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(掲載日 2006.02.21)
サブテロメア領域の刻印
―染色体の片隅が叫ぶ真実―
<最終回> ヒト染色体の片隅が語りだした真実
投稿者  澤 倫太郎
 日本医科大学生殖発達病態学・遺伝診療科 講師

 ハーラン・エリスンのSF小説に「世界の中心で愛を叫んだけもの(Beast that shouted Love at the Heart of the World)」(ハヤカワ文庫)という作品がある。

 最終控訴審で「オレは世界中のみんなを愛している」と叫んだ大量殺人者・ウイリアム・スタログの独白から始まるこの作品は、最後まで読み続けるのが難しいといわれるほど、多層的な罠がしかけられている。その難解さゆえ、この作品のファンは多く、日本でもアニメ「エヴァンゲリオン」の最終話のタイトルにも用いられ、昨年は、映画化され、平井賢の主題歌「瞳を閉じて」でも人気を博した恋愛小説「世界の中心で愛をさけぶ」(セカチュー)としてフィーチャーされた。

 科学論文のタイトルをつける際も、研究者は韻を踏み、工夫を凝らす。ここに一つの論文がある。「Telomeres: a Diagnosis at the end of the Chromosomes (テロメア:染色体の片隅から診断されるもの)」という洒落たタイトルだが、内容はハーラン・エリスンの原作を上回る深刻なものだ。2003年に「Journal of Medical Genetics」という一流の臨床遺伝学雑誌に掲載されたレビューである(J.Med.Genet. 2003; 40; 385-398)。

 その内容はずばり、「原因不明の精神遅滞児2,500人の染色体を調べたところ、その数%に、染色体末端部のサブテロメア領域の構造異常が見られた」というものだ。このレビュー以来、サブテロメア領域に関する同様の事実が次々と明らかにされており、自閉症を含む精神遅滞の5〜8%にサブテロメア領域の小さな構造異常が認められるという。

 これまでにも染色体の数的異常の診断は可能であった(13、18、21の染色体が3本であるトリソミー(注1)をいう。これ以外の染色体の数の異常は出生してこない。すべて妊娠初期に流産するからである)。しかし、数の異常を含めた従来の染色体解析では、すべての精神遅滞の原因を解明するまでには至らなかった。

 しかし、1970年代後半から高精度分染法が取り入れられ、1990年にはFISH法が開発されて、いわゆる羊水検査(胎児の染色体の大きな形態の異常に対する検査)の判定時間は驚くほど短縮された。2000年以降は、「アレーCGH法」と呼ばれる方法が導入され染色体構造分析は新しい世代に入った。そして、このサブテロメアの領域までの高度な分析が進んだ結果、臨床的に極めて重要な意味を持つ「微小な構造異常」がみつかったのである。もともと、テロメアとサブテロメアは細胞分裂する際にちぎれ易く、同じ染色体の他の部分に付着・融合(転座)しやすい。さらに、サブテロメアには、多くの遺伝子が存在するために、この領域に構造異常があった場合、表現系として症状があらわれやすいこともわかってきた。

 やっかいなのは、相互転座という現象である。相互転座とは、異なった2本の染色体の末端が切断されたあと、互いの切断片が入れ違って再結合することを言う。テロメアとサブテロメアはちぎれ易いだけに、この相互転座が起きやすいのである。相互転座では原則として染色体の過不足はない(均衡型転座と呼ばれる)――すなわち遺伝子量は不変であるので、一般には表現系は正常である。つまり保因者ということになる。しかし保因者の子供に、異常が現れる可能性があるのだ。

  新生児の専門家で、遺伝診療に係わってきた研究者たちは戦々恐々である。なぜなら、精神遅滞児はこれまで、ずっと原因不明とされてきたのに、これだけ多くの報告が相次ぎ、もはや教科書に掲載されるほどの純然たる科学的事実の蓄積を前にすれば、小児科で外来フォローしてきた多くの患児に対しても、検査せざるを得ない状況に陥る可能性は非常に高いからだ。そもそも精神遅滞という疾患は、一般集団の2〜3%に及び、もっとも頻度の高い精神疾患の1つなのである。

 当然、患児の親は「自分の子がなぜ他の子と違うのか?」を知りたがる。さらに当然ながら、若い夫婦にとっては、次に生まれてくる同胞への発症の可能性(同胞発生率)はどうなのか気になるところだろうし、若いカップルは、自分か、パートナーか、あるいは両方が、保因者である可能性を調べるという選択肢も、今後出てくるだろう。

 行き着く先は容易に予測できる。研究者同士のピア・レビューが効いている着床前診断こそ、かろうじて倫理的理由から踏みとどまるだろうが、羊水検査においては、これまでの13、18、21トリソミーの染色体の数の異常に絞って行われてきた適応が、サブテロメア領域の構造異常まで、一気に拡大するだろう。そして、その可能性は、倫理的な観点から遺伝情報の取り扱いに慎重な欧米よりも、むしろ日本で大きいのだ。

 ひとたび染色体変異というレッテルを貼られたが最後、患者たちや保因者である兄弟・家族を待ち受けているのは、連載5「逆選択という差別の不可視化」で述べたような過酷な差別なのである。そして、「これをどう考えるのだ?」というシビアな議論は、今すぐにでも必要なのに、国家にその場すらないのが、日本の現状である。

 鼻の利く、大手の検査会社SRL、三菱化学BCL、ジェンザイムなどは、染色体解析にターゲットを絞って、すでにプロジェクト・チーム走らせている。すでにサブテロメア全域検査を謳っている検査会社すらすでにあるのだ。自費検査であることも考えれば、これも「金のなる木」なのである。

 科学が進み、20世紀遺伝学(genetics)から21世紀ゲノム学(genomics)の時代になった。しかし、遺伝子変異がある場合に、それがどの程度発症に関与するかを示す浸透率が明らかにされるにつれ、遺伝子配列が必ずしもすべてのヒトの人生を決定するわけではないことが判明している。そして、一方では、古典的な遺伝学でおなじみの染色体の末端にあるサブテロメア領域の微小な構造欠陥が、人類進化のうえでも、臨床的遺伝学の最前線においても、重要な鍵(mapping fate: 遺伝上の神の予言)だったという事実はインパクトが大きい。

 科学ほど、冷酷で残酷なものはない。この科学的事実を一体どのように考えればよいのだ?チキン・リトルのように「そらがおちてくる」とさけべばよいのか?

 私はここで、あえて口を閉ざしたい。世界の中心から真理を叫び続けたウイリアム・スタログなら、染色体の片隅に刻まれた真実を、どうさけぶのだろう?

 聡明なわが会員たちよ、あなたなら、どう考える?


(注1)
 染色体は、父親由来と母親由来の染色体同士の1対が、ひとつの単位(1対)を作り、通常22対(46本)の常染色体と2個(X.XまたはXY)の性染色体から成っている。細胞分裂のときに、正しい分離ができないと染色体の1対にもう1本ついてくる「トリソミー」や、一本足りない「モノソミー」という数の異常がおこる。常染色体の数の異常は、ほとんどは受精卵のうちに死滅する。出生可能なのは、常染色体のトリソミーの中では、13番目、18番目、21番目染色体のトリソミーの3種だけである。性染色体の数の異常にはXO (Xが1つしかない)「ターナー症候群」、複数のXとY、XXYが多い「クリンフェルター症候群」、XXX(スーパーフィメール)、XYY(スーパーメール)等あるが、いずれも致命的ではない。
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