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(掲載日 2006.06.16)
島嶼化(とうしょか)する日本
―東アジア外交はどうあるべきか?
投稿者  澤 倫太郎
 日本医科大学生殖発達病態学・遺伝診療科 講師
 日本の東アジア外交が迷走している。たとえば、対中関係にみられる「謝罪外交」は果たして日本の正しい外交のあり方だろうか。歴史を紐解けば、日本と中国は、ライバルとして互いを意識し、切磋琢磨することで、パワー・バランスを維持してきた。しかし、現代(いま)の日本は、小さくなることで対中関係や周辺諸国との間に山積される様々な問題を「穏便に」やり過ごすことこそ、正しい道であると錯覚しているかのようである。

 進化の現象のひとつに「島嶼化(とうしょか)」というのがある。この現象は、外界から孤立した離島では手に入る食物の量が限られ、また捕食者がいないためおこる適応進化である。小さくなれば、生き延びるために必要な食物の量が少なくて済むためだ。ほんの2年前にマレー諸島の孤島で発見された人類化石により、この現象が人類にも起きる可能性があることが確認されたばかりだ。

 対中関係をはじめとする日本の外交スタンスは、「島嶼化」により、自国を生き延びさせようとしているかのようである。確かに、日本にはかつて国家生存のために外交面で「島嶼化」を実行した時代がある。鎖国制度を貫いた徳川幕府の時代がそれである。キリスト教の危険性(教義のうえでも、火薬の材料である硝石の輸入ルートという側面からも)を察知し、退けたことで国内平和を維持してきたのだ。そしてこの平和によって発酵醸造された江戸文化のクオリティーの高さこそが開国後の爆発的な国際国家への発展をもたらしたといえよう。

 その結果、日本が、アジアにおいて宗主国をもたなかった唯一の国家であり続けたことを我々はもっと誇ってもよい。 敗戦後の日本は60年の間、それが作られた平和とはいえ、紛争とは無縁の平安の中で敗戦国とは思えぬほどの発展を見事に遂げてきた。

 しかし、こうした島嶼化は、進化の世界でもみられるように、「天敵不在」の状況下においてのみ可能である適応進化であることを忘れてはならない。現実に眼を向ければ、日本は竹島問題や尖閣諸島、東シナ海のわが国の排他的経済水域近隣でのガス油田開発に係る領土問題、北朝鮮による日本国民の拉致誘拐の事実などの諸問題を多く抱えている。

 にもかかわらず、その実態に見てみぬふりを貫いてきた政界、官僚そして報道各社の姿勢、靖国参拝に代表される中韓両国による内政干渉(A級戦犯の合祀の是非は「国内で」おおいに議論するべきかもしれないが…)に対する寛容にみられるように、日本があたかも絶海の中の孤島であるかのごとく、「平和幻想」に基づく矮小化した外交姿勢を続けることは果たして正しいといえるのだろうか。生き延びるために、島嶼化すればいい、などと悠長に構えていられる状況にはないのではないか。

 この稿では、この生物進化の新知見「人類の島嶼化」を、東アジアにおける日本の外交の問題点に当てはめ、主に対中関係に焦点を当て、同地域における日本外交の本来あるべき姿について議論したいと思う。キーワードは「島嶼化」と「ライバル」である。

■ダーウィンとウォレス−科学研究におけるライバル

 まずは、キーワードの1つ「島嶼化」の進化論のなかでの位置づけについて解説しよう。

 神に創られた最初の人類、アダムとイブは禁断の「知恵の実」を食べて、楽園から追放された。それでは、「世界から神を追放した3人の科学者」といえば、会員諸氏は誰を思い浮かべるだろう。

 1人は15世紀のポーランドの天文学者で、哲学者カントが「認識論」の核としてその名を用いたことでも有名なニコラウス・コペルニクス(コペルニクス的転回)。小泉首相もお好きな「それでも地球は廻っている」で有名なガリレオ・ガリレイの宗教裁判を遡ること約120年前に、その著書「天体の回転について」において、いち早く「地動説」を唱え、ローマ教皇庁から異端視された15世紀のポーランドの天文学者である。

