先見創意の会 (株)日本医療総合研究所 経営相談
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コラム
今週のテーマ
(掲載日 2008.05.06)
<舞台> アジアのとある国
<設定> 大きな内戦が終わってから60年がたった。その内戦は民族対立に端を発し、10年にわたった。疲れ果てた国民は難民として周辺国に流れ出し、周辺国の治安悪化が進んだ。対立していた国民は、強い外圧を受けてようやく和解したのだった。もともと勤勉な国民で、交通の要衝にも位置していたため、戦後60年でその国は急速な発展を遂げた。その一方で、国民の間に新たな火種ができている。それは「年金問題」だった。
<主な登場人物>
 ○東都大学准教授・・・西山勘助(にしやま・かんすけ)
 ○保険勤労省年金局企画課課長補佐・・・斎藤誠太郎(さいとう・せいたろう)
 ○夕刊紙「毎夕新聞」の記者・・・島谷涼風(しまたに・すずか)
 ○保勤省年金局数理調査課・・・三森数馬(みつもり・かずま)
 ○年金問題に執念を燃やす政治家・・・西郷竜一郎(さいごう・りゅういちろう)
 ○与党 民自党党首・・・川上一太(かわかみ・いった)
※ 日本人に読まれることを想定しているため、日本的な名前にしているが、他意はない。
<< 第十六話「コンピューター至上主義」 
<前回までのあらすじ>
保険勤労省年金局数理課の三森数馬の自殺とその日記は、保勤省幹部の逮捕につながり、多くの年金関係者に衝撃を与えた。年金問題は、記録を管理するコンピューターの問題でもある。そのお守り役の国民福祉庁では、職員たちが漫然と日常業務をこなしていた。跡出直輔もその1人だった。しかし、保勤省幹部の逮捕をきっかけに、目覚めることになる。
 
 5月26日。毎夕新聞が、保険勤労省による「数馬の日記」の買い占め・裁断疑惑を報じ、絹田清明前次官と斎藤誠一郎・年金局企画課課長補佐が逮捕された。

 その日の保勤省は、早く仕事を切り上げて退庁する職員が多かった。そして、家の近くの本屋で「数馬の日記」を買い、一気に読み進めた。国民福祉庁も同じ。もちろん、跡出直輔もそうした。

 何か、自分に関係することが書いてないか。それは、期待と不安が入り交じった複雑な気持ちだった。もちろん、難しい数学のことは、ほとんど読み飛ばした。

 保勤省の幹部と天下り先の関係には、腹を立てた。コンピューターシステムの重要さを理解せず、抜本的な更新をせずに、小手先の修復で済ませ、つまらないことで費用をケチる連中が、天下り先には平気で金をつぎ込んでいる。

 こうして読み進めていくうちに跡出のページをめくる手が止まった。
 年金記録には膨大な数の間違いがある――。

 三森数馬はこう指摘している。具体的には次のように書いてあった。

 年金記録から算出される支給額と、実際の受給額には微妙なずれがある。ほんの数%程度のことだが、年金支給額の大きさから考えると、数千億円にはなる。どう計算してもつじつまが合わない。斎藤補佐に聞くと、こう言う。

 「帳簿上で年金を支給すべき額と、実際の支給額は違うんだ。国の年金なんてあてにしない金持ちは一定割合いるものさ。そういう人たちは受給できる額も大きいから人数以上に金額の影響が大きく出るんじゃないか」

 もっともらしい説明だが、納得できない。国福庁の年金管理部に問いあわせた。しばらくして、管理部長から電話があり「終業後に会えないか」という。それで、今夜会ってきた。その中身は次の通り。

 年金記録には膨大な数の誤りがある。
それは、何か1つの原因ではない。強いて言えば、国福庁のチェック体制と、コンピューターシステムの不備が大きな原因になっている。

 そもそもは、40数年前に導入されたコンピューターシステムが入力作業の効率性を考えずに作られたことが原因だった。

 データ入力がきちんとできれば問題なく動くものではあったが、膨大なデータを入力するにしては、時間がかかりすぎるものだった。にもかかわらず、コンピューターの導入に多額の予算を使った保勤省は、入力のための十分な予算を確保することができなくなった。

