(注1)
絶海に孤立する島々の情景はダーウィンの著作「ビーグル号航海記」の描写からも伺えるが、1800年代初頭の捕鯨船寄航地ガラパゴスの絶景を見事に映像で再現したのは、NYタイムズ誌で“史上最高の歴史小説”と評されたパトリック・オブライアンの海洋冒険小説オーブリー・シリーズ第10巻「The Far Side of the World(南太平洋、波瀾の対激戦)」を原作とした映画「マスター・アンド・コマンダー」(ピーター・ウィアー監督・脚本、ラッセル・クロウ主演 2003年)である。
時は1805年、七つの海を制覇した海軍国家・大英帝国。ネルソン提督時代の英国軍艦サプライズ号に立ちふさがる因縁の宿敵フランス海軍の最新鋭のフリゲート艦アケロン号。ラッセル・クロウ扮する艦長ジャックと博物学者で軍医として船に乗り込んだスティーブンス(ポール・ベタニー)。英国軍艦を操船するのは、炎のようなノーブレス・オブリージュをその小さな身体に秘める貴族階級出身の少年士官候補たち、それにネルソン提督を師とあおぐ艦長を“幸運のジャック”と慕う船員たちである。そんなある夜、サプライズ号は霧の中から現れたアケロン号の奇襲を受け、12歳の士官候補生ブレイクニーも右腕を失ってしまう…。
海軍士官の夢破れ、落ち込む少年に、生物の観察を通して、自然科学の面白さを教える軍医スティーブンス。かれは戦闘には興味が無く、憧れのガラパゴスに上陸するが夢だ。あるとき船に飛来した珍しい鳥をとらえようとして、ひとりの船員が誤って軍医の腹部を鉄砲で撃ってしまう。瀕死の友人のために、ジャックは友人が憧れていたガラパゴスに船をつける。薄れ行く意識の中でスティーブンスは、軍医つきの船員がおそるおそる差し出す鏡に自分の患部を映しながら、自ら銃弾を摘出する。しかし「憧れの島」ガラパゴスの自然のなかで、瀕死のスティーブンスは奇跡的に回復していく。つかのまの動かぬ大地の生活に、船員達も鋭気を養う。鋭気の源は、陸イグアナの餌でもあるサボテンを蒸留して作った自家製のテキーラだ。一方隻腕の士官候補生はノートに珍しい昆虫のスケッチをする日々を送る。
「君には博物学の才能がある」とほめる軍医に「私も先生のようになるのが夢です」と笑顔を浮かべる少年。「たたかう博物学者に」――。そんなある日、島中の生態を観察するスティーブンスたちが、珍しい甲虫をつかまえようと、島の全貌を一望できる火山の頂に立った。そのとき、軍医の瞳にうつったものは、島の反対側の湾に停泊する美しい帆船のフォルム。それは因縁のフランス軍フリゲート艦アケロン号の船影であった。再びすさまじい海戦の火蓋が切って落とされるのだった・・・。英国とフランス、現在のEUにおいても、その因縁のライバル関係は継続している。それが歴史というものだ。
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(注2)
北欧伝説の森の妖精、アイヌ伝説のコロボックル、古事記の中で大国主神(おおくにぬしのかみ)とともに国をおさめた少名比古那神(すくなびこなのかみ)、スイフトのリリパット国伝説など「小さきもの」の伝承は世界各地にみられる。古典SF小説のファンならば、黒沢明や小津安二郎監督の映画よりも、興業的には、はるかに世界に「売れた」日本特撮映画の至宝「ゴジラ」の原作で知られる戦後日本の幻想小説作家、香山滋の作品「オラン・ペンデクの復讐」を思い出すかもしれない。「オラン・ペンデク」とはずばり、南洋の島に生息する「小さきヒト」を意味する。伝承は本当だったのか?まさしく事実は小説より奇なりなのである。
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(注3)
竹島の帰属を真摯に両国の歴史から議論するテーブルはあってもよいのかもしれない。但し、これは両国国民が納得するためのものだ。国際法上は間違いなく日本の領土であろう。しかし半世紀以上に渡り、実際に両国間の領土問題の議論の対象となる島を、韓国が実効支配しているのは、間違いなく現実におこっている「リアル」な出来事なのだ。竹島問題が抱える事態の深刻さは拙稿「闇の奥番外編・アジアの黙示録」でも触れたが、国際的にみても、これではわが国が「本気で外交をする気がない」と見られても仕方があるまい。そして、いまわが国の排他的経済水域に近接する春暁ガス油田開発に象徴される中国による東シナ海の実効支配は、現在も容赦なく進行しているのである。