 もう1人は19世紀終わりから20世紀初頭に精神医学、臨床心理学の礎を築いたオーストリアの精神科医ジークムント・フロイド。生涯を通じて徹底的な「無心論者」を貫き、東欧系ユダヤ人であったため、「神なきユダヤ人」と評された「精神分析の祖」である。

 そして3人目の「神殺し」はケンブリッジ大学で神学と自然学を学び、1859年「種の起源(The Origin of Species)」で「進化論」を唱えた近代自然科学の巨人、チャールズ・ダーウィンである。

 ダーウィンがほぼ同時期に「自然選択説」を唱えたアルフレッド・ラッセル・ウォレスに触発されて「種の起源」を急ぎ校了し、発行したエピソードは有名だ。しかし、まったく因果関係もなくそれぞれ独自に「進化論」に行き着いたこの2人は、実に不思議な因縁で結ばれている。

 ダーウィンが博物学者として乗り込んだイギリス軍艦ビーグル号は、その航海の途中で南米エクアドルの沖900kmに浮かぶ19の火山性群島であるガラパゴス諸島に寄港。この機会にダーウィンフィンチ(ガラパゴス諸島にだけ生息するアトリ科の野鳥)の嘴(くちばし)の形状変化の観察から、絶海の孤島に飛来したただ一種のアトリの群れ(迷い鳥)が、移り住んだ島々それぞれの環境によってその嘴(くちばし)の形状を変化させ「固有種」となる「放散進化」のアイデアを得た。この着想こそ、後の「進化論」の核になる。(注1)

 一方、ウォレスは市井の博物学者、というよりも標本収集家で、当初は南米アマゾンでの収集旅行で蓄財した後、のちに、その著書「極楽鳥とオランウータンの島」でも紹介された東南アジア・マレー諸島において、珍しい草木鳥獣の標本の収集にはげんだ。

 収集旅行の間には、スンダ列島のバリ島とロンボク島の間で、動物種に明らかな違いを発見し、生物地理学上の境界線(ウォレスの分布境界線)を唱えた。これらの諸島間の生物相の違いから、「生物集団に働く自然選択が生物相に変化を与える」とする「自然選択説」を着想する。

 この仮説は、「全ての生物は創造主によって創られた」とする聖書の記述を真っ向から否定するものだった為、1858年初頭に、ウォレスはこれまでの観察結果から得た自説を手紙にしたため、ダーウィンに意見を求めた。驚いたダーウィンは慌てて、自説論文をまとめあげ、同年にウォレスの論文と同時に発表し、翌年には「種の起源」を出版したのである。

<注>
 科学研究の分野では、時々、このような不思議な同調性(シンクロニティ)が発生する。ダーウィンとウォレスの間に発生した同調性と瓜二つのエピソードが、時を経て、「生物は、所詮、遺伝子の乗り物に過ぎない」というセンセーショナルな仮説を語った著書「利己的な遺伝子」 (邦訳1991年)のベストセラーで知られる英国の動物行動学者・リチャード・ドーキンスと、異才の科学ジャーナリスト、ジョージ・プライスの間にも見られた。

 ジョージ・プライスの数奇な運命に関しては、雑誌FACTA編集長・阿部重夫氏による本会サイトの科学コラム「利他不在の証明」および「最後のジョージ・プライス」に詳しい。不思議なことに、両エピソードとも、郵便書簡による意思伝達であったこと、「進化」と「遺伝子」という類似した学問領域において、結論として「究極の無神論」に行き着いた点は興味深い。

 おそらく現在なら、「インターネット空間における電子論文の発表」という手法を介して、結果として、「知財合戦」という不毛の結末を行き着いていたかもしれない。しかし幸いなことに、両エピソードにおいても、同じ学際の両雄同士が、お互いを認め、リスペクトし合う帰結であったことは、現代(いま)の若き研究者たちにとっては、実に貴重である。なぜなら「利他」とはすなわち「自利」に通ずるという思想は、知財競争に明け暮れる現代科学研究が、最も忘れかけている部分だからだ。

■驚くべき人類化石

 「生物進化」をめぐるダーウィンとウォレスの仮説発表から1世紀半後の2004年。今度は、奇しくも、ウォレスが「自然選択説」を着想した東南アジア・マレー諸島のジャワ島の東に位置するフローレス島のリアンブア洞窟において、「ここ半世紀で最も驚くべき人類化石」(ネイチャー誌)が発見された。(参照:ワシントン・ポスト紙掲載2006年5月19日付記事およびAthenaReview)

