件各えい児の名前、それらの生年月日、おわびの言葉、ゆっくり休んでくださいという趣旨の言葉が書かれたもの)を置いた。
令和2年11月16日 産婦人科を受診し入院、午後6時ころ分娩をみとめる。
令和2年11月17日 午後2時、家宅捜索で遺体を発見
令和2年11月19日 逮捕(のちに勾留)
令和3年1月20日 保釈
令和3年7月20日 熊本地方裁判所 懲役8月 執行猶予3年
令和4年1月19日 福岡高等裁判所 懲役3月 執行猶予2年
令和5年3月24日 最高裁判所 破棄自判(無罪確定)
2.一審及び控訴審の「遺棄」の解釈
遺体を家においていたのは1日と9時間である。この間をとらえて「遺棄」といえなくもないが、「遺棄」というには短すぎる時間である。
この女性のおかれた背景事情をよくふまえて「遺棄」かどうかを判断すべきであろう。それが司法の役割である。
第一審では「被告人は、死産した際の手続について、明確な知識は持っていなかったかもしれないが、分別のある青年であり、2年以上、日本で生活している。そのような被告人なら、死産を隠し、私的に埋葬するためにえい児を段ボール箱に入れて保管し、自室に置きつづけることが、正常な埋葬のための準備とはいえず、一般的な宗教的感情を害することは、容易に分かったはずである。」として、「遺棄」とした。控訴審もこれを追認した。
3.日本の刑事司法の貧困
外国人技能実習生であっても、当時から労働基準法がほぼ全面的に適用され(農業の技能実習生に例外あり)、妊娠は解雇理由にはならないし、健康保険にも加入している。
しかし、ありのままの実情としては、外国人技能実習生が妊娠した場合、実習ができなくなり、家賃等・生活費の不足のため、帰国せざるをえない。技能実習生はブローカーから50万~100万円程度の借金をして来日するため、返済に追われながら、母国の家族に仕送りし、その残りのお金で生活するため経済的に困窮している。しかも、初めての妊娠で、急激な体の変化におびえ、出産後の未知の子育てに不安を抱き、すべてそれを一人で抱え込む。
数千円の医療費負担は多くの日本人にとって困難でないが、外国人実習生には非常に重い。日本で生まれ育った日本人のシングル女性が妊娠・出産により経済的に困窮することも多く、21歳で生活力の乏しいベトナム人女性が苦悩の中で、妊娠、出産を隠そうと考えるのは当然のことである。なお、ベトナムでは土葬が一般である。
かろうじて、最高裁で逆転無罪が言い渡されたが、第一審・控訴審と続いて有罪とされた本件は、日本の刑事司法の現場プレーヤーの貧困さを物語っている。
4.見ようとすれば見えたはず
こうした状況について、第一審の裁判から、弁護側として意見書を提出していたのが、熊本の慈恵病院の蓮田健院長である。「こうのとりのゆりかご」の病院である。
妊娠する女性の複雑な心情を理解し、ありのまま素直に受け止めたうえで、自費でその解決を提案している。ベトナム人女性の苦しい心情と生活は、心ある人には、きちんと見えていた世界だ。蓮田院長の意見書は、裁判官も見ていたはずだ。司法関係者は大いに反省すべきである。
【参考情報】
・第一審有罪判決を受けて、蓮田健院長のコメント
・「彼女がしたことは犯罪なのか。あるベトナム人技能実習生の妊娠と死産」望月優大(ニッポン複雑紀行編集長)
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水谷渉(弁護士)
◇◇水谷渉氏の掲載済コラム◇◇
◆「結婚法制をめぐる議論が熱い」【2021.7.1掲載】
◆「コミュニケーションギャップ」【2021.1.7掲載】
◆「特養あずみの里の刑事裁判に寄せて」【2020.9.3掲載】