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(注4)
島国であり、領土問題がすなわち「海洋上の問題」である日本において、実質的に国防を担っているのは、海上自衛隊ではなく、映画「海猿」でも知られる海上保安庁であることは案外知られていない。1996年、97年に中国・台湾の活動家が尖閣諸島に上陸を試みた際、これを阻止、検挙したのは海上保安庁であった。そして、今年5月に入り、覚醒剤北線ルートの解明の端緒を開いた2001年の北朝鮮工作船事件において、勇気ある追跡を試み、これを制圧したのも海上保安庁の3隻の巡視船である。驚かされたのは不審船の重装備ぶりであった。 それでは、彼らになぜこのような重装備が必要だったのか?日本対北朝鮮の国境をめぐる攻防は実はこれが最初ではなかったのである。日本の国防の裏側には、日本版ネイビー・シールズとも言える「知られざる特殊部隊」SST (参考:『海上保安庁特殊部隊SST』)の隊員たちの生命をかけた攻防があった。
映画「海猿」のモデル「羽田の特救隊(特殊救難隊)」の使命が人命救助だとすると、関西空港の警備から発足したSSTは国防のために「人を撃つ」ことも使命だという。「羽田の人命救助」に対して「関空の殺人部隊」という言われなき非難を浴びることすらあるのだという。5月から公開されている「海猿:Limit of Love」では、主人公の海上保安官が不審船に応射し、不審船が爆発炎上するという、2001年の海保巡視船「いなさ」と北鮮不審船との間で繰り広げられた攻防さながらのシーンがある。その後、主人公が「俺は人を殺してしまった」と自責の念に悩むエピソードは、おそらくモデルとなったケースがあるのだろう。しかし、この心理的葛藤は、若いSST隊員たちが常日頃思い悩み、そして乗り越えなければならない試練でもあるのだ。「国を守る」とは、絵空事や映画のなかだけの行為などではない。それだけの覚悟と決心が要求される「リアルな行為」なのである。それにしても日本防衛の実質的な担い手が、10年前、たった8名の構成員から始まった海保の一部隊という現状こそ、いま日本の安全保障の抱える問題を凝縮していると言えよう。
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(注5)
『日はまた沈む』で日本のバブル崩壊を見事に予言してみせた、英エコノミスト誌編集長ビル・エモット氏は新著「日はまた昇る」(草思社刊)の中で、「ゆっくりでも着実に歩む『カメ』の日本は、足の速い『ウサギ』の中国に勝つ 」と大胆な予測をする。
エモット氏の主張はこうだ。「経済力は政治的野心の元となり、アジア諸国は中国と友好関係を求めるしかなくなり、その結果、貿易、投資、環境から安全保障問題に至るまで、中国がアジア地域のルールを決める立場になるかもしれない」。
しかし、この「アジア共同体」実現の最大の壁として、彼は「中国の民主化問題」を挙げる。
「日本が中国との競争で重要なのは、改革のプロセスをこれから10年続けていくこと。たとえゆっくりであっても継続さえしていれば成功する。中国の急速な成長は、不安定な成長になっていく。そして政治(共産党一党独裁)と経済(資本主義)のシステムが両立しなくなる恐れがある」(参照:http://gendai.net/?m=view&g=syakai&c=020&no=24638)
「2008年の北京五輪に向けて、中国は猛烈な投資を続けるだろう。中国国民は五輪終了までは、不満があっても自制する。しかし五輪後、経済バブル崩壊と同時に政治バブルがはじける(共産党独裁の崩壊)可能性もある」と、エモット氏は指摘する。ところで、この著書は経済本であるにもかかわらず「靖国問題」に多くのページを割いている。「靖国神社に対する公的な支配権を国家が取り戻すべき」といったユニークなアイデアは、国立の宗教施設(教会)をもつ英国人の思想背景から生み出されたものなのだろうが、「靖国問題を将来の日本を語るのに避けられない問題だ」と考えている点は、注目に値する。
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