 オーストラリア・ニューイングランド大学ピーター・ブラウン準教授とインドネシア考古学研究センターのP.P. ソージョノ教授らの研究チームによって、約1万8,000年前という、全く新しい地層から発見されたその化石は、その頭骨や歯の特徴からなんと「ジャワ原人:ピテカントロプス・エレクトウス」の直系の末裔と推定されたのである。

 驚くべきことは、その体躯の小ささで、身長は1メートル。体重20〜30kg。歯の磨耗などから、これで立派な成人女性ということが判明した。しかも研究者らは、コンピューター復元を用いて、新人と旧人(ネアンデルタール人など)、チンパンジーや他の霊長類の脳と今回発見された化石の脳を比較した結果、この小さな女性の脳は417立方センチメートルとほぼチンパンジーと同じ大きさだが、脳の表面の溝(こう)などの特徴が新人や原人に酷似しており、石器や火の使用の跡なども残されていることから、集団で狩猟生活を送っていたと推測されている。

 発掘チームは、発見した人骨の標本に「ホビット」(映画「ロード・オブ・ザ・リング」で活躍する伝説上の小人族)というニックネームをつけた。正式名称は「ホモ・フローレシエンシス」(Homo florensiensis)という。

 研究者たちは、この新種はホモ・エレクトス(直立原人)の子孫だと述べている。ホモ・エレクトスはおよそ200万年前、アフリカを起点にアジアに広がり、インドネシアにも到達したと考えられている。リアンブア洞窟で発見された人骨はホモ・エレクトスの一部の子孫である可能性があり、数十万年前のある時点で、フローレス島で孤立し、進化の結果、小型化したと見られている。

 フローレス島は外界から完全に遮断されているため、島の生物は小型化していった。こうした変化を遂げた生物には、同じ島ではステゴドンと呼ばれる肩高が1メートルたらずのゾウの化石も発見されていた。しかしこうした現象が人類で確認されたのは今回が初めてで、人類も他の生物と同様に、この進化過程の影響を受けることが証明されたことになる。

 この化石の断片は2003年9月に発見された。しかし当初は新しい人類ではなく、なんらかのホルモン異常の猿類のものだと考えられた。なぜならあまりに新しい地層からの発見だったからである。

 「進化の時間の中で見れば、1万8000年前は昨日のようなものだ」

 ブラウン準教授は、この骨がたった1万8000年前のものだという事実は驚くべきことだと述べている。現地には「洞窟に住む小さき人々」の言い伝えまであり、研究チームでは、今回特定されたホモ・フローレシエンシスの骨が1万8000年前のものだとしながらも、この新種の人類が西暦1500年代までこの島に生存していた可能性を否定していない。(注2)

■平和なるもの

 「ホモ・フローレシエンシス」の発見によって、自然界では因縁の天敵がいなければ、矮小化するのが人間の進化でも実証された。

 さて、ここで日本の外交に戻ろう。日本の「島嶼化」は、先に述べたとおり、天敵を退けることのできた徳川幕府の鎖国制度において成立するものだといえる。
 
 しかしながら、わが国は、太平洋戦争を終了しても尚、反戦という錦の御旗・絶対的なスローガンのもと、「平和=非戦闘」という短絡な連想に埋没しながら、「全方位外交」を維持してきた。言い換えれば、わが国は天敵をあえて作らない、ある種、外界から隔絶された離島(ピースフル・アイランド)の「幻想」の中に自らの身を置こうとしてきたようである。

 しかし、そもそも、国際社会に開かれたなかでの「天敵不在」などあり得るのだろうか。東アジアに位置するわが国の周辺諸国を見れば、1951年朝鮮戦争、1979年2月、1980年7月、1981年5月の3度にわたる中越戦争、石油資源を巡る南シナ海周辺国との紛争など、数々の紛争の渦中にあった。そしてこの全てが中国の国土拡大に係る紛争であった。

 東アジア情勢といえば、中華振興を国家の大命題に据え、急速に軍事・経済大国化しつつある中国と、半島統一へもはや止めようもないスピードで動き始めた朝鮮半島の動きが鮮明である。安福対決に焦点が絞られつつあるポスト小泉レースにおいても東アジア外交政策は争点であるが、それにしては、東アジア外交における日本の対応はお粗末ではないか。

