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コラム
今週のテーマ
(掲載日 2008.04.15)
<舞台> アジアのとある国
<設定> 大きな内戦が終わってから60年がたった。その内戦は民族対立に端を発し、10年にわたった。疲れ果てた国民は難民として周辺国に流れ出し、周辺国の治安悪化が進んだ。対立していた国民は、強い外圧を受けてようやく和解したのだった。もともと勤勉な国民で、交通の要衝にも位置していたため、戦後60年でその国は急速な発展を遂げた。その一方で、国民の間に新たな火種ができている。それは「年金問題」だった。
<主な登場人物>
 ○東都大学准教授・・・西山勘助(にしやま・かんすけ)
 ○保険勤労省年金局企画課課長補佐・・・斎藤誠太郎(さいとう・せいたろう)
 ○夕刊紙「毎夕新聞」の記者・・・島谷涼風(しまたに・すずか)
 ○保勤省年金局数理調査課・・・三森数馬(みつもり・かずま)
 ○年金問題に執念を燃やす政治家・・・西郷竜一郎(さいごう・りゅういちろう)
 ○与党 民自党党首・・・川上一太(かわかみ・いった)
※ 日本人に読まれることを想定しているため、日本的な名前にしているが、他意はない。
<< 第十五話「改めて質す」 
<前回までのあらすじ>
保険勤労省年金局数理課の三森数馬の自殺と、彼が書き残した日記は、年金関係者に衝撃を与えた。その1人が下院議員の西郷竜一郎だったが、年金の実務の現場でも多くの人にショックを与える。「漫然と働いていていいのか」。少なからぬ人たちが自分の仕事に改めて反省の目を向けることになる。
 
 保険勤労省年金局数理課の三森数馬の自殺と、彼が書き残した日記は、年金関係者に衝撃を与えた。

 その1人が下院議員の西郷竜一郎だったが、年金の実務の現場でも多くの人にショックを与える。「漫然と働いていていいのか」。少なからぬ人たちが自分の仕事に改めて反省の目を向けることになる。

 年金は、簡単に言えば、国民から集めた金を一定のルールに従って配るだけのものだ。

 ところが、(1)そこにはいろいろな思惑が働くため、ルールが複雑になる。それで「難しい」という言葉が出てくる。

 (2)膨大な数の国民が相手の複雑なルールを間違わないように処理するために、コンピューターが使われる。すると、さらに「難しい」の度合いが高まる。

 加えて、(3)若い時に負担をして、老後に受け取る仕組みのために、将来を予測する作業が入る。そこで数学が使われる。ここで、「難しい」は頂点に達する。

 人は難しいことには近づかない。そんなことを理解しているヒマがあるなら、いまの生活に役立つことに使ったほうがよい。

 わかったところで制度を変えられるものでもない。制度を運営している人たちを信じて、おそらく大きな間違いはないであろうルールにのっとって、それなりの金を受け取ることができればよいのだ。

 現に、多くの老人たちが目立った貧困もなく生活しているではないか。そういう考えで年金についての考察は多くの人の頭から遠くなっていく。

 この状況のため、年金を運営している人たちにとって、それは孤独な作業となる。実際は、でたらめな処理が行われているのに、世の中が無視している結果、それが露見しない。現場の作業は緊張感を欠くものになる。

 コンピューターは、世間の人が思うほど性能が高いものではない。決めたことはきちんと処理するが、融通というものがまったくきかない。本当なら、抜本的に直さないといけないといけないのだが、世の中の無関心のために、そんなエネルギーはどこからもわき上がってこない。

 すると、現場で働く者たちは、自分たちで「融通」をきかせて仕事をするようになる。ルールがあっても、守っていては仕事が終わらないのだ。世の中から見捨てられた孤独な人たちは、自分たちのルールで仕事をするのが当たり前になる。

