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コラム
今週のテーマ
(掲載日 2007.10.23)
<舞台> アジアのとある国
<設定> 大きな内戦が終わってから60年がたった。その内戦は民族対立に端を発し、10年にわたった。疲れ果てた国民は難民として周辺国に流れ出し、周辺国の治安悪化が進んだ。対立していた国民は、強い外圧を受けてようやく和解したのだった。もともと勤勉な国民で、交通の要衝にも位置していたため、戦後60年でその国は急速な発展を遂げた。その一方で、国民の間に新たな火種ができている。それは「年金問題」だった。
<主な登場人物>
 ○東都大学准教授・・・西山勘助(にしやま・かんすけ)
 ○保険勤労省年金局企画課課長補佐・・・斎藤誠太郎(さいとう・せいたろう)
 ○夕刊紙「毎夕新聞」の記者・・・島谷涼風(しまたに・すずか)
 ○保勤省年金局数理調査課・・・三森数馬(みつもり・かずま)
 ○年金問題に執念を燃やす政治家・・・西郷竜一郎(さいごう・りゅういちろう)
 ○与党 民自党党首・・・川上一太(かわかみ・いった)
※ 日本人に読まれることを想定しているため、日本的な名前にしているが、他意はない。
<< 第八話「母の怒り」 
<前回までのあらすじ>
自殺した数理課の三森数馬の日記は、年金の内実を明かにしていた。それを記者会見で「創作」と決めつけた保勤省の絹田次官に対して、母、洋子の怒りが爆発した。急遽、深夜の記者会見が開かれることになった。

 記者会見は勘助の司会で5月23日の午前0時45分に始まった。会場となったグランドセンターホテルの宴会場に、予定の午前1時より前に多くの報道陣が集まってしまったためだ。

 「みなさん、きょうは、このような時間に急にお集まりいただき、ご迷惑をおかけしました。私は東都大学の准教授で、西山勘助といいます。15日に、自ら命を絶たれた三森数馬さんのお母様のところに、このところ、取材の申し込みが殺到していまして、おまけに、昨夜、保勤省の絹田次官が会見で不適切な発言をされたことで、さらに注目が集まってしまいました」

 このように話し始めた勘助が会見までのいきさつを話し、簡単な受け答えをしているうちに10分ほどが過ぎた。そこに、洋子が登場した。勘助が時間稼ぎをしている間、別室で待っているうちに、緊張が高まっている。

 「みなさん、大変にお待たせしました。三森数馬の母で、洋子といいます。まず、この間、みなさまから多くの取材依頼を受けながら、なかなかお話をする決心がつかず、対応が遅くなりましたことをお詫びいたします」

 洋子のあいさつを、半ば遮るように、記者の一人が質問をした。

 「すみません、時間もないものですから、今夜の絹田次官の会見に対する感想から聞かせていただけますか」

 洋子の口元に集まった記者、カメラマンの目が集中する。5秒ほどの沈黙だったが、すぐに言葉が出てこない洋子には10分ぐらいに感じた。

 「創作だと言いました。数馬が命をかけてつづった日記を、あの人は創作だと言ったのです。私がここで怒って自分を見失うと、絹田次官の思うつぼかもしれません。でも、もし、そんなことを考えて、人の心をもてあそぶようなことをする方だとしたら、国の行政機関の事実上のトップとして認めるわけにはいかないと思います。私は、何度も、何度も、数馬の日記を読み返しています。あの日記が創作であることはないと信じています」

 「何か法的な手続きを取ることも考えられますか」

 「いいえ、すぐにそのようなことをするつもりはありません。ただ、みなさんにも数馬の日記を読んでいただきたいと考えております。そして、この日記に創作があるかどうか、確かめていただきたいと思います」

 洋子はそう言って、数馬の日記を手に持って示した。

 一斉にカメラのフラッシュがたかれ、次々にカメラマンと記者たちが退席した。会場に残ったのは30人ぐらいになった。隣には、ご丁寧にも記者の控え室が用意されている。毎夕新聞デスクの西ノ宮章が手配したものだ。

 この日の会見は西ノ宮と勘助が考えた筋書き通りに展開した。記者たちは控え室に電源を入れて開いておいたパソコンから記事と写真を送った。

 すでに大方の原稿はできていて、洋子の発言を送るだけだからたいしたことはないが、各社の作業が終わるのに、10分とかからなかったのは、さすがによく訓練されたものだ。

 この間も記者会見は続いていた。

 「亡くなる前の数馬さんの様子はどうでしたか」

 「はい、いまから考えると、口数が少なくなって。どことなく元気がなくなっていました。ただ、もともと口数の多い子ではなかったので、まさか、こんなことになるなんて、思いもよりませんでした」

 「仕事のことはなにか話していましたか」

 「家ではほとんどしませんでした。私たちが聞いてもわからないと思っていたのでしょう。ただ、国の年金は、もうあてにできないから、かあさんたちも、自分でできるだけの準備はしておいたほうがいいよ、なんてことを言っていました。私はよくわからずに、担当しているあなたがそんなこと言ってたらだめじゃない、なんてことを言っていたのです」

 「日記を読んだ時はどんなことを考えましたか」

 「難しいことも多く書いてあるのですが、ここにいらっしゃる西山先生に教えていただいたりして、少しずつわかるようになりました。それと、役所でのさまざまな葛藤がわかって... この国の役所は、もっと国民のことを考えて行動しているのかと思っていました。知らなかった私が悪かったのですが。数馬もがっかりすることが多かったようで、日記の中身も、後半は次第に批判的になっていくのがわかります」

 こんな話をしているうちに、原稿を送信した記者たちが記者会見の会場に戻ってきた。そこで、勘助が切り出した。

 「皆様、数馬さんの日記のコピーができあがってきました。関心のある方はどうぞ、お持ちください。ただし、部数に限りもありますので、1社1部です。名刺と引き替えにお渡しします」

 コピーは、B5のノートを見開きでコピーしたB4の用紙をたばねただけで、製本も何もしていない。本当にいま、コピーしてきたばかりで、まだ、コピー機のぬくもりが残っている。毎夕新聞で残っていた記者が手分けして、急遽コピーしたものだった。

 これがもし、締め切り前だったら、各社殺到するところだが、いまは、朝まで時間がある。勘助は、1人1人の記者と名刺交換をしながら、順番に手渡した。そして、配り終えるとこう話した。

 「これは、みなさまと、国民の理解のためにお配りするものです。ただし、著作権は亡くなった数馬さんにあります。一部の引用は当然、認められますが、これを勝手に出版するようなことがないよう、念のために申し上げておきます」

 5月23日の毎夕新聞は、記者会見の様子、これまでの洋子と勘助のやりとりなどを詳しく伝えた。

 同時に、次の社告が載った。

 毎夕新聞社は、25日に保険勤労省年金局の三森数馬さんの日記を出版します。B5版の大学ノートの大きさで、価格は400円。年金官僚の日常と発想がわかるもので、難しい年金のこともそのまま掲載します。素人でもわかるページは、色つきにするので、そこだけ読んでも価値があります。

 この社告を読んだ下院議員の西郷竜一郎は、すぐに予約を入れた。

 24日の大手新聞朝刊は、数馬の日記をもとに、詳しい特集を組んだ。

 保勤省の絹田清明次官は、その日のうちに辞表を書いた。

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