 冒頭に挙げたように領土や拉致問題など問題も山積している。わが国の安全保障上の厳しい現状(注3)を見れば、「全方位外交」などということがいかに非現実的な虚構であるか一目瞭然であろう。国民も、これまでわが国が慣れ親しんできた「平和なるもの」が、東西冷戦の狭間にある真空地帯に生じた幻想であったことに気がつき始めている。

 和平とは、激しい外交のやり取りを通じて、はじめて獲得・実現できるものだ。日本人は、これまで「そこにある危機」に見て見ぬふりをし、問題解決を遅らせてきただけではないか。

■機能不全の日本外交本部

 島嶼化こそ、日本の外交のあるべき姿だ、などという幻想を広めた責任が誰にあるかといえば、まずメディアが挙げられる。靖国神社の参拝などの争点を挙げ、「イエスかノーか?」の単純無邪気な世論形成に走る短絡ぶりは眼に余る。

 そして、外務省だ。親米派にしろ、チャイナ・スクールにしろ、日本の外交官はその役職のなんたるかをすっかり忘却してしまっているようだ。彼らに託された使命とは、徹底した情報収集とその情報チャンネルの管理、それに全ての情報を本省に報告することだろう。外交官が、他省の官僚とは一線を画した「エリート」たる所以は、厳しい語学訓練を積み、本省へ情報を送るチャンネルの管理者、つまり「情報エリート」であるためだ。その管理者であることの大前提を忘れ、本省へ報告する情報の取捨選択まで手を染めることがあってはならない。

 しかし、上海総領事館「電信官自殺」事件は、国益を損ねる越権行為があったが故の官邸のドタバタ劇としか思えない。何らかの情報があげられていたとしても、親中派の政府高官と示し合わせて、十分な情報を官邸に報告しなかった可能性も一部では報道されている。もし、これが事実だとしたら、問題はさらに深刻だ。外務省とは、いったい、いずれの国家に帰属する組織なのだろうか。

 いずれにせよ、この一件によって、外交情報のヘッドクオーター(本部)が十分機能していないという日本外交の致命的な構造欠陥が露呈された。(「凛として志のある外交」を打ち出し、「拉致問題」に関しても、これまでにない明確なポリシーを持っていると期待されている谷内正太郎外務事務次官には、早急な体制整備を期待したいところである)

■「政冷経熱」は国益を損ねるのか?

 そして、日本の東アジア外交の矮小化に拍車を掛けているのが、「日中連携」を政府に進言する日本の経済界だろう。2006年5月9日、経済同友会は、小泉首相の靖国神社参拝に再考を促すことなどを盛り込んだ「今後の日中関係への提言」を発表した。提言の中で、日中の首脳会談が開けない状況にあることは「極めて憂慮すべき情勢」であり、「中国等アジア諸国に少しでも疑義を抱かせる言動を取ることは、戦後の日本の否定につながりかねず、日本の国益にとってもプラスにならないことを自戒すべきだ」と強調している。

 経済界の理屈はこうだ。日本は1978年のケ小平元中国国家主席の来日に応える形で、翌年から巨額な経済協力を行ってきた。円借款を含めた対中経済協力の総額は3兆円超。この額は世界の対中国経済協力の6割以上を占める。このわが国の大掛かりな中国への投資が、最近の中国の爆発的な経済的発展の礎になるインフラ構築につながったのは事実だ。そして、ようやく「商売」の相手になる「市場」が形成された。だからといって、「政経分離」は困る、というのである。

 しかし、「商売」は「売り手」と「買い手」がいて、はじめて成り立つ。日本を切り離して成立するほど、中国経済の基盤は磐石だろうか。そのことは、経済の専門家集団が一番知っているはずだ。

 そもそも、提言に盛り込まれているように「中国とのパートナー関係」と言えるほど、日本は中国に対して対等な関係を築く努力をしてきたのだろうか。パートナー云々を言う前に、日中間には未解決の問題が多過ぎるように思える。例えば、筆者が思いつくだけでも以下の問題がある。