 コンピューターシステムというのは、そういう仕事をしている人たちが使うと、その仕事に合わせた不合理なものになっていく。

 跡出直輔(あとで・なおすけ)は、年金制度を所管している保険勤労省の外郭団体で、実際の運営にあたる国民福利庁の職員として、そんな仕事を30年も続けてきた。

 跡出の最初の配属は、年金の記録を管理する管理センターだった。管理センターには、毎月、全国から膨大な年金の記録が送られてくる。

 管理センターは、それを業者に委託して入力させる。毎月、段ボール箱に詰め込んだ年金記録を、トラック何台にも詰め込んで送り出す。戻ってくるのは磁気テープだ。

 当時としては最先端技術で、大学を出たての跡出は、自分は何もしていないくせに「大変な仕事を任された」と自負したのだった。

 もちろん、周りにも勘違い人間は多い。ある時、先輩職員と飲みに行った時だった。  「跡出くん、コンピューター会社なんてちょろいもんだよ」と言いながら、その先輩が話し始めたのは次のようなことだった。

 ある時、記録の入力会社から相談があった。

 「誕生日で2月30日という記録があるのですけど、届け出た会社に確かめていただくことができませんか」

 「そんなものはその通りに入力しておけ。書いてある通りにすればいいんだ」

 「でも、そんな日付は存在しませんから、入力できません」

 「わかった。それはコンピューターシステムが悪い。システム会社に文句を言ってやる」

 先輩職員は、すぐにコンピューターのシステム会社に電話をして、「2月30日が入力できないのはおかしい。年金加入者が言うことは絶対なんだから、そんなこともできないおまえの会社のプログラムは欠陥ではないか」と言ったという。

 それに対して、コンピューター会社はすぐに飛んできて、システムを直していったという。

 聞いた跡出は、一瞬驚いたが、すぐに「なるほど、加入者第一ですね」と言ったところ、その先輩職員は、満足そうにうなずいて、こう話した。

 「いいか、加入者の記録は絶対なんだ。そして、それをもとに入力した我が国福庁(コップ)の記録はもっと価値があるんだぞ。どんなことがあっても、間違いはないんだ」

 当時のコンピューターは、処理能力に限りがあり、1人ひとりの加入者の情報を多くすると、処理に時間がかかるため、本人を特定するための要素は、年金番号と、性別、名前、生年月日の4項目だけだった。

 年金記録は、すでに5000万件を超えており、将来は数億件になる。膨大な記録を管理するためには、いかに効率よく検索するかが問われる。

 住所などを入れるとコンピューターが照会する情報が増えるため、処理速度が急激に落ちる。基本的には年金番号で検索をかけ、性別、名前、生年月日で確認できれば本人の記録と特定する仕組みだった。

 年金番号が間違いなければ問題は起きない。しかし、当時は人が記録を入力した。人が入力すれば間違いが起きる。

 仮に間違いが0.1%の確率で発生するとして、毎月入力するデータは1人について5つなので、200人分の情報を入れると、1つ間違いが起きる。1年だとそれが84人に1つとなる。

 実際は、この確率はもっと高かった。なぜならば、年金の記録が正しいかどうかは、ほとんどの人において、もらい始めてからしか確かめられなかったためだ。おまけに、その時でも、一人ひとりが、記録が正しいかを検証することは難しい。

 跡出は、後に、国福庁の出先機関である国福事務所でも仕事をしたが、自らこんな経験をしている。

 ある時、年金の受給手続きに来た老人がこんなことを言い出した。

 「これは、給料の記録で、これが私の年金額に反映しているということですね」

 「そうですよ。一定の計算式がありますが、あなたの過去の給料の歴史が、あなたの年金額を決めています。それが報酬比例の支給であったり、これまでがんばって保険料を払ってきたことに対する対価なんですよ」

 「でも、私の給料の記録なんですが、ここのところで少し、欠けているような気がするんです。できたら、きちんと確認したいのですが」

 「いいですよ。えーっと、25年前ですか、この時に、働いていたということですね。おかしいですね、コンピューターには、この記録しかないんですけれどねえ。その時に、確かに働いていて、保険料を納めていたという記録があったら持ってきてください。もし、確かな証拠があれば、きちんとお調べしますので」

 その老人は、国福事務所を出たが、また、戻ってくることはなかった。それも、そのはずで、25年も前の記録など、持っている人はごくまれだからだ。

 だれも、すぐに検証することをしない記録をきちんとチェックする人は、よほど奇特な人だ。それゆえ、自分たちの仕事の確からしさを確認しようという動機は、極めて薄い職場になっていた。

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