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整形外科医 北村 大也 |
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4月半ばより一部の紙面で総合科医の話が出ている。(4月30日読売オンライン 4月22日毎日新聞)厚生省は医療提供体制を改革する切り札と考えているらしいが、総合科医を増やし結果的に専門医を減らすことが医師という限られた資源を有効に使うことにつながるとは思えない。
現在でも、自身の診療科(専門)を中心に幅広く診療を行っている開業医は存在する。そのような多種多様な開業医がいることにより、患者はフリーアクセスのもと適切な医療を受けることが可能となっている。
内科の医師でも消化器、循環器、神経内科、呼吸器など分野が分かれているが、消化器が専門だから高血圧は診ませんという内科開業医はいない。専門分野の医師の診療が必要と判断すれば循環器内科の医師に紹介するわけである。
ところが科をまたぐと話は変わってくる。例えば膝の怪我の場合、内科の先生はとりあえず整形外科を受診するように勧めるだろう。しかし整形外科でも膝や肩の専門といって分野が分かれていているのである。
一般整形外科医が診察後、膝の医師に受診するかどうかを判断するわけであるが、内科の先生に膝の専門の医師の診察が必要かどうかは判断できない。つまり医師というのは、自分の専門を中心にその周辺分野は強く科が変われば急速にその診療能力は落ちていくわけである。
もし総合科医が自分の専門以外に他の科も診るようにという事であればその効果は非常に疑わしい。医学の世界は日進月歩である。科の中でも専門が分かれている現状において、自身の診療科に加えて他の科の研修を受けることになれば、どんなに研修を受けようともその診療科の医師程の知識がつくことがないのは明らかである。
かかりつけ医を決めてフリーアクセスを制限し、総合科医による不十分な医療を提供することは正しい医療の姿とは思えない。また十分な医療を提供しようと思えば、たとえ内科の医師に眼科や耳鼻科、整形外科や脳外科まで診療してもらったとしても最終的には各科の医師の診療を必要とする。
自分の専門から離れた分野を底上げしてもその診療能力はたかが知れている。なんでもみられる総合医は専門医のバックアップなしにはなりたたないものである。
ところが各学会認定の専門医の診療報酬にはなんのインセンティブもついていない。専門の医師の養成もせず、冷遇し、一方で能力の不十分な総合科医の診療報酬を高くしてどうするのか。
フリーアクセスが許されるなら、自分は安くて専門性の高い医師のもとを訪れるだろう。フリーアクセスが制限されるのなら総合科医を受診した後は専門医を受診したいと希望するだろう。糖尿病の患者に糖尿病の専門医に診てもらいたいと言われた時に、必要ありませんと言える総合科医はたぶんいないはずである。患者が希望するのにそれを断って何か問題が起きたときに責任が取れない。
昨今の医療訴訟の状況でそのようなリスクをとる医師がどれくらいいるのだろうか。むしろ積極的に紹介するほうが多いと思われる。いくら総合科医を増やしても結果的に専門医を受診するのでは総合科医の診療は何のためにあるのであろうか。
また、医師という資源には限りがある。総合科医を増やして専門医が減少すれば、総合科医を受診した後に専門医を受診できない患者が増えることも考えられる。総合科医導入により医療レベルが低下するということである。コストをかけて医療レベルを低下させてどうするのか。総合科医導入よりも多種多様な専門医をきちんと養成して連携させ、そういった専門の医師が多くいることを国民にアピールしていくことのほうが大事である。
と言うまでもなく、今も医師は自分の専門周辺のことなら十分に連携を取っている。自分の科に診療能力の低い他の科の医師(総合科医)が入ってきてもとても仕事の負担を減らしてくれるようには思えない。それよりは自分の専門に近いが専門は違う医師が増えてくれるほうがはるかに良いのである。
厚生省は総合医を標榜科とすることを考えているようだが、任意団体の各学会専門医は冷遇し厚生省お墨付きの総合科医は厚遇する。当然認定機関なども必要になるのだろうが、天下り先確保などの思惑もあるのではないだろうか。もしそうでないにしても、そのような予算をつけるくらいなら専門医の養成とその連携、そしてそれを国民へPRすることに力を入れるべきではないだろうか。
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