(1) 昨年の反日デモに象徴される国民の感情的な反発。この反日感情の根っこにあるのは、「日本の国連常任理事国入りに対する根深い反発」だ。裏を返せば、中国国民にとって、アジアの代表は「中国」でなければならないのだ。
(2) 靖国参拝問題に代表される「歴史問題」。
(3) 東シナ海のガス田開発をめぐる「エネルギー問題」。
(4) その延長線上にある、尖閣諸島をめぐる「領土問題」。
(注4)

 それでは、米国はどのような姿勢で中国に臨んでいるのだろうか。米国は対中貿易赤字が続き、赤字減らしに躍起になっているはずである。

 2006年4月に初めて米国を訪問した胡錦濤中国国家主席は、マイクロソフト社やボーイング社を表敬訪問、ボーイング機を80機購入するという「経熱」ぶりをアピール。中国市場がアメリカ企業にとって、最大のビジネス相手であることを見せつけた。

 一方、肝腎の米中首脳会談でブッシュ米大統領は、イランと北朝鮮の核問題で中国の協力を求めたほか、中国市場の市場開放、同市場における知的所有権侵害の問題、人権・民主問題、人民元の切り上げ要求をぶつけることを忘れなかった。しかし、すれ違いは鮮明で、関係者も驚くほどの「政冷」ぶりだったという。この結果、2005年2月の就任以来、「中国との経済関係強化」を唱え、中国を国際社会の中での「ステーク・ホルダー(Responsible Stakeholder)」として持ち上げてきた「ホワイト・ハウスの代表的親中派」ロバート・ゼーリック米国務副長官の責任が問われることとなった。

 そもそも、政経分離が困るといって、米国通商代表部が、中国を牽制するホワイト・ハウスの政治姿勢に「憂慮」を示すといったような、足並みの乱れを見せるような事態はあり得るのだろうか。

 多くの日本の知識人の間では、「政冷経熱への憂慮」は「大人の正論」として、広く受け入れられている模様だが、成熟した国家間においては、「政冷経熱」は戦術の1つとして選択肢になり得るのではないか。

 中国は領土や人口の規模こそ大きいものの、食糧やエネルギーという観点からみると必ずしも大国ではない。むしろ、米国はもちろん、わが国とも必要があれば、食うか食われるかの天敵(ライバル)の関係であるといってよい。つまり、中国はわが国にとって身近な天敵(ライバル)なのだ。したがって、中国を天敵(ライバル)として想定しない戦略などははじめからあり得ないのである。

■東アジア均衡の鍵

 相手国をライバルとして想定した場合、連携できないのではないか、といった疑問があるとしよう。欧州連合(EU)を見ればよい。例えば、英国とフランスが因縁のライバルであることに変わりはない。映画「マスター・アンド・コマンダー」では、祖国を遠く離れた海上で「永遠のライバル」フランス海軍と対峙するネルソン提督時代の大英帝国海軍が描かれている。そして、第二次世界大戦で戦火を交えた英独、独仏関係、そして東欧諸国を取り込んだEUの拡大と新興大国ロシアの関係も複雑に絡み合っている。それぞれの歴史観、そして石油エネルギー利権などの「リアルな国益」を全て盛り込んだ上での、したたかな「ライバル国同士の外交交渉の蓄積」という伝統こそ、欧州諸国の関係の基盤である。

 そして、中国が、日本にとって「因縁のライバル」の一国であることは、歴史的事実を見れば明らかであろう。

 「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙(つつが)無きや」

 北宋の司馬光の撰になる「資治通鑑(しじつがん)」に記載された、倭王「多利思比孤(たりしひこ)」が時の大国・隋の煬帝(ようだい)に送った国書の文頭の一節である。

 帝も不快を隠さなかったが、かんかんに怒ったのは鴻臚卿(こうろけい:当時の外務担当者)である。

 「蛮夷の書の無礼なる者は、復(ま)た以って聞(ぶん)する勿れ」

 文化果つる蛮夷の分際で、文明の中心(中華)に対してなにを「夜郎自大」な、と言う訳である。当時、南北朝時代の乱世に終止符を打った新興の大国・隋王朝に対するこの挑戦的ともいえる外交姿勢は、儒教的・朱子学の側面から見れば、確かに礼節に失する国書と言えよう。

