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「政府債務の見方を正す」 土居 丈朗
(掲載日 2006.04.25)
 目下、小泉内閣で、6月を目途にした歳出・歳入一体改革の具体策の取りまとめが行われている。その中で、巨額に累増した我が国の政府債務残高をいかに抑制するかが議論されている。

 政府債務残高を議論する際、経済学者と民間のエコノミストの一部では、しばしば、グロスでみるかネットでみるかが争点となる。つまり、政府債務残高を、政府が保有する金融資産と相殺した大きさであるネットの債務でみるか、相殺せずに純粋に債務そのものを示したグロスの債務でみるかという議論である。

■「グロスの債務」「ネットの債務」

 グロスの債務とネットの債務は、どう理解すればよいだろうか。その前に、我が国の政府の資産債務の実態をデータに基づいて見てみよう。現時点での最新のデータである2004暦年末の政府の資産債務の残高とその構成は、図1のようになっている。純粋に政府債務そのものを示した粗債務でみると876兆円、政府が保有する金融資産と相殺した大きさである純債務でみると400兆円となる。

 次に、政府債務残高を国際比較してみよう。図2は、対GDP比でみたグロスの政府債務残高の大きさを、G7とベルギーの8カ国で比較したものである。そして、図3は、対GDP比でみたネットの政府債務残高の大きさを、G7とベルギーの8カ国で比較したものである。

 世界的にも有名であるが、我が国のグロスの政府債務残高は、2005年度末には約170%となり、先進国の中でも群を抜いて高い水準になることが予想されている。他方、ネットの政府債務残高でみると、カナダ、ベルギーとほぼ同水準であるが、必ずしも突出して高い水準にあるわけではない。このネット残高の水準をみて、我が国の政府債務残高の累増は深刻な状況ではない(だから、財政再建など必要ない)という趣旨の主張がなされることすらある。

 政府債務の多寡だけで財政再建の要不要を論じるのは危ういことだが、政府債務の多寡、ひいては政府債務をグロスで見るかネットで見るかの立場の違いから、積極的な財政再建の必要性の認識に差異を生じさせているのが論壇の状態である。したがって、政府債務をどちらで見るのが正しいかを、正確に議論することは重要なことである。

 グロスの債務とネットの債務は、どう理解すればよいだろうか。それは、政府債務の返済財源を何に求めるかに依存する。もし、政府債務を将来の租税等の収入によって賄い、政府が保有する金融資産の売却収入を用いない方針で臨むならば、政府債務はグロスの残高で把握するのが妥当である。こうした状況では、ネットの残高は無意味なものとなる。机上の計算で相殺するのに用いた金融資産は、政府債務を返済するためでなく別の目的に用いるために保有しているのであって、金融資産の売却収入を返済財源としてあてにはできない。

 政府が保有する金融資産の具体例として、公的年金積立金をみれば、この売却収入(取り崩し)は政府債務の返済財源に充てるのではなく、将来の年金給付に充てることを予定している。むしろ逆に、将来の税収を元手に国債償還が行なわれ、それを財源として年金給付をする予定だから、相殺してよいはずがない(ちなみに、既に確定したとされる将来の年金給付予定額は負債計上されていない。これは、当然、図1にも含まれていない)。

 また、郵便貯金等が保有している国債も、相殺してよいものではない。郵貯は一見すると今は政府部内の組織だが、完全民営化されれば民間金融機関と同じになる。郵貯保有の国債を相殺すべきなら、民間銀行が保有する国債も同じように政府の債務と相殺すべきだが、そんな主張をする専門家がどこにいるだろうか。明らかに、郵貯が一見すると政府部内にあることによる錯覚で、郵貯保有国債を相殺できると見るのはとんだ勘違いである。さらに、郵貯は保有する国債との見合いで預金という負債があり、その両者こそ相殺すれば、国の一般会計の負債である国債はグロスの債務として残ることになる。

■巨額のツケを後世に残さぬために

 政府が通常用いる「国及び地方の長期債務残高」でみると、2006年度末において、国の一般会計が負う国債残高が約542兆円、特別会計等で負う借入金残高が約63兆円(地方の債務と重複する約34兆円を含む)、そして地方自治体が負う長期債務残高が約204兆円、これらの重複分を除いた合計額は約775兆円となる(図1の2004年末では735兆円)。これが、グロスの政府債務である。

 この債務は、政府が保有する金融資産が見合いとしてあるわけではなく、将来の税収によって返済することを大前提としているものである。そうならば、我が国の政府債務残高は、ネットの残高というよりグロスの残高に限りなく近い水準として把握するのが、政策スタンスと整合的で妥当なものである。

 我が国の政府債務を過少に評価して、あたかも厳しい財政再建が必要ないかのように楽観的に論じることは、財政破綻に導く亡国論である。目下、我が国の政府債務の水準は綱渡り的な状態であり、その行く末を多少悲観的であれ保守的に見通しても何も災いはない。仮に今後保守的な見通しが外れて実際は楽観的な状況になったとしても、今日保守的な見通しを立てたことを笑いものにした方が笑いものである。巨額の政府債務というツケを後世に残して、未だ見ぬ我々の子孫につらい思いをさせることは、是が非でも避けたいところである。

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