 そのため、コンピューターを導入したのはよかったが、すぐに入力作業が行き詰まる。一時は膨大なデータが入力できず、年金記録を報告する段ボールが山積みになった国福庁は各地の国福事務所からの年金記録の輸送をストップした。半年もたたないうちに、国福事務所にも年金記録の山ができた。

 この処理にために、国福事務所は大量のアルバイトを雇い、ひとりひとりの年金記録をコンピューターに入力しやすい一覧表に書き写させた。それを国福庁に集めて集中的に処理を進めた結果、少しずつ事務処理が追いついていったのだった。

 「一覧集中処理」と呼ばれた作業には、一応の作業手順があり、元の記録と一覧表の記録を照合する課程も盛り込まれていた。しかし、最優先は記録の処理だった。その結果、ほとんどチェックされずに作業が進められた。

 この作業は、時がたつとともに、外注化された。ところが、外注先はOBの天下り先になる。外注先から送られてきたデータは内部でもチェックする仕組みになってはいたが、ある時、ある国福事務所からの間違いの指摘が誤りで、正しいデータだとわかり、OBが事務所長にねじ込んでくる「事件」があった。

 その結果、間違いの指摘に多くの決済が必要になった。もともと、OBににらまれてまで職責を全うしたいと考える職員は少ない。おざなりなチェックしか行われないようになった。

 こうした事務処理は、OCRの読み取り精度が上がる最近まで続いていた。膨大な間違いがそのまま放置されている可能性が高い。

 話を聞いて、愕然とした。保険方式を前提にしている我が国の年金制度は、年金記録が正しいことが大前提になっている。我々は、それをもとに、将来に年金財政を予測しているのだが、その記録が信頼できないのだという。国福庁は、いつまで、この砂上の楼閣を維持することができるのだろうか。

 跡出は、これを読んで、全身の力が抜けるのを感じた。我々が、絶対だと信じ込まされていたコンピューターの記録は、こんなにもろいものだった。おまけに国福庁の年金管理部はそれをわかっていながら、現場の我々には全く知らせなかった。

 これは、大変なことになる。いや、この日記を買った人はたくさんいるが、こんな難しいものをきちんと読む人は少ないだろう。しかし、一部の識者やマスコミはきちんと読み込んでくる。近い将来、国福庁は激震に見舞われる。なんとか先手を打つことができないだろうか。

 それにしても、自分の国福庁人生は何だったのか。国民のために正確なデータを残す仕事をしてきたはずが「砂上の楼閣」とまで言われている。そんなことを考えると、その夜は一睡もできなかった。

 翌朝、跡出は、出勤するなり、年金管理部に向かい、管理部長に面会を求めた。跡出はノンキャリア職員で、部長は保勤省のキャリア職員だ。それまで、面識はなかった。それでも、たまたま在室しており、跡出に応対した。もちろん、日記は読んでいる。

 しかし、跡出に数分話させたところで、制止した管理部長は、こう言った。

 「何を今さら騒いでいるのですか。私たちの年金を川にたとえると、その堤防はボロボロなんです。そんなことは、みなさん、気づいているはずですよ。そして、いまは、三森君という若者が生み出した大変な嵐の中なのです。それなのに堤防を造り直せと言われている。

 本当は、晴天が続いて水が少ない時に直せば労力は10分の1ですむのです。しかし、堤防が決壊するかもしれないから直せという。この場は応急措置をして、天気が回復するのを待つべきなんですけれどもねえ・・・」

 まるで評論家だ。跡出は、意気込んで乗り込んだ自分が情けなくなった。しかし、放置しておくわけにはいかない。確かに暴風雨が吹き荒れているが、もっと大きな台風が近づいている。

 管理部長室を出た跡出は、すぐに携帯電話を取り出し、あらかじめ登録しておいた上院議員の西郷竜一郎の事務所に電話をかけた。
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