 しかし、不思議なことに、隋の皇帝・煬帝はこの「信じられないほど大胆な国書」に応じ、答礼使を日本に派遣し、国交樹立に踏み切った。この一見矛盾する外交姿勢には理由がある。当時、朝鮮半島完全統一を進行中だった隋は、以前から朝鮮半島に影響力のあったわが国の懐柔に廻ったのだ。

 朝鮮半島への影響力は、隋以前の南北朝時代、南朝に倭の五王の一人、済が要求した官職が「使持節度督・倭(やまと)・新羅・任那・加羅・辰韓・墓韓(ぼかん)六国諸軍事安東大将軍」という肩書きであったことからもわかる。六国諸軍事安東大将軍とは、高句麗以外の朝鮮半島諸国の軍事を束ねる官職であった。それだけ、朝鮮半島に対する日本の軍事的な影響力は大きかったのである。

 そして南北朝が終わり、新興の大国「隋」が起こってからは、わが国は、この「歴史カード」をうまく利用し、それまでの「朝貢外交」を見事に「対等外交」にシフトさせたのだ。

 大胆な「国書」を送る日本も日本なら、それを受け止める隋の懐の深さも実にしたたかだ。両国の外交姿勢を見ても、地政学と国益とをよく見極めた高度な外交交渉技術とはいえないだろうか。

 対照的に、大陸とは地続きの朝鮮半島の百済、高句麗、新羅の君主たちは、隋に相次いで入朝し、それぞれ「上開府儀同三司帯方郡公百済王」「大将軍遼東郡公高句麗王」「上開府楽浪郡公新羅王」に封じられていた。いや冊封に甘んじる以外、朝鮮諸国に選択肢はなかったのである。この史実からも明らかなように、遠く大和のいにしえから、日本、中国、そして朝鮮半島諸国は、熾烈な外交のやり取りの中で、それぞれの「国のかたち」を保持してきたのである。

 そして、このパワー・バランスを成立させたのは、日本が大陸とは海洋で分断された島国であるという地政学上の特徴だ。そしてこの特徴は、今に至っても全く変わっていないのである。一歩踏み込んで言えば、日本・中国は互いに意識しあう「永遠のライバル」なのである。そして、それは東アジアのパワー・バランスを保つ鍵でもあると言えよう。

 日中関係について非常に興味深い指摘をした著書『日中友好は日本を滅ぼすー歴史が教える「脱・中国」の法則』(講談社α新書)がある。著者の石平(シー・ピン)氏は四川省出身の日中問題研究家。この中で、飛鳥時代から近代に至るまでの、日本史における「治」「乱」の変遷を見ると、日中関係の深さとの相関関係が認められるというのだ。

 つまり、中国に深入りすれば国が乱れ、関係の薄い時代は繁栄するという法則がみられるのだという。石氏は「白村江の敗戦」の天智天皇と近江朝廷、「日宋貿易」の平清盛と平家政権、「朝貢貿易」の足利義満と足利政権、「唐の平定」をもくろんだ秀吉と豊臣政権、昭和に起きた「満州事変」と太平洋戦争の帰結、そして、昭和47年の日中国交回復から始まった「日中友好」時代が、「失われた10年」と呼ばれる日本経済の失墜をもたらした結末などを例にあげ、日中関係の度合いと日本の浮き沈みの関係を冷静に解説する。書店に棚積みされたあまたある「反中本」とは一線を画する一書であろう。一読をお奨めする。

■「島嶼化する国」日本

 このように、日本と中国は互いを「永遠のライバル」と位置づけてきた。東アジアの均衡を保つうえでも、このライバル関係の維持は重要な戦略の1つの選択肢である。このポイントを押さえず、「日中友好」という表層の甘言に踊らされ、「謝罪外交」一辺倒の姿勢を続けることは、両国の国民にとっても、決してプラスにはならない。また、「平和幻想」を説く日本の知識人たちも、建設的なライバル関係が成立する外交関係において、「島嶼化」など成立しないことに、早く気付くべきであろう。

 ライバルを意識し、切磋琢磨することで、はじめて両国に「建設的な未来」が見えてくる。そして、それこそが両国にとって、真の国益にかなう決断であろう。ためらうことは何も無い。(注5)

(注1)
 絶海に孤立する島々の情景はダーウィンの著作「ビーグル号航海記」の描写からも伺えるが、1800年代初頭の捕鯨船寄航地ガラパゴスの絶景を見事に映像で再現したのは、NYタイムズ誌で“史上最高の歴史小説”と評されたパトリック・オブライアンの海洋冒険小説オーブリー・シリーズ第10巻「The Far Side of the World(南太平洋、波瀾の対激戦)」を原作とした映画「マスター・アンド・コマンダー」(ピーター・ウィアー監督・脚本、ラッセル・クロウ主演 2003年)である。

 時は1805年、七つの海を制覇した海軍国家・大英帝国。ネルソン提督時代の英国軍艦サプライズ号に立ちふさがる因縁の宿敵フランス海軍の最新鋭のフリゲート艦アケロン号。ラッセル・クロウ扮する艦長ジャックと博物学者で軍医として船に乗り込んだスティーブンス(ポール・ベタニー)。英国軍艦を操船するのは、炎のようなノーブレス・オブリージュをその小さな身体に秘める貴族階級出身の少年士官候補たち、それにネルソン提督を師とあおぐ艦長を“幸運のジャック”と慕う船員たちである。そんなある夜、サプライズ号は霧の中から現れたアケロン号の奇襲を受け、12歳の士官候補生ブレイクニーも右腕を失ってしまう…。

 海軍士官の夢破れ、落ち込む少年に、生物の観察を通して、自然科学の面白さを教える軍医スティーブンス。かれは戦闘には興味が無く、憧れのガラパゴスに上陸するが夢だ。あるとき船に飛来した珍しい鳥をとらえようとして、ひとりの船員が誤って軍医の腹部を鉄砲で撃ってしまう。瀕死の友人のために、ジャックは友人が憧れていたガラパゴスに船をつける。薄れ行く意識の中でスティーブンスは、軍医つきの船員がおそるおそる差し出す鏡に自分の患部を映しながら、自ら銃弾を摘出する。しかし「憧れの島」ガラパゴスの自然のなかで、瀕死のスティーブンスは奇跡的に回復していく。つかのまの動かぬ大地の生活に、船員達も鋭気を養う。鋭気の源は、陸イグアナの餌でもあるサボテンを蒸留して作った自家製のテキーラだ。一方隻腕の士官候補生はノートに珍しい昆虫のスケッチをする日々を送る。

 「君には博物学の才能がある」とほめる軍医に「私も先生のようになるのが夢です」と笑顔を浮かべる少年。「たたかう博物学者に」――。そんなある日、島中の生態を観察するスティーブンスたちが、珍しい甲虫をつかまえようと、島の全貌を一望できる火山の頂に立った。そのとき、軍医の瞳にうつったものは、島の反対側の湾に停泊する美しい帆船のフォルム。それは因縁のフランス軍フリゲート艦アケロン号の船影であった。再びすさまじい海戦の火蓋が切って落とされるのだった・・・。英国とフランス、現在のEUにおいても、その因縁のライバル関係は継続している。それが歴史というものだ。
(注2)
 北欧伝説の森の妖精、アイヌ伝説のコロボックル、古事記の中で大国主神(おおくにぬしのかみ)とともに国をおさめた少名比古那神(すくなびこなのかみ)、スイフトのリリパット国伝説など「小さきもの」の伝承は世界各地にみられる。古典SF小説のファンならば、黒沢明や小津安二郎監督の映画よりも、興業的には、はるかに世界に「売れた」日本特撮映画の至宝「ゴジラ」の原作で知られる戦後日本の幻想小説作家、香山滋の作品「オラン・ペンデクの復讐」を思い出すかもしれない。「オラン・ペンデク」とはずばり、南洋の島に生息する「小さきヒト」を意味する。伝承は本当だったのか?まさしく事実は小説より奇なりなのである。

(注3)
 竹島の帰属を真摯に両国の歴史から議論するテーブルはあってもよいのかもしれない。但し、これは両国国民が納得するためのものだ。国際法上は間違いなく日本の領土であろう。しかし半世紀以上に渡り、実際に両国間の領土問題の議論の対象となる島を、韓国が実効支配しているのは、間違いなく現実におこっている「リアル」な出来事なのだ。竹島問題が抱える事態の深刻さは拙稿「闇の奥番外編・アジアの黙示録」でも触れたが、国際的にみても、これではわが国が「本気で外交をする気がない」と見られても仕方があるまい。そして、いまわが国の排他的経済水域に近接する春暁ガス油田開発に象徴される中国による東シナ海の実効支配は、現在も容赦なく進行しているのである。
(注4)
 島国であり、領土問題がすなわち「海洋上の問題」である日本において、実質的に国防を担っているのは、海上自衛隊ではなく、映画「海猿」でも知られる海上保安庁であることは案外知られていない。1996年、97年に中国・台湾の活動家が尖閣諸島に上陸を試みた際、これを阻止、検挙したのは海上保安庁であった。そして、今年5月に入り、覚醒剤北線ルートの解明の端緒を開いた2001年の北朝鮮工作船事件において、勇気ある追跡を試み、これを制圧したのも海上保安庁の3隻の巡視船である。驚かされたのは不審船の重装備ぶりであった。 それでは、彼らになぜこのような重装備が必要だったのか?日本対北朝鮮の国境をめぐる攻防は実はこれが最初ではなかったのである。日本の国防の裏側には、日本版ネイビー・シールズとも言える「知られざる特殊部隊」SST (参考:『海上保安庁特殊部隊SST』)の隊員たちの生命をかけた攻防があった。

 映画「海猿」のモデル「羽田の特救隊(特殊救難隊)」の使命が人命救助だとすると、関西空港の警備から発足したSSTは国防のために「人を撃つ」ことも使命だという。「羽田の人命救助」に対して「関空の殺人部隊」という言われなき非難を浴びることすらあるのだという。5月から公開されている「海猿:Limit of Love」では、主人公の海上保安官が不審船に応射し、不審船が爆発炎上するという、2001年の海保巡視船「いなさ」と北鮮不審船との間で繰り広げられた攻防さながらのシーンがある。その後、主人公が「俺は人を殺してしまった」と自責の念に悩むエピソードは、おそらくモデルとなったケースがあるのだろう。しかし、この心理的葛藤は、若いSST隊員たちが常日頃思い悩み、そして乗り越えなければならない試練でもあるのだ。「国を守る」とは、絵空事や映画のなかだけの行為などではない。それだけの覚悟と決心が要求される「リアルな行為」なのである。それにしても日本防衛の実質的な担い手が、10年前、たった8名の構成員から始まった海保の一部隊という現状こそ、いま日本の安全保障の抱える問題を凝縮していると言えよう。
(注5)
 『日はまた沈む』で日本のバブル崩壊を見事に予言してみせた、英エコノミスト誌編集長ビル・エモット氏は新著「日はまた昇る」(草思社刊)の中で、「ゆっくりでも着実に歩む『カメ』の日本は、足の速い『ウサギ』の中国に勝つ 」と大胆な予測をする。

 エモット氏の主張はこうだ。「経済力は政治的野心の元となり、アジア諸国は中国と友好関係を求めるしかなくなり、その結果、貿易、投資、環境から安全保障問題に至るまで、中国がアジア地域のルールを決める立場になるかもしれない」。

 しかし、この「アジア共同体」実現の最大の壁として、彼は「中国の民主化問題」を挙げる。

 「日本が中国との競争で重要なのは、改革のプロセスをこれから10年続けていくこと。たとえゆっくりであっても継続さえしていれば成功する。中国の急速な成長は、不安定な成長になっていく。そして政治(共産党一党独裁)と経済(資本主義)のシステムが両立しなくなる恐れがある」(参照:http://gendai.net/?m=view&g=syakai&c=020&no=24638)

 「2008年の北京五輪に向けて、中国は猛烈な投資を続けるだろう。中国国民は五輪終了までは、不満があっても自制する。しかし五輪後、経済バブル崩壊と同時に政治バブルがはじける(共産党独裁の崩壊)可能性もある」と、エモット氏は指摘する。ところで、この著書は経済本であるにもかかわらず「靖国問題」に多くのページを割いている。「靖国神社に対する公的な支配権を国家が取り戻すべき」といったユニークなアイデアは、国立の宗教施設(教会)をもつ英国人の思想背景から生み出されたものなのだろうが、「靖国問題を将来の日本を語るのに避けられない問題だ」と考えている点は、注目に値する。
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